1話 結婚前に死ぬらしい
「結婚式は三ヶ月後に決まったよ、ミレイユ」
その言葉を聞いた瞬間ーーミレイユ・オルブライトは、自分の前世を思い出した。
そして、私は、自分がその結婚式には出られないことを知った。
ーーなぜなら、その前に死ぬからだ。
「……え?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
向かいに座る青年が、不思議そうに首を傾げる。
午後の日差しが差し込む、オルブライト伯爵邸の応接室。
白磁のティーカップ。
焼きたてのスコーン。
春を迎えた庭園には色とりどりの花が咲き、開け放たれた窓からは薔薇の甘い香りが流れ込んでいる。
何もかもが、つい数秒前までと同じだった。
違うのは、ミレイユだけだった。
「どうしたんだい?」
青年が微笑む。
「そんなに驚くことでもないだろう。前から今年中には、と話していたじゃないか。父上とオルブライト伯爵も了承してくれた。ちょうど君の好きな白薔薇が咲く季節だよ」
ルーク・ハーヴェイ、二十五歳。
ローゼンタール侯爵家の嫡男にして、ミレイユが十六歳の頃から婚約している男。
淡い金色の髪。
深い青の瞳。
端正な顔立ちに、穏やかな微笑。
社交界では非の打ち所がない紳士として知られている。
ーーそして。
三ヶ月後、ミレイユを殺す男だった。
***
ルークの声がやけに遠い。
頭が痛い。
呼吸がうまくできない。
私は震える手でこめかみを押さえた。
知らないはずの景色が、濁流のように頭の中へ流れ込んできた。
ーー狭い部屋。
ーー雨音。
ーーコンビニで買った紅茶。
ーースマートフォン。
そして、スマートフォンの画面には、読みかけの小説のページが写っている。
記憶が次々と蘇ってくる。
私は以前、日本という国に生きていた。
ごく普通の人生だった。
そして、恋愛小説を読むことが好きだった。
中でも何度も読み返した作品があった。
孤独な大公と、心優しい聖女の恋を描いた物語ーー『雪原に咲く花』。
主人公は、聖女セシリア。
そして男性主人公はーーカシアン・ヴァレンシュタイン大公。
そこまで思い出して、私は、ようやく気づいた。
「……嘘」
声が漏れた。
「どうした?」
ルークが心配そうに身を乗り出す。
けれど私は、彼の顔を見た瞬間。
全身から血の気が引いた。
「ごめんなさい。少し……緊張してしまったみたいです」
長年の淑女教育とは、恐ろしい。
頭の中で前世と今世の記憶が激流のようにぶつかり合っているというのに、口元だけはきちんと笑うことができた。
「はは。まだ三ヶ月もあるよ」
ルークの手が伸びてくる。
反射的に身体が強張った。
けれど逃げれば不自然だ。
私は動かなかった。
彼の指が、私の頬に触れる。
「とても、楽しみです」
自分でも驚くほど綺麗な声が出た。
ルークは満足そうに微笑んだ。
「よかった。君ならそう言ってくれると思っていたよ」
そう言ってティーカップへ手を伸ばす。
その指先を見ながら、ミレイユは考えていた。
この手がーー私を殺すのか。
正確には、自ら手を下すわけではない。
けれど命令を出すのは、この男だ。
そして私の死は、事故として処理される。
「ミレイユ?」
「……はい?」
「顔色が悪いね」
ルークが心配そうにこちらを覗き込む。
「体調でも悪いのかい?」
「ええ。少し……朝から頭痛がしておりまして」
嘘ではない。
頭は痛い。
むしろ、割れそうだ。
知らなかった人生の記憶が一度に蘇ったのだから当然である。
「それはいけないな」
ルークが眉を寄せた。
「今日はもう休んだほうがいい。結婚式のことは、また今度ゆっくり話そう」
「ええ。そうさせていただきます」
ミレイユは微笑んだ。
「申し訳ありません、ルーク様」
「構わないよ」
彼は立ち上がる。
そして、彼はミレイユの髪を一房すくうと、優しく口づけた。
「三ヶ月後には、毎日一緒にいられるからね」
「……」
「楽しみにしているよ、ミレイユ」
「……私もですわ」
ルークが部屋から出ていく。
「…………最悪だぁあ」
ミレイユは両手で顔を覆った。




