吸血騒ぎの日のその後のアサセス(巡視官)
濃葉の1巡り8日目。
日が暮れたとは言え、日中の暑さが引く気配は無く、報告書の紙が腕に貼り付く。
そんな不快感に、羽根を動かす手が止まる。
良質な紙が市場にそれなりの値段で出回るようになってから、取り調べ報告書という面倒な作業が増えた。
この報告書という仕組みが有用なのは理解しているが、自分が記述する立場になった場合、この面倒な仕組みを採用した連中の頭をひっぱたきたくなる。
昨日のことだ。
ここ最近、吸血事件を繰り返していたと思しきブロブソーブが捕らえられた。
たっぷりと血に濡れた剣、現場の血溜まり、口周辺の血痕、それに牙と、犯行を指し示すには十分な物証が揃っていた。
それだけの血を流し、吸血もされたであろう被害者が見当たらないことが懸念ではあったが。
まぁ、それでもブロブソーブを捕らえたのだ。
それだけで十分だった。
ブロブソーブが怪力の持ち主であることは、十二分に解っていたので、気絶しているのをいい事に、鎖で身動きが出来ないよう縛り上げ、牢に放り込んでおいた。
残念ながら、その日は目を覚ますことも無く、何も解らなかった。
翌日と言うか、本日だが、現場にいた少年から証言を貰うことが出来た。
名前をウィル・ランカスターと言い、驚いたことに4年前のブロブソーブ事件の被害者の1人だった。
精悍な青年に育ちつつある道半ばといった感じであり、さすがに4年も経つと立派になるものだ、月日が経つのは早いモノだと感じたりもした。
ウィル少年曰く、争う音と悲鳴を聞いただけで、現場は見ていないという。
悲鳴は、若い女性のモノだったとのことだ。
確かに、現場には女性のモノと思われる足跡が残っており、被害者が女性だった可能性を見取ることが出来る。
血溜まりから抜け出した足跡は、路地の奥の方へと続いているが、途中で雑踏に紛れ、解らなくなってしまっていた。
その足跡に先導、もしくは付き従うように複数の足跡が見付かっており、その足跡が何者なのかという新たな謎が浮かび上がってきている。
女性の足取りがしっかりしておらず、ほとんどの足跡は引きずられるような様に見て取れる。
その複数の足跡が被害者の女性を連れ去ったのではないか、と疑われているのだが、その大きさから、複数人の子供である可能性が高い。
子供が何のために被害者の女性を連れ去ったのか、という疑問が出てくるが、明快な答えには到っていない。
ウィル少年の証言では、そのような被害者も子供も見かけていないと言うことなので、今のところ手がかりが無い。
周辺での聞き込みも行っているが、日も暮れ始めていた時間帯で人通りはそれほど多くなく、こちらも今のところ目立った成果は無い。
ブロブソーブの所持品を調べていたところ、アシュタリウス聖教会の聖印、しかも神聖騎士団の聖印を持っていた。
ここ最近、教会の聖騎士が襲われたという報告は受けていない。
可能性はいくつかある。
このブロブソーブは、かなり前から人を襲っており、その昔に聖騎士を襲い奪った可能性。
聖騎士の家に押し入り、盗んできた可能性。
聖騎士団側が襲われたことを秘匿し、こちらに報告していない可能性。
まぁ、最後のが一番可能性が高い。
彼らとの関係は、大侵攻でも無い限り、良好とは言い難く、密に連絡を取り合うなんてことは考えられもしない。
まして、自分たちの名をおとしめるような話を、我々にする訳が無い。
が、今回はこちらに聖印という物証がある。
早めにコレを使って情報を引き出すとしよう。
濃葉の1巡り9日目。
朝から霧が立ちこめ、灰色の雲が空を覆っていた。
日差しが無い分、直接的な暑さは無いが、霧による水分が、まとわりついて鬱陶しい。
昼前に、しとしとと雨が降り始めた。
前日までの暑さが、この雨で冷やされて過ごしやすくなるだろう。
昼過ぎにブロブソーブが目を覚ましたと連絡があり、牢屋を5人の巡視官で取り囲んだ。
3人は牢屋入口の外で待機し、2人で取り調べを行う。
大人数で取り囲みたいところではあったが、牢屋の狭さや被害の拡大を防ぐという意味で、この分け方となった。
前回、ブロブソーブを捕らえた時の教訓を元に、鎖の量を増やしたわけだが、どうやら正解だったようだ。
起きた当初は暴れたようだが、しばらくしたら無理だと解ったのか、大人しい物だった。
大人しくはあったが、取り調べには決して協力的では無かった。
「そもそも、どういう咎で拘束しているのか」
とふざけたことを抜かすので、
「お前がブロブソーブというだけで十分だ」
と答えた。
すると、どうだ、
「俺はブロブソーブでは無い。言いがかりだ」
と更にふざけたことを抜かす。
そんなことがあってたまるかと、皆で押さえつけ、牙の確認をした。
すると、どうしたことだ。
確かに牙が無い。
前日、確かにあった牙が無い。
それだけで軽く我々は混乱に陥った。
どう確認しても牙が無い。
その後、ブロブソーブはアシュタリウス聖騎士団のアトリシャスを呼べの一点張りで、取り調べに一切協力しなくなった。
アトリシャスと言えば、この町に駐留している聖騎士団の団長では無いか。
ブロブソーブと、どういった繋がりがあるのか?
