ジュウゴ色
白藍さんと風呂掃除をしているときだった。
始めて見る五右衛門風呂はどこか懐かしく、あまり見ない構造に早く入ってみたいとも思う。
そしてあとは洗剤を流すだけ、その時にくらり、と視界が震えた気がした。
あれ?と思い額に手を当てると若干熱い気がする。気もしないこともない。
なんで突然?畑に行ったときも、白藍さんとご飯を食べている時も全然そんな感じはしなかったのに。
心なしか体温が上がってきた気がする。気もしないこともない。
「ふー、モップ握ったの久しぶりですよ。・・・・アキラさん、顔赤くないですか?」
『気もしないこともありまへん』
「なぜ京都弁?とりあえずお休みなさい。ほら泡落として」
そうして、手と足に付いた泡を落とし、白藍さんに支えられながら自分の部屋へと戻る。
足元がおぼつかない。まだ掃除しなきゃいけないのに。
『う、すんまへん。なんや体に力が入らんのですぅ』
「面白いですねぇ。また今度京都弁教えてもらってもいいですか?」
『えう?わてきょーとべんなんや喋ってまへんよ』
「おお!わて!」
なんかよくわかんないけど、白藍さん楽しそうだな。
障子を横に引き、敷きっぱなしだった布団へ寝転がる。
「体温計持ってきますね。あと氷枕?あ、薬もですかね」
『お手数おかけますぅ』
なんだか眠たいかも。そう思った瞬間、私は抗うことなく、意識は奥底へ。
あ、夕飯。
お味噌汁と、あと何を作ろうかな。
◆◇◆◇
「アキラさん、起きれますか?」
『う、・・・』
一度の呼びかけで浅い眠りから覚め、ズキズキ痛む頭を押さえながら起き上がる。
差し出されたのは、一般的に売られているメーカーの解熱剤とコップ一杯の水。
カプセル状の薬は冷たい水と共に喉へ流し込む。
「これ脇に挟んで、氷枕はココでいいですか?」
『はい。わざわざすんまへん。迷惑ばっかり』
「迷惑なんて。そう思うなら早くよくなって玉子焼き作ってくださいね」
脇に挟んだ体温計がずれないよう寝転ぶと、ちょうどいい高さの氷枕が気持ちい。
温度が測れた、と体温計が知らせてくれる前に、また眠ってしまいそうだ。
「何度ですか?」
『・・・・38.2』
「結構ありますね。吐き気とかありませんか?」
『大丈夫どす。ちょい、節々が痛いくらいで』
「もし吐いちゃっても大丈夫なように桶もってきておきます」
環境が変わったから、疲れちゃったんでしょう。そう言って頭を1撫でしたあと、彼は音も無く障子を開け桶を取りに行ってしまった。
そうして彼が遠ざかる足音が子守唄となり、夢の国へ旅立ってしまった。
◆◇◆◇
聞き慣れた音に目が覚めた。
辺りを見回すと鳥の鳴き声すらしない、月明かりだけが存在を主張する真夜中。
どれだけ寝たんだろう。
時計のない部屋では正確な時間がわからない。
ふと風に当たりたくなり、まだ痛む節々を無視し、障子を明けると同時に玄関の閉まる音。
そのまま忍び足で進んでいるのだろう、けれど古い廊下の軋みが静かな宵の刻には大きく響く。
彼の足音を聞きながら廊下へ身を乗り出すと、月がより近く見える。
ここではこんなに月と星が綺麗に見えるんだ。
そもそも前に住んでた場所で、夜空を見上げるという行為をしただろうか?
夜空に魅了されていると、今まで続いていた足音がぴたりと止んだ。
空から視線を横に移すと、廊下の先に彼がいた。
『お帰りなさい、緋色さん』
静かな時間に合わせて声量を調節したつもりだったが、嫌に大きく聞こえる。
緋色さんは少しすまなさそうな表情になった。
「起こしたか」
『、玄関の音で』
「そうか」
たった数回。けれど今までで一番長い会話だった。
まだ話したい。そう思ったが回らない頭では考えることができない。
止まっていた足が前へ進む。
あ、行っちゃう。
『あ、』
頭に浮かんだ言葉がそのまま口へ運ばれた。
危うく言ってしまう前になんとか押し留め、別の言葉を吐き出す。
『おやすみなさい』
「・・・・あぁ」
返ってきた声は軋む廊下の音にかき消されそうだったが、確かに私の耳へ届いた。
もう一度。なにか言ってほしくて彼を呼び止めようとしたが、すでに廊下の角を曲がり姿は暗闇に忍んでいた。
中途半端に開いた口を閉じ、ちょっと残念な、でも嬉しい気持ちを含んだまま障子を閉める。
布団へ入ろうと手元を見ると、傍に置かれたコップに気づく。
白藍さんが用意してくれたんだ。
ありがたく水を喉に通すと、熱を持った喉が心地よく潤う。
早く元気にならなきゃ。
そっと呟き、布団へゆっくり潜り込む。
眠る瞼に映し出されたのは、月に照らされた緋色さんの顔だった。