想い
朝のニュースで梅雨入りが発表された。
これから毎日のように雨が続くのか、外出のたびに雨を気にするのか、と少々気が滅入った。
気が滅入っていたのは雨だけではないのかもしれない。
ここのところ、何だかもやもやする日が続いている。
この前の、主任と立花さんのあの日から・・・。
「浅野。それ終わったら打ち合わせだ。終わったら教えてくれ」
下の階からコピー用紙が入ったダンボールを運んでいた時だった。
男性社員の何人かが外出していて男手が足りない為、率先して荷物を運んでいた。
主任も当然のように借り出されていたわけだが、突然話しかけられた。
「・・・・分かり、ました」
(・・え・・例のまとまりかけの取引の件、だよね・・?)
思わず生唾を飲んでしまった。
あれは、伊集院と私とでまとめていた件だ。
その伊集院は本日外出中。
ダンボールの箱を思わず握り締めた。
(・・・いや・・私も主任も大人だ・・社会人だ・・そうそう!)
やっぱり、だった。
案の定だ。
私と主任二人きりのミーティングだった。
背中に何とも言えない汗が流れた。
「悪いな。バタバタしてる時に打ち合わせなんて」
「いえっ。例の取引の件、ですよね。あれは今最終段階中でして。あとは先方の日程次第です」
ひっくり返りそうな声を何とか堪えて、答える事に精一杯だった。
「あー、うん。まぁ、それもあるんだけど・・・」
(ヤバ・・。何その含んだ言い方・・・)
「お前さ・・・」
身を構えた。
「伊集院の評価について、どう考えてる?」
「・・・・・・・・・・・・・・は?」
「ある程度評価しなきゃなんないわけ。んで、俺よか伊集院の指導してるお前の方が評価しやすいんじゃないかと思って。まぁ、こういうのあんまり良くはない思うが、伊集院のいない時にした方がいいわけだからさー・・」
「あ・・・、つまり査定・・・ですか・・」
(うわー・・・・、うわー・・・めっちゃ自分だっせ・・・)
と同時に肩の力が抜ける。
「うん。まぁ硬く考えないでさ、ありのまま話してくれればいいよ」
「そうですね。まぁ2年目ですから、去年よりは成長してるんじゃないでしょうか。まだ粗はありますが、なかなか見込みのある奴です。こちらも教えがいがあります」
「はは」
「・・?・・・何か変ですか?」
笑われるような事を言った覚えはなかっただけに少しムっとした。
「いやいや悪い。ごめん。何かあんまりに明瞭簡潔過ぎて浅野らしいなーって思って」
「・・変に飾っても本人の為にも良くないと思っただけですので・・」
何だかいつも通りの主任とのやりとりに少しホっとした。
これなら大丈夫なのかもしれない・・、そう思うと私も少し微笑んでしまった。
「分かった。ありがとな。あ、例の取引の件、大変だろうけど頑張れよ」
「ありがとうございます。伊集院も頑張ってますんで、引き続きご指導宜しくお願いします」
良かった・・、そう思って立ち去ろうとした時だった。
「浅野。まだ話終わってないんだけど」
「・・え?」
「この前は悪かった。浅野に仕事の上でやりづらさがあるんだったら、きちんと謝るよ」
「・・・・・・・・っ」
やっぱりなかった事には出来ないんだ。
そう思ったら立ちくらみがしそうだった。
「・・・あれはっ。あれは事故です。それにもう忘れましたので、主任もどうぞお気になさらずに」
(よし。今のはスマートだ。どやっ?)
「それなんだけど」
そう言うと主任も立ち上がった。
「俺は分別ついてるって言ったよな?俺としては事故だとか不注意だとか思ってないよ」
「・・・・・何言って、るんですか?」
あの時の、主任の顔と同じ。
心臓が跳ね上がる。
「はっきり言っとく。俺はお前が好きだ」
バサバサバサっと足元に書類が落ちる音がした。
多分、今の私は口が開いたままだ。
まさしく開いた口がふさがらない、だ。
「でも浅野が俺の事嫌いで、この前のも今のも迷惑でセクハラまがいだって言うんなら改めて謝る。いい加減な気持ちじゃないって事は知っておいて欲しい」
「セ、セクハラだなんて思ってないです・・」
「じゃ俺の事、好きか?」
「そ、それは・・・・」
「好きか嫌いしか二択はないから。それで答えて」
「な、なんでそんな極端。ってか何で私の事なんか。ってか何で私の事。い、意味が分からない!」
「俺がお前を好きになった詳細をここで話したら納得すんのか?だったら細かく説明するけど」
「いえっ。け、結構です。た、多分今言われても頭に入んない、です」
「だろうな」
そう言うと主任は軽く微笑んだ。
その微笑みを見たら、じわじわと自分の状況を把握させられていった。
私の目の前で微笑んだ、この尊敬する上司が、私に、告白を、した・・・。
途端に足元から崩れた。
「少し休憩していいぞ。返事はさっき言った通り、好きか嫌いしかないから。嫌いじゃないなんて答えたら脈があるんだって思うから、そのつもりで」
主任が静かに部屋を出て行った。
動揺しながらも、足元に落ちた書類を拾い上げていく。
ありえない・・・・。
主任が私を・・・?
