ジュウ色
泣いているからだろうか、頭がガンガンと痛む。まるで誰かが頭の中で叫んでいるようだ。
自問を吐き出したところで達成感や爽快感なんて無く、心に広がったのは虚無感だけだった。
早く謝らなきゃ。それと家へ帰りますって言おう。
『あの』
「そんなに溜め込むなら逃げましょうよ。避けたい事から本気で逃げて、1つずつ考えるんです。10の正解を出そうとするから雁字搦めになっちゃうんですよ」
「焦る必要も、戸惑う必要もないだろ」
彼らが発した言葉は、知らない国の言葉のようで理解しずらかった。
逃げるなんて、焦らないなんてそんな発想無かったのだから。
頭の痛みが弱まっていく。なんにもなかった心になにかが生まれた気がした。
『逃げる事は、卑怯で、ダメで、かっこ悪くて、それで・・・・。でも、でも』
上手く言葉が出てこずあわあわしていると、緋色さんが立ち上がり「水、持ってくる」と言って障子を開けた。
その時に春風が私の頬を撫でる。そのまま外に視線を動かすと、朝露でキラキラ輝く草木、色とりどりに咲きほこる花々、和の庭園なんてTVでしか見たことがなかった分心を奪われるほど綺麗に見えた。
緋色さんの足音が遠くなった頃に、白藍さんが力いっぱい閉じている方の障子を全開にした。
さっきよりも強い風が、白藍さんの糸のような長く細い髪で遊んでいる。
「たまにはこうやって風通しを良くしてやらないと、空気がこもっちゃうんです」
『・・・・でも花びらが入っちゃいますね』
「そしたら押し花にでもしましょう。きっと可愛らしいものが出来ますよ」
『押し花、作ったことないんです』
「なら今度一緒に作りましょうか。今の時期いろんな花が咲いてますから」
しばらく二人で外を眺めていると緋色さんが帰ってきた。
盆の上に乗せた水を渡してもらい、一気に喉へと流し込む。潤った喉と心。
空っぽになったコップはまだ冷たく、熱を持つ目元へ近づけると温度差に少し驚いた。
たった数時間のうちに一生分の涙を流したのかもしれない。
腕に力を込めコップを落さないよう立ち上がる。足で体を支えた時なぜか、大丈夫、と呟いた。
二人のほうに向き直り名前を呼ぶ。知り合って数十分。どこか心地いい雰囲気にホッとする。
『白藍さん、緋色さん』
「なんですか?」
「ん?」
身長の高い二人の目を見るために、もう俯かないためにグッと顔を上げる。
視界に屋根と二人の顔と、どこまでも広い青空が私を見ている。
『逃げてみます。なにをどうすればいいのかさっぱりですけど、その場にいたってヒントも何も落ちてないんですよね。お二人に教えてもらいました。だから本気で逃げて、答えは後回しにします』
この選択は最善策でない事は分かっている。両親の事も、転勤の事も、将矢にする返事の事も、いつか答えを出さなければならないけど私の頭はコンピュータではないのだ。
ちょっとの間、忘れたフリくらいしたって罰は当たらないだろう。
いや、罰が当たっても後悔はしないだろうな。だって今こんなにも心と体が軽いのだから。
緋色さんは興味なさそうに「そうか」と、だけ言ってくれた。
白藍さんはニッコリ笑って頷き、予想だしないことをぽんと言い放った。
「では、アキラさんの服や生活品を用意しましょうか」
『・・・・・え?服、生活遺品?』
「無ければ不便でしょう?上等なものは用意できませんが並程度なら」
『あ、わ、私ここにいていいんですか?』
「何言ってるんですか。そうに決まっているでしょう」
『でも迷惑をかけちゃいます!お金だって持ってませんし、両親も、学校にもなにも』
逃げる。とは確かに言ったがてっきり家に帰されるのかと思っていた。
それにここに住むなど父さんたちに連絡も何もしていない。学校だって初めての無断欠席だ。
もしかして誘拐って扱いになっているかも。
ぐるぐる回る最悪の思考を読み取ったのか、白藍さんが可笑しそうに笑った。
「またあとで説明しますが、きちんと許可は頂いているので心配要りませんよ」
「じゃなきゃさっさと家に帰している」
『あ、そうですよね』
緋色さんは呆れたようにため息をつき、また部屋を出ていった。
知らずに緊張していたのか、ふっと肩の力が抜け睡魔が襲ってきた。
まだ聞きたいこともあるのだ。それに今眠ってしまうなんて失礼じゃないか、と必死に睡魔を追い払おうとするがなかなか去ってくれない。
それに気づいた白藍さんが眠ってもいいと言ってくれたけど、どうしてもこれだけは聞いておかなければならない。
『わ、たし、迷惑じゃ、ないです、か?』
起こしていた体がふかふかの布団に沈む。太陽と、畳と、嗅いだことのない洗剤の香り。
自分から聞いておいて、あぁ、あとで謝らなければ。
布団をかけ直してくれた感触を最後に、眠りの国へ誘われてしまった。
アキラの寝息が聞こえ、まだ幼いと思わせる寝顔を失礼だと思いながら盗み見る。
うっすらと出来ていた隈をここにいれば無くなるはずだ。
小さな体躯に、はちきれんばかりの苦難。
最後の質問だって、まだ逃げ切れていないことの現われだろう。
「もし迷惑なら、あの緋色が水を持ってくるわけないじゃないですか」
私だって、めんどくさいと思ったことは容赦なく切り捨てる人なんですから。
人の事ばかり思わず、今日から自分を一番に考える事も学んで欲しい。
起こさないように立ち、音を立てないように廊下を進む。
居間に着くと緋色が自分の分だけお茶を入れて悠々と飲んでいた。
「私の分は入れてくれないんですか?」
「自分で入れろ」
「アキラさんには持ってきたくせに」
「いくら年寄りだからと言ってShut up の意味くらい知ってるだろ」
「馬鹿にしないでくださいよ。それに年寄りじゃありませーん。まだまだyounger でーす」
「Looking younger の間違いだろ」
口ばっかり達者になってきましたねぇ。誰に似たんだか。
小鳥のさえずりを聞きながら、今日の予定を組み立てる。どれもこれも後回しにしたくなるものばかりでウンザリする。溜めていた自分が悪いのだけど。
嫌な仕事を考えるより、これからどうなるのか、その事ばかり頭に浮かぶ。
私も、緋色も、誰も予想できないのだけど。想像くらいしたっていいじゃないか。
考え込んでいると、お茶のすする音と一緒に緋色の馬鹿にしたような声が飛んできた。
「bad person face ってググってみろ」
はてさて、old man なので耳が遠くて仕方ないんですよ。
英語間違ってたらすいません。
って言っても小学生レベルの英語しか出してないんですけどね。