第25話 横浜編②
この物語はフィクションであり実在の存在とは一切関係ありません。
横浜港湾スラム。上空から見下ろすと、そこはもう街というより、腐った臓物の寄せ集めだった。使われなくなった倉庫、崩れた岸壁、放置されたコンテナ。夜でもないのに光は薄く、空気は濁っている。
俺は黒い翼を広げたまま、ゆっくりと高度を下げた。つむぎの気配を探る。でも——何も感じない。霊気、魔力、生命反応。いつもなら、すぐに見つかるはずの“あの軽い存在感”が、どこにもない。
まるで、この街全体が何かに覆われているみたいだ。
「……まずは、情報収集か」
声に感情は乗らなかった。怒りも焦りも、胸の奥に沈めたまま、スイッチだけを落とす。今の俺に必要なのは、正確さと速度だけだ。
俺は倉庫街の路地に降り立った。変身は解かない。この街では、弱そうに見せる意味がない。むしろ逆だ。
視線が刺さる。建物の影、割れた窓、屋上の縁。武装した気配、魔力反応、チンピラ。全部が俺を測っている。
――いいよ。まとめて相手してやる。
◇ ◇ ◇
歩いていくと、タバコを吸っている男が二人いた。薄汚れたジャケット、無精髭。目が俺を捉えた瞬間、明らかに空気が変わる。
「おい、魔法少女……? こんなとこに何の用だ」
「聞きたいことがある」
俺は一歩、近づいた。それだけで、二人は反射的に距離を取った。
「多摩から来たキャラバン隊、知らないか? 護衛の魔法少女が一人、消息を絶ってる」
「知らねえよ。俺らはただ——」
言い切る前に、周囲が軋んだ。
コンクリートが、ぎしりと鳴って、壁が、内側に歪む。床が、凹む。人間には触れていない。ただ周囲の重力だけを局所的に上げた。
「ち、ちょっと待て! 本当に知らないんだって!」
男の顔色が紙みたいに白くなる。
「じゃあ、誰が知ってる?」
「……情報屋なら、知ってるかもしれねえ。この先の倉庫街に——」
「案内しろ」
男たちは震えながら頷いた。俺は翼を収めて、彼らの後をついていく。路地を抜け、崩れかけたビルの間を通り、さらに奥へ。空気がどんどん重くなる。ここは完全に"裏の世界"だ。
やがて、古びた倉庫の前に着いた。扉には落書きが描かれていて、明らかに"関係者以外立ち入り禁止"の雰囲気が漂っている。男たちは扉を叩いて、中に声をかけた。
「おい、情報屋。客だ」
しばらくして、扉が開いた。中から出てきたのは、痩せた中年男。鋭い目つきで、俺を値踏みするように見る。
「……魔法少女か。珍しいな、こんなとこに」
「多摩から来たキャラバン隊。魔法少女が行方不明だ。知ってるか?」
「さあな。情報ってのはタダじゃねえんだよ」
俺は一歩、前に出た。翼が少しだけ広がり、空気が震える。情報屋は一瞬怯んだが、すぐに笑った。
「おいおい、脅しか? こっちにも縄張りってもんがあるんだぜ」
「体で払うか?――あんたの」
羽根が、情報屋の足元の地面に触れた。次の瞬間、地面が陥没した。アスファルトが砕け、穴が開く。落ちかけた情報屋は悲鳴を上げて後ずさった。
「わ、分かった! 分かったって!」
声が裏返る。
「キャラバンは港の倉庫エリアに入った! でも、それ以降は知らねえ!」
「誰が仕切ってる」
「……横浜連邦のトップだ。元、港東会の若頭補佐……関屋竜司。通称、港の龍」
名前を聞いた瞬間、記憶が繋がる。
関凛華。
「……場所は?」
「この先の封鎖された倉庫街。治外法権エリア……魔法少女でも、簡単には――」
言い終わる前に、視界が切り替わった。
◇ ◇ ◇
倉庫の屋根。瞬間移動した直後、俺は一瞬だけ“街のざわめき”を拾った。
電脳の裏チャンネル。
港湾スラム特有の、他地域に出ない回線。それが、波紋みたいに一斉に揺れている。
『多摩の魔法少女が来てるぞ』
『いや、あれ魔法少女ってレベルじゃねえ』
『バイクを丸めて鉄球にしたって話だ』
『質問? そんなもんしてねえ。尋問だろ』
短い断片が、ノイズ混じりに流れ込んでくる。
『多摩の怪物魔法少女が暴れてる!』
『魔法少女も容赦なく無力化してるらしい』
『話、全然聞かねえぞアイツ!?』
『横浜に“殴り込み”に来たのか?』
……誤解が、もう回り始めている。
俺が誰かを探していることも。誰も殺していないことも。そんなのは、どうでもいい情報だ。“結果だけ”が独り歩きする。それが、この街の流儀。
横浜の裏側が、確実に俺を敵として認識し始めているのが分かった。
魔法少女。侵入者。暴力。
全部まとめて、同じ箱に放り込まれる。
「……好きに言えばいい」
俺は屋根の縁に立ち、倉庫街の奥を見る。
誤解でも敵視でも、構わない。今はただ――見つける。それだけだ。
◇ ◇ ◇
封鎖された区域。周囲には鉄条網が張り巡らされ、武装警備が巡回している。でも、俺には関係ない。
俺は瞬間移動で、封鎖区域の上空へ跳んだ。警備員たちが気づいて叫ぶが、もう遅い。俺は屋根に降り立ち、周囲を見渡した。
屋根から屋根へと跳びながら、つむぎの気配を探った。修験道の力で、周囲の霊気を感じ取る。生命の気配、魔力の流れ、そして——
——見つけたか?
微かだけど、確かにつむぎの気配がする。倉庫街の中心部、一番大きな倉庫のさらに奥。そこに、つむぎがいる。
俺は翼を広げて、その倉庫へ向かって飛んだ。風が顔に当たり、髪が激しく揺れる。もう誰も止められない。つむぎを取り戻すまで、俺は——
そのとき――前方の空気が、変わった。
殺気というより、もっと静かで、でも確実な"圧"。俺は反射的に止まった。
倉庫の屋上に、一人の少女が立っている。艶のある長い黒髪。腰まで真っ直ぐ落ちている。前髪は少し長めで、片目にかかる。目は深い翡翠色。表情は落ち着いていて涼しげ。黒のライダースジャケット、スキニーパンツ、厚底ブーツ。
——変身はしていない。でも、その佇まいには確かな"強さ"がある。
「……あんた、誰だ」
俺は警戒しながら、距離を取った。少女は静かに俺を見つめている。風が吹いて、黒髪が揺れる。その瞳には、何の感情も浮かんでいない。
「多摩から来た魔法少女か。派手にやってるらしいな……」
少女の声は、低くて落ち着いている。でも、裏社会のそれだ。感情を殺した人間の声。
俺は翼を広げた。黒い翼が、少女に向かって伸びる。でも——少女は動かない。まるで、俺の攻撃を恐れていないかのように。
少女は一歩、前に出た。その動きに、何の迷いもない。
「おまえさんがこれ以上うちの街を荒らすなら、止めるしかねえな」
「……あんたが、横浜連邦のリーダーか」
少女は少しだけ目を細めた。
「そうだ。関凛華。覚えとけ!――この街を守る『関聖帝君』の魔法少女だ」
何卒、応援のほどお願いいたします。