何で?会社になら可愛い子なんか全然いっぱいいるじゃん!
そうだよ、この前、総務の立花さんと楽しそうに話してたじゃん!
そ、それに・・この前まで彼女いたじゃない・・・。
・・・・・・・・。
ってか、主任って結構肉食系だったんだ・・。
って、そういう話じゃねーよ!
何で告白してきてんのよ、職場で!
しかも思いっきり上司モードで言ってきてる・・・。
「・・・・・・・」
か、顔が熱い。
心臓がどくどくいっている・・。
「なんだー?浅野、具合悪いのかー?」
先輩社員が勢いよく扉を開けて入って来た。
「だ、大丈夫です!」
立ち上がってはみたものの、フラついて壁にもたれかかってしまった。
「おーい。大丈夫か?顔も赤いぞ。熱あるんじゃねーの?」
「あ。そうか・・。熱・・・」
「本当に大丈夫か?急な仕事入ってないんなら思い切って早退しちまえよ」
(・・・・そうか・・・早退・・・・)
な、なんか、ここで帰ったら負け、な気がする・・。
「失礼しますね」
急に女性の声がしたかと思うと額にひんやりした手が添えられた。
「・・・あ」
事務のアルバイトをしている小泉さんだった。
「浅野さん。熱ありますよ。私の手冷たく感じませんか?」
「・・・た、確かに感じます・・」
「おー、やっぱ早退しろ。風邪菌撒き散らされたら、たまったもんじゃないから、な?」
「わ、分かりました・・・」
「大丈夫ですか?自力で帰れますか?」
小泉さんが心配そうに尋ねてくる。
「大丈夫ですよ。すみません心配をお掛けしてしまって・・」
少しフラつきながら自席へ向かう。
(そうか・・・。ここのところ何となく調子が悪かったのはこれだったのか・・)
妙に納得してしまった。
出来るだけ手早く荷物をバッグにしまい込んだ。
部長にいきさつを話し、帰宅の許可を得る。
「そんな有様じゃ一人で帰れないでしょ?」
「だ、大丈夫です。電車で15分ぐらいですから」
思いの外、心配そうな部長の顔を見て慌てる。
「困ったな。私が送っていければいいんだけど、これから社の全体会があるからなー・・」
「ほ、本当に大丈夫です」
「・・・あ、そだ。かつむらー」
(な、なにっ?!)
「・・・どうしました?」
部長に呼ばれた主任が小走りで駆け寄って来た。
「浅野が風邪で結構、熱が高いみたいなんだ。私が会議で送ってやれないから、この子、車でお願い出来ない?」
(ひぃぃぃ)
「分かりました」
くっ・・・。
このタイミングで、この状況下で・・・、反論出来ない・・・・。
主任が私を見ている・・・。
「もう帰れるか?」
「は、はい・・・」
「バッグは持つ。ゆっくりでいいぞ。慌てなくていいからな」
「・・・・はい」
「確か毛布みたいなのが入ってるから横になりたければ後ろに座れよ」
「・・・・・すみません。そうさせてもらっていいですか?」
言い終わらないうちに主任が後ろのドアを開けてくれた。
「大丈夫か?出してもいいか?」
「・・はい。いつでもいいです」
「浅野」
「・・・はい?」
「住所言えよ。ナビに入力したいから」
「・・・あ、あの、近くに小学校がありますので、そこまででいいです」
思わず起き上がったが軽いめまいが襲う。
「・・う・・」
「ほれみろ。早く住所言った、言った。それからな・・」
手で顔を覆っていると主任がこちらを見た。
「お前の体調につけこんで、どうこうしようとか思ってないから安心しろ」
「・・・・っ。そうじゃ、なくて・・・。ってか主任がそんな事する人じゃないって分かってます」
ブランケットの裾をぎゅっと掴んだ。
「迷惑かけてしまう事が嫌なんです・・」
「何がどう迷惑なんだ?」
「・・・今のこの状況全部です」
「はっきり言うが迷惑なんて思ってないぞ。お前に対してさっき言ったことが絡んでる事を抜きにしてもだぞ」
さっきの事・・・。
少し思い出し、身震いがした。
「お前は何でもかんでも自分でしょい込み過ぎるんだ。もっと周りを頼れって前にも言っただろ?」
「そ、れは・・。こ、これは自分のミスだから、だから迷惑かけたくなくて・・」
「浅野が優秀だって事は皆知ってるよ。だから今日の事は何とも思ってない。むしろ心配なんだ。それ程に無理してたんだなって思ってるよ」
