第34話 静寂の都市、横浜の守護者
この物語はフィクションであり実在の存在とは一切関係ありません。
横浜の街は、異様なほど静かだった。
いや、「静か」なんて言い方じゃ足りない。まるで誰かが音量ボタンを限界まで絞ったみたいに、一切の生活音が消えている。ビルの明かりは残っているのに人の気配がない。風は吹いているのに、誰かの足音も、話し声も、車のエンジン音すらない。
誰かがあらかじめ人避けをしていたような、徹底的に管理された空白だけがそこにあった。
「……なるほどね」
魔法少女姿の関凛華が、交差点の中央で立ち止まり、空を見上げた。
周囲の霊的な流れを確認する。圧は強くない。むしろ、整理されすぎている。恐怖も、混乱も、怨念も、未練も——人が生きていれば必ず残るはずの“ノイズ”が、ここには一切ない。ただ、徹底的に“管理”された気配だけがあった。
「都市単位での防衛行動……か」
言葉にした瞬間、空間が応えた。
まるで凛華の声に反応したかのように、影が地面から立ち上がる。人の形をしているが、人ではない。マントの輪郭、軍帽の影。軍服の外套を短くアレンジした“軍スカ”風のシルエット。胸元に金色の“九曜紋”の魔法紋章が鈍く光っている。
だが顔は、どこまでも曖昧で、個人を拒んでいる。まるで“個”ではなく“機能”として存在しているかのように。
『この区画は、すでに守られている』
声は静かだった。怒りも、敵意もない。事実を告げる機械音声のように、淡々としている。
凛華は一歩、前に出た。黒髪が風に揺れる。翡翠色の目が、軍装の魔法少女を真っ直ぐ見据える。
「守る、という割には……人がいねぇな」
『不要な滞留は排除した。被害を最小化するためだ』
理屈は、通っている。凛華は、それを理解してしまった自分を、内心で呪った。合理的だ。正しい。でも——
「それでも、おまえのやり方は人を“選ぶ”」
『当然だ。都市は、全体として生き延びねばならない』
正体不明の魔法少女は、刀を抜かない。
ただ、そこに“在る”だけで、周囲の霊的流れが整えられていく。無秩序を嫌い、無駄を許さない“在り方”そのもの。まるで都市のシステムが意志を持ったかのような存在だった。
凛華は、その様子を見て確信した。
この存在は、戦うために生まれたんじゃない。守るためだ。都市を、機能として、未来へ残すためだけに。だからこそ、厄介なのだ。
「あんたは……人を殺したいわけじゃない」
凛華の声は、夜に溶けるように静かだった。問いかけというより、確認に近い。
『当然だ。殺害は最終手段に過ぎない』
「でも、切り捨てることは、躊躇わない」
『必要と判断した』
魔法少女は、ようやく凛華を見る。敵を見る目ではない。評価する目だ。データを処理するように、凛華の戦闘力、脅威度、排除の必要性を計算している。
『個体。お前は、都市防衛の妨げにならない。退去を勧告する』
凛華は、思わず笑いそうになった。こんな状況で、こんな相手に、“勧告”なんて言葉を使われるとは。
「……合理的だな」
それが、余計に厄介だった。感情で動く敵なら、まだ対処のしようがある。でもこいつは違う。完璧に冷静で、完璧に正しい判断をする。
「でも、それでも」
凛華は一歩、前に出る。地面に影が伸び、少女の影と重なる。戦意が、静かに上がっていく。
「あんたの“正しさ”には、俺がいない」
『?』
「俺だけじゃない。この街に生きてる人たちの感情も、迷いも、間違いも——全部だ」
魔法少女は沈黙する。処理しているのだろう。感情という、数値化できない要素を。最適解を導き出そうとしているが、答えが出ない。
『感情は、都市の存続に寄与しない』
「……そうか」
凛華は、深く息を吸った。肺に冷たい空気が入ってくる。
「だからこそ、俺が止める」
魔力が、静かに立ち上がる。爆発じゃない。収束だ。
『理解できない』
「分からんな。あんたの言ってることは、何一つ」
その言葉に、魔法少女の霊圧がわずかに揺れた。初めて見せた、“反応”だった。
「理解はできるが……許せねぇ」
『許可は不要だ』
「ああ。だから、これは俺のエゴだ」
凛華は、偃月刀を突き出す。
「都市は、ただの器じゃない。そこにいる“人”が、間違いながら生きる場所だ」
少女の足元に、結界が展開される。都市全体を管理する存在に対する、局所的な“拒絶”。
『……非効率だ』
「それでも」
青龍偃月刀を構え、凛華は言い切った。
「俺は、人とともにある」
分体が、初めて刀を抜いた。軍刀。シンプルで、無駄のない、機能美だけを追求した刃。感情のない、完璧な武器。
『――対象評価を更新』
次の瞬間、空間が裂けた。
斬撃。視認できないほどの速度で、少女の剣が凛華を襲う。凛華は反射的に偃月刀で受け流しながら、後退する。ガキン、と金属音が鳴り、火花が舞う。重い。力そのものじゃない。“判断”が重い。最適解を叩きつけてくるような攻撃。無駄がなく、隙がなく、感情がない。だからこそ、恐ろしい。
「っ……!」
防御が一瞬遅れる。肩が裂け、血が散る。激しい痛みが走るが、戦える。少女は、凛華を“殺す”ためではなく、“試す”ために攻撃している。
『致命ではない。戦闘継続可能』
「……ご丁寧にどうも」
凛華は、痛みを無視して踏み込む。青龍偃月刀を振るい、軍装の魔法少女に斬りかかる。刃が風を切り、龍の力が爆発する。でも、少女は最小限の動きでそれをかわす。かわらず無駄も、感情もない。
「でも、それがあんたの限界だ」
『?』
「あんたは、選べない」
凛華の魔力が、街の“残滓”を拾い上げる。誰かの置き忘れた靴。割れた窓。避難所に残された毛布。人が生きた証。人が間違えた痕跡。それら全てが、凛華の力になる。龍の力は、人の営みを守るためにある。生きた人間のために。
「人は、合理的じゃない。でも――」
青龍偃月刀が、少女を捉える。龍の咆哮が、空間を震わせる。風と潮が渦を巻き、凛華の刃に収束していく。
「だから、守る価値がある!」
凛華が、巨大な龍の斬撃を放つ。青緑の光が、相手を包み込む。魔法少女の動きが、止まる。処理しきれない情報に直面している。人の感情、人の意志、人の矛盾——それらすべてが、凛華の斬撃に込められている。
『……理解不能』
「だろうな」
最後に一撃。凛華の大刀が、魔法少女の核を断つ。
光が散り、軍装の影が崩れていく。少女の姿が、少しずつ薄くなっていく。
『……都市は……』
「大丈夫」
凛華は、偃月刀を下ろし、消えゆく影に向かって言った。
「人が、なんとかする」
少女は、何も言わずに消えた。
夜が、戻ってくる。凛華は偃月刀を収め、その場に立ち尽くした。
「……これでよかったのか」
答えは出ない。でも、それでいい。合理性だけで進めないから、人は——人なのだから。
凛華は電脳を開き、通信を入れる。
「……俺だ。分体一体、撃破。被害は……最小限に抑えた」
少し間を置いて、付け加える。
「でも……これは始まりだ」
空を見上げると、北斗七星は、まだ歪んだままだった。凛華は深く息を吐いて、夜の街を歩き出した。まだ、やることがある。この街を、人とともに、守り続けるために。
何卒、応援のほどお願いいたします。