アトリシャス殿を呼ぶべきなのか検討するため、一旦、取り調べを他の者に任せ、中座した。
我々巡視としては、4年前の事件の際、聖教会にブロブソーブを取り上げられ、あずかり知らぬ所で殺され、結果を知らせるだけという屈辱的な対応、および、高圧的な態度の聖騎士団に対しひとかたならぬ思いを抱いている者が多い。
今ここで、アトリシャス殿を呼べば4年前の再来となるのではないか、との疑念の声が上がるのも致し方なかった。
散々、聖教会と騎士団に対し鬱屈した思いを吐露し終わったころ、雨の中をウィル少年が訪ねてきた。
気分転換と言っては何だが、子供ならではの意見が聞けるかも知れないという建前で、つい先ほどのブロブソーブでは無いという件を話してしまった。
「自由に牙を出し入れ出来るのかも知れませんね」
ウィル少年がそんなことを言う。
確かに、落ち着いて考えてみれば、その可能性が高い。
ブロブソーブがそういう能力を持っていても不思議では無い。
まだまだ解らない事が多いのだ。
出し入れが自由に出来るとして、何故、騎士団長を呼べと言ったのか。
件の騎士団長が何か弱みを握られているのか?
聖印を持っていたことと無関係ってことはあるまい。
「あるいは、ニセモノの牙かも知れません。
例えば、動物の牙を加工して、それらしく見せているとか。
床石の隙間にでも押し込んで隠したのかも知れません」
それもまた、あり得ると言えばある得る内容だった。
ブロブソーブの振りをしての殺人。
ブロブソーブと騎士団長の繋がりを詮索するより、ニセモノと騎士団長の繋がりの方が真実の糸があるように思えた。
少し考え込んでいたところ、ウィル少年が小声で話しかけてきた。
「実は、被害者の女性をかくまっています」
なぜそんなことをしたのかと怒鳴りそうになるのを押さえつつ、理由を問いただす。
かくまった理由は大きく分けて二つ。
一つ目は、大怪我をしていたため、治療が必要だった。
結果、傷口は塞がったが、同時に証拠としての力を失ったと思われること。
二つ目は、被害者とブロブソーブの関係が不明なこと。
もし、ブロブソーブが何らかの理由で被害者の殺害を望んでいるとしたら、生存していることを知らせるのはまずいと判断したらしい。
では、何故、今になって知らせてきたのか。
「あなたは信じることが出来そうかなと・・・」
中々に痛いところを突かれた。
ウィル少年は、その昔、巡視官の行き過ぎた取り調べの被害者で、我々のことをあまり信用していないのだった。
そんなウィル少年が、私なら信じても良いと言ってくれていることは嬉しかった。
取り敢えず、被害者の女性に話を聞くことにし、ウィル少年の案内でランカスター邸に出向くことにした。
その女性は、ランカスター邸の来客用寝室で養生していた。
波打つ髪を後ろでまとめ、その目には、疲れ、脅え、不安と言った様子を感じ取る事が出来た。
名前をコリン・ハルノイターと言い、19歳だと言う。
迷惑になるので家に帰りたいと言っても、この家の人たちがなんやかんやと放してくれなかったらしい。
それはそれで酷い話だが、彼女が狙われている可能性があるとなれば、解らないでもない。
が、そこはやはり巡視を信用して頂き、我々に預けて欲しかった。
事件当日の話を聞くと、家に帰る途中、近道だと裏道を通った際、襲われたとのこと。
相手の顔に見覚えは無く、声にも聞き覚えは無いとのこと。
もっとも、相手は覆面をしていたので、顔に関しては無理からぬ事ではあるが。
傷跡を見せて貰えるよう頼んで、その一部を見せて貰ったが、物の見事に傷跡の片鱗も見受けられなかった。
まぁ、多少は赤くなっていたが、そこが傷口なのだと言われなければ解らなかっただろう。
彼女を癒した人間はかなりの腕前のようだ。
事件当日の衣服を見せて貰ったが、肩からばっさりと斬られており、かなりの出血があったことが解る。
また、喉元付近の肩口にも血痕があり、吸血のため噛みつかれた痕だと解る。
この衣服は、証拠として持ち帰らせて貰うことにした。
