第27話 横浜編④ 凛華の視点
この物語はフィクションであり実在の存在とは一切関係ありません。
港湾管理区の仮設管制室は、今日も静かだった。
壁一面に並ぶ簡易モニターが放つ青白い光が、床や天井に反射して、まるで水の底にいるみたいな錯覚を起こさせる。ここは元々、横浜港の物流中枢だった場所だ。文明が崩壊した今では、横浜連邦がこの街を「なんとか回していく」ための心臓部みたいな役割を担っている。
人の流れ。物資の残量。そして、霊的沈殿の推移。
どれもが完璧じゃない。むしろ穴だらけだ。それでも、この街はそれなりに息をしている。その"それなり"を支えているのが、このログだった。
関凛華は、いつものようにモニターを巡回していた。黒のライダースジャケットの袖を肘まで捲り上げ、片手でマグカップを持ちながら、もう片方の手で端末を操作する。コーヒーは冷めきっていたけど、気にしない。味なんて、どうせ分からない。大事なのは、カフェインと習慣だ。
横浜連邦のリーダーとしての仕事は、表に出るものだけじゃない。むしろ裏方の方が多い。物資の配分、区画ごとの治安維持、魔獣出現時の対応指示。そして——この街に溜まり続ける“霊的なゴミ”の管理。
世界の改変で、人が死に、未練が残り、それが霊障として街に沈殿する。放置すれば、街全体が“呪われた場所”になる。だから、定期的にログを確認して、異常があれば魔法少女を派遣する。それが凛華の日常だった。
画面を切り替える。東区画、異常なし。西区画、微弱な霊障反応あり。北区画、通常範囲内。そして——
「……おかしいな」
南区画のログを見た瞬間、凛華は眉をひそめた。
霊障レベル、ゼロ。
残留思念反応、観測されず。
通信遮断ログ、ほぼ無し。
数値だけを見れば、完璧に"正常"だ。でも、それがおかしい。
「……静かすぎる」
思わず、鼻で笑ってしまいそうになる。文明が死んだ街で、完全な静寂なんてあるわけがない。人が去っても、未練は残る。物が壊れても、記憶は沈む。港湾地区なんて、特にそうだ。出会いと別れと裏切りが、腐るほど積み重なっている。
なのに、ここだけが“何もない”。
凛華は端末を操作し、過去ログを重ねて表示した。通常時の揺らぎ。微細な霊的ノイズ。時間帯ごとのブレ。それらが、ある時点を境に、すっぱり消えている。
グラフが、まるで定規で引いた直線みたいに平坦になっている。自然な減衰じゃない。
「……消えてる、んじゃない」
指が止まる。
「……均されてる」
誰かが荒らした痕跡を消した、という感じじゃない。最初から、そういう場所だったかのように書き換えられている。存在を否定するのではなく、“存在を前提にしない”ログ。
背中に、じわっと嫌な汗が浮いた。
「ログが……嘘をついてる」
凛華は、管制室の窓から外を見た。南区画の倉庫群が、夜の闇に沈んでいる。遠くに見える街灯の明かりが、ぼんやりと霧に滲んでいる。あの辺りは、元々人気がない。廃棄物の保管場所として使われていた倉庫が多く、魔獣の出現頻度も低い。だから、普段は誰も気にしない。
でも——だからこそ、何かを隠すには都合がいい。
別の警告ウィンドウが画面の端に浮かび上がっているのに気付く。
――個人配信、回線異常。
発信元:横浜港湾区画。
配信者名:つむぎ。
「……配信?」
思わず眉をひそめる。この区画は一般人の立ち入りを完全に禁じてはいないが、長居する場所じゃない。霊的にも、治安的にも。
ログを開くと、映像データは途中で途切れていた。音声も同様だ。ここまでは、ただの事故に見える。
だが。
「……チャットが、残ってる?」
凛華は、画面を指でなぞった。
通常、配信が切れればチャットも止まる。サーバーが生きていても、書き込む人間がいなければ意味がない。
それなのに、ログには発言が続いている。
『……?』
『映像止まってる』
『音、聞こえなくなった』
『今、誰か喋った?』
『でも、何か見える』
チャット参加者のID。
登録記録なし。接続元不明。それでも、発言形式だけは正規のフォーマットを保っている。まるで、配信システムそのものが"誰かの声"を拾い続けているみたいに。
「……視聴者じゃない」
呟いた瞬間、背筋が冷えた。
倉庫街南区画のログが"正常"になった時刻と、つむぎの配信が歪んだ時刻が、それとなく一致している。
「何かが、この区画を……観測できない場所にしてる?」
だから管理ログが静まり返り、だから配信が歪み、だから"見るはずのない声"が混じった。
凛華はマグカップを置いて、立ち上がった。椅子が軋んで、静かな管制室に音が響く。部下用の回線を開いた。
「南区画、現地の様子は?」
一拍遅れて、震えた声が返ってくる。
『ログが……見えません』
『いえ、正確には……何も起きていない、ことになってます』
「……そうか」
凛華は短く答えた。
視線を倉庫街の立体映像に戻した瞬間、別の警告が点灯する。港湾地区外縁部。高エネルギー転移反応。
瞬間移動。しかも、隠す気のない規模。
「……今度は、逆に派手だ」
報告が追いつく。
『港の外れで、構造物が……消えました。』
『いえ、待ってください。重力操作の痕跡です。物体が圧縮されて——』
凛華は、深く息を吐いた。
管理不能の、嘘をつくログ。そして、港湾地区で暴れる魔法少女。
「……多摩の、魔法少女か」
この横浜で、“隠す側”と“探す側”が同時に動いている。その狭間に、つむぎという少女がいる。
嫌な盤面だ。でも、逃げるわけにはいかない。数字を追い続けても、これ以上は何も見えてこない。“説明できそうで、できない”位置に留まっている。
分からない。正直、それだけだ。
誰がやっているのか。何のためにやっているのか。そもそも“誰か”なのかどうかすら、断言できない。
「……今は、考えてる暇ないか」
凛華はそう呟いて、ジャケットの襟を直した。この街では、答えを待つ時間が一番危険だ。
管制室を出て、非常階段を上がる。階段を踏むたび、港の匂いが強くなる。錆と潮と、古いコンクリートの匂い。懐かしくて、嫌な匂いだ。
屋上への扉の前で、足を止める。扉を開けると、夜風が一気に吹き込んできた。倉庫街の屋根の縁。街灯の切れ間。遠くに見える、黒い影。
——来る。
翼。
人の形をした、異物。
目が合った。
――ああ、これは。凛華は、胸の奥で理解する。
この魔法少女は、何も知らない。同時に、何も気にしていない。ただ、行く手を阻むものは粉砕する。それだけの存在だ。
……面倒なタイミングで来たな。
夜の港で、二人の魔法少女が、静かに向かい合った。何も分からないまま。それでも、もう――引き返せない場所で。
何卒、応援のほどお願いいたします。




