第29話 横浜編⑥
この物語はフィクションであり実在の存在とは一切関係ありません。
◇ ◇ ◇
もう、何回ぶつかったか分からない。
青龍偃月刀の衝撃も、拳の痛みも、全部が混ざって、ただの鈍い熱になっていた。息を吸うたび、肺が悲鳴を上げる。翼は重く、思考は遅れ、足元の感覚も曖昧だ。
――くそ。
頭が、回らない。
凛華は、まだ立っていた。息は荒いが、姿勢は崩れていない。暴力の“型”が、体に染みついている人間の立ち方だ。汗が頬を伝い、髪が顔に張り付いている。それでも、大刀を握る手は震えていない。
それが、妙に腹立たしかった。
「……まだ、やる?」
声を出したつもりだったが、自分の耳にはひどく遠く聞こえた。
「当たり前だ」
凛華は即答した。
「お前を、この街で野放しにはできねぇ」
その言葉で、何かが切れた。
――なに、こいつ善人ぶってんだ……?
元は暴力団なのに。
考えようとしたけど、思考が滑る。代わりに、胸の奥で黒いものが、ぐっと蠢いた。熱く、煮え滾るような、何かが……。
関羽相手に接近戦はきつい。初めからこうしときゃよかった……。
――黒点形成。
意識しなくても、勝手に力が集まり始める。いつもとは違う。制御とか、加減とか、そういう“甘さ”がない。
圧が、急激に縮む。空気が鳴き、周囲に渦を巻く。瓦礫が浮き、倉庫の鉄骨が軋み、港そのものが引き寄せられていく。
「……おい」
凛華の声が、はっきりと焦りを帯びた。
「それ、何だ」
「本気」
正直に答えた。
――おまえが悪い。ちょっと強いから。
黒点は、まだ小さい。正露丸にも満たない。でも、その奥にある“密度”が、異常だ。このまま成長させ続ければ――この一帯ごと、持っていく。
「それ、止めろ」
止めろ?
――なんで?
「……うるさい」
自分の言葉が、ひどく他人事みたいだった。意識が、どこかに消えている。
「これ撃てば、終わるでしょ」
「それ以上やったら、この港が――」
港?街?そんなの、どうでもいいでしょ。
とにかく――
この人、排除しないと前に進めない。だから、消す。それだけ。
大体もう、自分でも止められるかどうか分からない。周囲の空気が完全に歪み、光すら曲がり始めている。視界の端が暗く沈む。
「――ふざけるな!!」
凛華が叫んだ。
次の瞬間、彼女は――青龍偃月刀を捨てた。ガラン、と鈍い音を立てて、巨大な武器が転がる。刃が陸屋根に当たり、火花が散る。
「……っ?」
驚いたのは、一瞬。
凛華が跳ぶ。武器もなしに一直線。真正面から突っ込んできた。武器の重しがない分速い。意表を突かれ、対応できない。
「やめろォ!!」
拳が、俺の頬に叩き込まれる。
衝撃で、視界が跳ねた。黒点が、不安定に揺れる。頭の中が、一瞬だけ真っ白になる。
二発目。腹に、重い一撃。
三発目。胸元に、叩きつけるような拳。呼吸が止まる。肺から空気が押し出される。
「……っ、な、に……」
凛華は、殴りながら叫んでいた。
「それ撃ったら、どうなるか分かってんだろ!!この港にいる人間!――お前が探してる“誰か”だって!!」
「……誰か?」
殴られながら、頭がふらつく。視界が揺れて、地面が傾いて見える。
「……誰……」
次の拳を、俺は反射的に殴り返した。力任せ。型も何もない。
凛華も殴り返す。避けない。受ける。互いに、もう避ける余裕なんてない。
拳と拳。骨と肉。
殴って、殴られて、倒れて、また立ち上がる。
魔法少女でも、武神でもない。ただの、ボロボロの人間同士。
「……っ、つむぎを……!」
俺が叫んだ。
「助けるって……!」
凛華の動きが、一瞬だけ止まった。
「……つむぎ?」
自分のその一言で、胸の奥が、すとんと落ちた。
つむぎ。
名前が、頭の中で反響する。小さくて、優しくて、“小角おねえちゃん”って、いつも笑ってる。困ってる人を放っておけない、あの子。守らなきゃいけない、大切な子。
「……あ」
黒点が、消えた。
圧が霧散し、瓦礫が音を立てて落ちる。周囲の空気が元に戻り、風が吹き抜ける。俺は、その場に膝をついた。
「……あれ……?」
息が、急に苦しくなる。
「……なんで……」
凛華が、信じられないものを見る目で、俺を見ている。
俺は、震える手で頭を押さえた。
「……俺……何しようとして……」
視界が、滲む。涙じゃない。ただ、焦点が合わない。
「……つむぎ、巻き込む……?」
凛華が、静かに言った。
「そうだ」
その声は、怒っていなかった。
「お前、完全にキレてた。一番守りたいもの、忘れて」
その言葉で、堰が切れた。
「……っ、あ……」
声が、出ない。
次の瞬間、俺は――泣いていた。
声も抑えられず、嗚咽混じりで、情けなく。拳を握る力もなく、ただ地面に崩れ落ちる。変身が解けて、普段の姿に戻る。
「……なんで……なんで、一番大事なこと……」
涙が止まらない。頬を伝って、地面に落ちる。
「……助けるって、言ったのに……」
凛華は、少し迷ってから、俺の前にしゃがんだ。殴り合いで腫れた顔のまま、低い声で言う。
「……だから止めた」
それだけだった。
慰めもしない。説教もしない。ただ、殴って止めたという事実だけ。
港の夜に、俺の泣き声だけが、しばらく残っていた。
――俺は、勝つために戦うんじゃない。迷ったままでも、必ず“帰す”ために戦う。
何卒、応援のほどお願いいたします。




