第37話 平安の闇に咲いた呪いの華
この物語はフィクションであり実在の存在とは一切関係ありません。
――それは、まだこの国が「魔獣」も「魔法少女」も知らなかった頃の話。
だが、確かに“今”へと繋がる、歪みの物語だった。
平安時代の末期。
この国は、ゆっくり、だけど確実に腐っていった。
原因ははっきりしている。天皇が政治をする時代は、もう終わっていた。
代わりに実権を握ったのは「上皇」。引退したはずの天皇が裏で国を動かす――院政というシステムだ。そして、その始まりであり、完成形にして、頂点に立った男がいた。
白河法皇。
彼は、自分の権力をこう言い切ったという。
「この世で思い通りにならぬものは三つだけだ。鴨川の水、すごろくのサイコロ、そして比叡山の僧兵。それ以外は、すべて思い通りになる」
――傲慢?
いや、事実だった。
白河法皇は六十年近くにわたって、この国を支配し続けた。自身の在位だけでなく、息子、孫、曾孫が天皇になっても、権力だけは手放さなかった。
そして――その絶対的な権力の中で、彼は「やってはいけないこと」をやった。
孫である鳥羽上皇の妃に、手を出したのだ。
その女性の名は、待賢門院璋子。
白河法皇の養女として溺愛され、そのまま鳥羽上皇に嫁いだ、危うい美しさをもつ女性だった。
やがて彼女は男児を産む。顕仁親王。
――後の、崇徳天皇である。
◇ ◇ ◇
鳥羽上皇は、その子を愛せなかった。
愛そうと努力したのかもしれない。だが、抱いた瞬間に見えてしまったのだ。
祖父・白河法皇の面影を。
噂は、すぐに広まった。
「あの子は、白河法皇の子ではないか」
誰も口に出さない。だが、誰もが知っていた。鳥羽上皇も、もちろん知っていた。
彼は顕仁親王を「叔父子」と呼んだ。
――自分の子ではない。
――祖父の子。
――だから、自分にとっては“叔父”。
その一言に、どれほどの拒絶が込められていたか。幼い顕仁親王には、分からなかっただろう。
それでも白河法皇が生きている間、鳥羽上皇は何もできなかった。
顕仁親王は数え五歳(満3歳7か月)で即位し、崇徳天皇となる。
白河法皇は、彼を溺愛した。まるで、自分の息子のように。
その光景を、鳥羽上皇は歯を食いしばって見ているしかなかった。
◇ ◇ ◇
1129年。白河法皇が崩御する。
その瞬間、鳥羽上皇の中で、何かが完全に切れた。
長年溜め込んだ屈辱。怒り。憎悪。
そのすべてが、一気に噴き出した。そして、その矛先は――崇徳天皇へと向けられた。
鳥羽上皇は、新たな妃を迎える。
美福門院得子。
彼女は璋子とは正反対だった。受け身ではない。自ら権力を掴みに行く女。
鳥羽上皇は、才気走った、凛とした美貌をもつ、彼女に完全に溺れた。
得子は、最初、女児ばかりを産んだ。
それでも諦めなかった。そして1139年、ついに男児を産む。
体仁親王。後の近衛天皇である。
◇ ◇ ◇
1141年。崇徳天皇、21歳。
すでに彼にも息子がいた。重仁親王。本来なら、次の天皇はこの子であるはずだった。
だが――鳥羽上皇と美福門院は、それを許さなかった。
ある日、鳥羽上皇は崇徳天皇を呼び出し、淡々と告げる。
「体仁親王を、お前の養子として迎えろ。そして、皇太子とし、譲位せよ」
崇徳天皇は、一瞬だけ希望を見た。
養子。
つまり、自分の「子」として譲位するのなら、自分は「天皇の父」となる。そうなれば、院政ができる。
ようやく、自分も――。
崇徳天皇は、頷いた。
だが、譲位の儀式で読み上げられた宣命を聞いた瞬間、彼の顔から血の気が引く。
そこには、こう書かれていた。