「・・・・・・・」
「今日ぐらいは周りを頼れ。いいな?」
「・・・はい・・」
たどたどしく住所を伝え、車は私の自宅へと向かった。
「・・・主任」
「何だ?」
「少し喋っててもいいですか?」
「俺はいいが、浅野は大丈夫か?」
「大丈夫です。静かなのは嫌なので・・」
「分かった」
「・・・あの、聞きたいことあるんです」
「うん」
「・・・何で、その・・私の事を好きだなんて言ったんですか?」
「・・・・それは、俺がお前を好きになった理由が知りたいって事か?」
「・・・はい・・。あれ?そう言いませんでしたか?・・・すみませ・・なんか頭がよく回らなくて・・」
「いいよ。気にすんな。・・・そうだなー。まぁ、いろいろ理由はある」
薄ぼんやりする目の前の景色に主任の後姿が見える。
「まずはさっきみたいな何でもかんでも自分で解決しようとするところ」
「・・・えっ?!」
「浅野の不思議なところは何でもかんでも自分で解決しようとするのに優秀なとこ。それでいて後輩の面倒見いいんだよ。ミスっても相手責めないわ、最後まで面倒見るわ、それでいてパニック起こさず仕事は優秀だからな。上司の俺のメンツ丸つぶれ」
「・・・そんなに褒めても何も出ませんよ」
「いや、事実だよ。でもその裏で浅野は相当努力してる。だからこそ出来る事なんだ」
「・・・・・・」
何だか泣きそうになる。
入社してからこれまでの間、こういう風に人から言われた事などなかった。
木下とは励まし合っても褒められたことなんてめったにない。異動する前に軽く言われたぐらいだ。
同期の奴らからは「男の中の男」だとか「男よりよっぽど男らしい」だとか「お前は昭和の時代遅れの男か」と、さんざん揶揄されていた。
「で、浅野のもう一つ不思議なところがあるんだよ」
「・・・・何ですか」
「仕事以外が・・何ていうか、鈍くさいとこあるんだよなぁ」
「・・・・はぁ?」
「人間関係の繊細な部分に疎そう、というか。仕事上では全く問題ないのに、それ以外の人間関係の細かいとこにあんまり気づかない部分あるだろ?」
「・・なっ。そ、それは主任だってそうじゃないですか!」
「うん。だから浅野は俺に対してそういう鈍感な部分、指摘してズバズバ言ってくれるじゃん。そういう風に言ってくれるところとかも浅野を好きになった理由・・」
カーっと体が熱くなった。
「か、会社にだって、会社以外だって可愛い子いっぱいいるじゃないですか・・。何でわ、私なんですか・・」
「中身が伴わないのに見た目だけ取り繕う人は多いからな」
・・・・・・・。
駄目だ・・・・。
また熱が上がる・・・・。
これじゃ、まるで、私がスーパー人間みたいな扱いだよ・・・。
「私、そんな凄い人間じゃありません・・」
「そういう風に自分を客観的に見れる部分も好きなとこかな・・」
思わずブランケットを頭から被った。
・・・・・・・。
こ、この人は、こんな人だったんだろうか・・。
「具合悪かったのに告白なんかして悪かったな。それから浅野の気持ちも考えずに酒の勢いであんな事して悪かった。だけど好きだって言ったことは悪かったなんて思ってないからな」
心臓がバクバクいっている。
胸の前で手を握り締めた。
「しゅ、主任の気持ちは分かりました・・」
「俺は待つから。今日のこと、後で少しでもいいから考えてみてくれ」
自宅前のアパートへ着いた。
自分で上へ上がれるからと断ったものの無理やり連れられてしまった。
「部屋、ここです・・」
「よし、鍵閉める音したら帰るから。必ず鍵閉めろよ」
「・・はい。あの・・今日は本当にありがとうございました・・」
「ゆっくり寝ろよ。何か欲しいものあったら連絡しろ。俺の携帯は、知ってるっけ?」
「はい」
「じゃあな」
軽く頭を下げながら扉を閉めた。
カギー、と軽く声がした。
思わず苦笑いをしながら鍵を閉めた。
と同時にコツコツと歩く音もかすかに聞こえてきた。
その場に崩れそうになる自分を堪えて、何とかベッドまでたどり着いた。
もう何も考えたくなかった。
というか、考えられなかった。
にも関わらず主任の顔だけが薄ぼんやりと浮かんでは、消えていった・・・・・。