証言内容には、過大な期待を抱いていたというのもあるが、正直なところ失望した。
とは言え、被害者の女性が無事だったことは喜ばしいことだった。
何か思い出したり、異変があったら、すぐさま連絡を入れるように言いつけて辞した。
濃葉の2巡り1日目。
天候は回復し、なまじっか湿気だけは昨日の雨で十二分に満たされているため、暑さで身にまとわりついて鬱陶しい。
夕方にもなれば、湿気も逃げていき、だいぶ快適になるのでは無いかと思われた。
ブロブソーブは、相変わらず黙りを続けており、尋問に進展は無い。
拷問を加えようにも、下手に拘束を解いて暴れられても困るため、手を出しあぐねている。
罰棒で叩いた程度は、特に堪えた様子も無く、鋭い目でこちらを威嚇してきた。
制裁を加えていた側が、その目に軽く尻込みをしてしまう体たらくだった。
いくらブロブソーブが恐ろしいとは言え、情けないことだ。
口を開いたかと思えば、「こんなことをしてタダで済むと思うなよ」と、脅かしてくる。
被害女性の存在を軽く臭わせてみたのだが、特に反応を引き出すことは出来なかった。
生存しているのか、死亡しているのかといった、生死を聞かれることも無く、全く興味が無いように見えた。
調査に行き詰まりが見えた時点で、ふと、ニセモノの牙の話を思い出した。
むしろ、今まで失念していた方が問題なのだが、思い出せなかった物は仕方が無い。
奴をどかして周囲を調べることにしようかと言う時に、表の方が騒がしくなり、そちらに出向いた。
驚いたことに、アシュタリウス聖騎士団のアトリシャス団長が訪ねてきていた。
曰く、ブロブソーブを捕らえたと言うことを聞きつけやってきた、と。
一体誰が、騎士団に知らせるような真似をしたのか。
その犯人捜しをしている暇は無かった。
奥に進んでいこうとするのをなんとか説得し、押しとどめようとするものの、説得力に欠ける。
我々の制止を押しのけ、ブロブソーブの牢に入る。
ブロブソーブも、自分が呼び出そうとしていたアトリシャス団長が来たことが解ったのだろう。
その顔を見た瞬間、安堵、喜びと言った感情が顔に出ていた。
その一瞬の後、ブロブソーブの目が見開かれ、ゆっくりと自分の胸を見下ろす。
我々が止めるどころか、認識する時間すら与えず、アトリシャス団長が剣を引き抜き、ブロブソーブの胸を一突きにしていた。
ゆっくりを剣を引き抜くと、そこから血を吹き上げつつ、ブロブソーブは膝から崩れ落ちるように倒れた。
当然、何をしているのかと、調査の妨害をするつもりかと抗議をした。
「凶悪なブロブソーブを殺さずにいるとは、どういう了見か!
もし、逃がしでもしたらどう責任を取るのか!
ブロブソーブという1点を持ってして、即刻処刑すべきなのだ!」
と、逆にこちらに怒鳴り返してくる始末。
ブロブソーブは、自分は人間でアトリシャス団長を呼べと言っていた。
また、奴は聖騎士の聖印を持っていたが、どういうことかと問いただした。
一瞬、顔を歪ませたかと思うと、
「なるほど、どこで名前を知ったかは知らないが、
私のことを利用しようとしたのだろう。
その聖印は、おそらく我が騎士団の物だ。
身内の恥になるが、奴に盗られた団員がいるのだ。
奴が人間?
そんなはずなかろう」
たたみかけるようにして言い放った。
ともかく捜査妨害であり、厳重に抗議すると伝えたが、何も間違ったことはしていないと、振り払うようにして立ち去った。
ブロブソーブは、即死だった。
血の海に沈んでいた死体を片付けた後、牢屋の床石を調べていたところ、隙間に奴の血で濡れた牙を発見した。
この牙が奴の物なのか証拠は無いが、恐らく奴の牙だったのだろう。
証言を得ようにも、その口から言葉が出てくることは無い。
結局、誰が知らせたのかという犯人捜しは徒労に終わった。
こうして、ブロブソーブによる事件は、なんら真実に近づくこと無く終局となった。
次回「研究の日」
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