第2話
残り時間は3分を切っていた。
チャット欄を眺めても、誰も現れる気配はない。このまま放置すれば、駅前で魔獣が暴れ回る。死人が出る。最悪、俺の住んでるマンションまで被害が及ぶ。
「……チッ、しゃーない」
立ち上がって、部屋の中央に立つ。カーテンを閉めて、誰にも見られていないことを確認して——変身する。
意識を集中させた瞬間、ツインテールが意思を持ったように蠢き始めた。黒髪がするすると伸びていく。長く、長く、どこまでも。そして形を変える。側頭部から左右に展開していく黒い帯状の"翼"。
各二メートル近い長さ。黒い細長い羽根が合わさり、滑らかな黒い帯のように、それでいて確かな質量を持つ翼。これが俺の最大の武器だ。自在に動かせる。まるで自分の腕のように、思い通りに。触手のようにしなやかに、刃のように鋭く、盾のように強固に。
同時に、服装が変わっていく。
まず黒縁の眼鏡が消え、普段着のTシャツとデニムのホットパンツが光の粒子に溶けて、白いブラウスと黒のフレアスカートに変化する。胸元には紫色のリボンが結ばれ、ふわりとスカートが翻る。脚部には黒のニーハイソックスと、赤いハイヒールのサンダル。
そして、頭の上に小豆色の六角形の頭襟が現れる。
修験者が被るアレだ。これが案外お気に入り。シンプルでかわいらしい。俺の魔法少女特性の"証"でもある。
変身完了。
視界の端に表示された予測地点を確認し、近辺の物陰の、以前、コンビニ帰りに通った路地裏を思い浮かべる。俺の能力の一つ、一度行ったことのある場所への瞬間移動。
次の瞬間、景色が切り替わった。
立川駅北口から少し外れた路地裏。薄暗い狭い空間。ゴミ置き場の臭いが鼻を突く。姿を隠して待機する。電脳のインターフェイスには、カウントダウンが表示されている。
残り、30秒。
20秒。
10秒。
目の前の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
まるで現実に亀裂が走ったみたいに、黒い裂け目が生まれる。ゲートだ。ゆっくりと、じわじわと広がっていく漆黒の穴。その奥から、何かが這い出てくる。
——でかい。
予測よりも、遥かに。
脅威レベルBのはずが、視界に表示された情報が書き換わる。【脅威レベル:A】
立ち上がれば、ビルの5階ほどの体高になるだろう巨体。捻じれた巨大な角。頭から背中にかけて流れる白銀の鬣。全身を覆う漆黒の毛皮。
熊——いや、熊だった何か。
魔獣が完全に姿を現した瞬間、周囲に自動でLIVE配信が開始される。電脳システムが勝手にカメラアングルを設定し、全世界に向けて映像を流し始める。
俺は物陰から、そっと配信画面を確認した。
カメラは魔獣を中心に捉えている。周囲の建物、逃げ惑う人々——そして、まだ魔法少女の姿は映っていない。
完璧だ。
黒い翼を広げ、音もなく跳躍する。魔獣の背後、カメラの完全な死角。翼が俺の体を支え、空中で静止させる。魔獣は俺の存在に気付いていない。鈍重な動きで、駅前へと歩き出そうとしている。
——今だ。
意識を集中させる。俺の能力——石槌山法起坊としての力。見えない黒い点が、魔獣の中心に収束していく。見えない力の檻が、巨体を締め上げる。
LIVE配信に、異様な光景が映し出された。
魔獣が一瞬、ぎゅっと締め付けられるように動きを止める。そして、その中心に、物凄い力で吸い込まれていくように丸く縮んでいく。5階建てビルほどの巨体が、みるみる小さくなる。3階、2階、1階、そして、黒い球体へと圧縮されていく。
最後には拳大ほどの、漆黒の球。
それすらも、見えない黒点となって消滅した。
跡形もなく。
配信のチャット欄が、一気に爆発した。
『は?』
『今なにが起きた????』
『魔獣が消えたんだが????』
『魔法少女どこ???? いた????』
『リプレイ見ても何も映ってないんだけど』
『バグ??? いや魔獣は確かに消えたぞ』
完璧だ。
俺は意識を集中させ、自室へと瞬間移動する。景色が一瞬で切り替わり、見慣れたワンルームの部屋が視界に広がる。誰にも気付かれず。誰にも見られず。
変身を解除する。黒い翼が光の粒子となって黒髪に変わる、服装が普段着のTシャツとホットパンツに戻る。頭襟も溶けるように消失し、代わりに黒縁の眼鏡が現れる。髪は元のツインテールに。
ベッドに寝転がって足をばたつかせながら、電脳を起動させ、掲示板を開く。
案の定、大炎上していた。
【速報】立川駅の魔獣、なんか潰れる、みたいなスレッドが乱立している。
『魔法少女の姿が一切映ってない件』
『新しいタイプの能力か????』
『ていうか脅威レベルA相手に一瞬で倒すとかヤバすぎだろ』
『立川にそんな強い魔法少女いたっけ????』
『東京のどっかの強い奴が動いた????』
憶測が憶測を呼び、議論は加熱していく。誰も正解に辿り着けない。当然だ。俺は意図的に姿を隠しているんだから。
名前も、能力も、まだ世間には出ていない。
石槌山法起坊——この力の正体を知る者は、俺以外に誰もいない、よな。
「……ま、このくらいが丁度いいよね」
仰向けになって、天井を見上げる。
目立たず、静かに、ひっそりと。それでいて、必要な時には動く。これが俺の生き方だ。英雄になんてなりたくない。ただ、生き延びたいだけ。
でも——
掲示板の騒ぎを眺めながら、俺はほんの少しだけ、口元を緩めた。
こういうのも、悪くないかもね。
部屋に静寂が戻る。窓の外では、相変わらず世界が狂ったまま回り続けている。でも今夜の立川は、少しだけ静かだった。
何卒、応援のほどお願いいたします。




