第32話 メイド服と多摩湖の波紋
この物語はフィクションであり実在の存在とは一切関係ありません。
八王子の朝は、事件明けにしては驚くほど穏やかだった。結界の内側にいる限り、世界はちゃんと日常を装ってくれる。もっとも、それを一番強く感じているのは、八坂雅本人なのだろう。
「ですから、サイズはぴったりのはずなのですけれど……」
雅の家の客間で、鬼童かえでは少し背筋を伸ばしながら、視線を泳がせていた。テーブルの上に広げられているのは、どう見ても普通の服ではない。黒を基調にしたフリルたっぷりのメイド服、それもなぜかゴスロリ寄りで、スカートは膝上、白いエプロンには大きめのリボンまでついている。
「え、あの、これ……着るやつ?」
小学生らしい遠慮と素直さが混じった声で、かえでが確認すると、雅はにこやかにうなずいた。今日の雅は淡い色のワンピース姿で、いつもの多摩連邦リーダーとしての威圧感は控えめだが、その分、良家のお嬢様らしい余裕が前面に出ている。
「はい。かえでさんへのプレゼントですわ」
「ぷ、プレゼント!?」
「八坂家で実際に使われているメイド服なのですが、少し趣味が偏っているだけで、決して怪しいものではありませんわ」
「いや、その“少し”が致命的じゃない?」
ツッコミを入れる人間はこの場にはいない。いづなも小角もいないこの空間、ここは完全に“雅ペース”だ。
そもそも、かえでが雅の家を訪れている理由は単純だった。他の3人が多摩を離れている間、かえではそのフォローに忙しく働いていた。そんなかえでに少し落ち着く時間を取るよう、雅が声をかけたからだった。年も学校も違うため、なかなか日常を共有することはできないが、だからこそ、こうして「家に遊びに招く」という形で距離を縮めるのは自然だった。
「だ、大丈夫かな……あたし、こういうの着たことないし」
「初めては誰しも緊張するものですわ。でも、かえでさんは可愛らしいですから、きっとお似合いになります」
その言葉に押され、かえでは観念したように立ち上がり、着替えに向かった。数分後、恐る恐る襖を開けて姿を現したかえでを見た瞬間、雅は思わず手を口元に当てて息を呑んだ。
「……想像以上ですわ」
ゴスロリメイド姿のかえでは、年相応のあどけなさと、衣装の主張が絶妙に噛み合っていて、妙に完成度が高い。本人は顔を真っ赤にしているが、その様子すら含めて“仕上がって”いた。
「やっぱ変だよ! 絶対変だってこれ!」
「いえ、八王子の守護神として断言しますが、とても良いですわ。写真を残しても?」
「それはダメ!」
そんなやり取りをしながら、ただ、お茶を飲み、お菓子をつまみ、学校の話や、最近見た変な夢の話など、戦いとは無縁の時間を過ごした。それは確かに、距離が縮まる感覚だった。
◇ ◇ ◇
一方その頃、多摩湖。
「……でさ、小角。結局あの後、つむぎはどうしてるわけ?」
湖畔の遊歩道を歩きながら、いづなが横目で小角を覗き込む。小角はダウンパーカーのポケットに手を突っ込み、視線を水面に向けたまま、少し間を置いてから答えた。
「……元気だよ。少なくとも、表向きは」
「そっか。それならよかった」
いづなは安心したように笑い、すぐに話題を切り替える。
「じゃあさ、凛華は? 横浜連邦のリーダーってことくらいしか知らないんだけど、実際どうなの?」
その問いに、小角は足を止めた。
「……漢?って感じ。今は女の子だけど……」
即答だった。
「判断は早いし、背負う覚悟もある。あの場で誰よりも冷静だったし、同時に一番前にも立ってた。正直、助けられた……」
いづなは少し意外そうに眉を上げる。
「へぇ。アンタがそこまで言うって、相当じゃん」
「『関聖帝君』の特性って影響してるのかな。それとも逆なのかも。ま……私がやらかしちゃってたしね」
それだけ言って、小角は再び歩き出した。
横浜での暴走、その余韻はまだ小角の中に残っていた。理屈では割り切れても、感情はそう簡単に整理できない。
「はいはい、自覚があるなら上出来じゃん。あの場で誰も欠けなかった、それが全部だろ」
いづなの口調は軽いが、そこに含まれているのは本心だった。からかうように肩を小突きつつ、「それにさ」と続ける。
「アンタが一番引きずるタイプなの、もう分かってるから。今日は気晴らし、な?」
そう言われて、小角は小さく息を吐いた。多摩湖の水面は穏やかで、戦乱も結界も嘘のようだ。
その瞬間だった。
――ドォンッ!!
湖の中央付近で、何かが水面に叩きつけられる。爆発はないが、音と水柱は異常なほど派手で、白いしぶきが高く舞い上がった。
「……落ちた!?」
反射的に小角は湖の中心を睨み、次の瞬間には変身していた。魔力の光をまとい、躊躇なく湖へ飛ぶ。
「ちょ、即変身!?」
水を切り裂き、中心へ向かった小角が回収してきたのは、一人の少女だった。ずぶ濡れで意識はあるが、変身は解けている。
その顔を見た瞬間、小角の表情が変わる。記憶に焼き付いた戦闘の感覚。
「……愛宕山太郎坊の、魔法少女」
水から引き上げられた少女――は、薄く目を開き、かすれた声で一言だけ告げる。
「……北斗七星陣が、崩れた……」
それだけ言うと、再び意識を失う。湖面の波紋が、いつまでも消えなかった。
いづなはその光景を見つめながら、ぽつりと呟く。
「……ほんと、平和な一日って長続きしないよね」
小角は答えず、腕の中の少女を見下ろしていた。同じ日の出来事とは思えないほど、日常と異変は唐突に切り替わる。胸の奥で鳴り続ける警鐘が——止まらなかった。
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