「皇太弟に譲位する」
弟。
養子ではなく、弟。
たった一文字。だが、その違いが、すべてを破壊した。
崇徳上皇は、「天皇の父」ではなく「天皇の兄」になった。
兄には、院政を行う資格はない。
つまり――何の権力も持たない、ただの元天皇。
騙された。
鳥羽上皇と美福門院に、完全に嵌められたのだ。
◇ ◇ ◇
それでも、崇徳上皇は耐えた。
都の片隅で、静かに暮らしながら、ただ一つの希望にすがった。息子・重仁親王だけは、必ず天皇にする。
1155年。近衛天皇が、17歳で急逝する。跡継ぎはいない。
崇徳上皇は、確信した。今度こそ、息子の時代が来る。
――来るはずだった。
しかし、その希望は、またしても打ち砕かれた。
鳥羽上皇と美福門院は、崇徳上皇の息子を即位させなかった。選ばれたのは、後白河天皇。崇徳上皇の、同母弟。
理由は単純だった。重仁親王が即位すれば、崇徳上皇が院政を行う。それを、美福門院は絶対に許さなかった。
こうして完成したのが――「崇徳外し」。
最初から最後まで、徹底的な排除。
もう、限界だった。
何も悪いことはしていない。
生まれただけで疑われ、騙され、息子の未来すら奪われた。
怒りが、心の底から噴き上がる。
1156年。鳥羽上皇が崩御した。その直後――崇徳上皇は、挙兵した。
保元の乱である。
だが、戦いに敗れ、敗走。逃げ込んだ仁和寺は、すぐに武士たちに包囲され、崇徳上皇は、そこで監禁された。
やがて、使者が来て――告げた。
「讃岐国へ配流する」
その言葉を聞いた瞬間、崇徳上皇の顔から、すべての色が消えた。
配流。
天皇経験者が流罪になるのは、約400年ぶりの異常事態だった。前代未聞の屈辱だった。
崇徳上皇は、寵愛していた妃――兵衛佐局に、最後の別れを告げようとした。しかし、それすら、許されなかった。
護送の際、崇徳上皇が乗せられたのは牛車ではない。「網車」と呼ばれる、罪人用の、網を被せた簡素な車。
かつて天皇だった男が、罪人として扱われた。
出発は、あまりにも早かった。乱の終結から、わずか10日。十分な身支度の暇も与えられず、武士たちに引き立てられるようにして、崇徳上皇は都を去った。
◇ ◇ ◇
讃岐国。現在の香川県。崇徳上皇は、そこで約八年間を過ごした。
崇徳上皇は、ただ静かに暮らしていた。反省し、祈った。乱で死んだ人々のために、自分ができることをしようと、崇徳上皇は、写経を始めた。
「五部大乗経」――膨大な経典を、すべて自分の手で写した。三年をかけて、写経を完成させた。
そして、崇徳上皇は願い出た。
「この写経を、都の寺に納めてほしい。せめて、これで供養をさせてほしい」
だが、その願いすら――後白河院は拒んだ。「呪いが込められている」と。
その瞬間、崇徳上皇の中で、何かが壊れた。
怒りが、爆発した。
許せない。
何もかも、許せない。
彼は、髪を切らなくなった。爪も伸ばした。顔は痩せ、目は血走り、生きたまま、異形へと近づいていく。
まるで――“天狗”のように。
崇徳上皇は、自分の指を切り、舌を噛み切り、その血潮で送り返された写本に呪詛を書き加えた。
『“日本国の大魔縁となり、皇を民となし、民を皇となさん”』
天皇を引きずり下ろし、民を天皇にする。秩序を破壊し、すべてをめちゃくちゃにする。
呪い。
いや、祈りを裏返した、絶望の言葉。
四十六歳で、崇徳上皇は没したという。
それは、ただの昔話ではない。現代に現れる「大魔縁」の根源。関東を覆う怨念の、最も深い場所に横たわる、始まりの物語。
何卒、応援のほどお願いいたします。




