第12話
この物語はフィクションであり実在の存在とは一切関係ありません。
視界の先に、小さな女の子。茶色の髪、ピンクのリュック。崩れた店舗の前で、座り込んでいる。泣いている。膝を抱えて、ぎゅっと縮こまっている。その周囲には、缶詰やビスケットの包装が散乱していた。きっと、食べ物を探しに来たんだ。
そして、その背後から——
巨大な影が迫っていた。
魔獣。犬——いや、狼型。体高は2メートル以上。全身が黒い毛に覆われ、赤い目が光っている。牙がむき出しになっていて、口からは涎が垂れている。低い唸り声を上げながら、ゆっくりと女の子に近づいていく。
「くそっ!」
かえでが速度を上げる。俺も追随する。でも、距離がある。50メートル。40メートル。
魔獣が飛びかかろうとした——その瞬間。
かえでが間に合った。
「触んな!」
地面を強く蹴って、魔獣と女の子の間に割り込む。手元に出現した金剛杵で、魔獣の顎を下から殴り上げた。
ゴッという鈍い音が響く。空気が震える。魔獣の頭が跳ね上がり、身体が宙に浮いた。かえでの怪力、想像以上だ。小柄な体から放たれる一撃が、2メートルの魔獣を吹き飛ばした。
でも、魔獣は怯まない。空中で体勢を立て直し、地面に着地する。そして再び、低い唸り声を上げながら飛びかかってくる。今度は本気だ。牙が光り、爪が地面を抉る。
かえでが金剛杵を構えて受け止める。金剛杵と魔獣の牙がぶつかり合い、火花が散る。でも、押される。体格差がありすぎる。魔獣の体重が、じわじわとかえでを押し潰していく。
「っ……重い……!」
かえでの足が地面に食い込む。靴底が削れて、アスファルトに亀裂が走る。必死に踏ん張っているけど、限界が近い。
——今だ。
俺は空中から、魔獣の背後に回り込んだ。黒い翼を刃のように展開する。重力を乗せて、刃圧を最大まで高める。空気が歪む。周囲の霊気が、翼に収束していく。
「絶断翼刃!」
翼を一閃させた。黒光する刃が、魔獣の背中を切り裂く。切断面が焼け焦げて黒く輝き、魔獣の肉体が深く裂かれる。魔獣が悲鳴を上げて、かえでから離れた。
血——いや、黒い霧のようなものが傷口から噴き出す。魔獣は苦しそうに身体をよじり、俺を睨みつけた。赤い目が、憎悪と怒りに燃えている。
かえでが地面を蹴って、追撃に入る。金剛杵に赤い霊気が纏わりつき、炎のように揺らめく。彼女の目も、鬼の琥珀色に輝いている。
「前鬼の咆哮!」
鬼の雄叫びが、周囲の空気を震わせた。低く、でも力強い声。魔獣が一瞬怯む。その隙を逃さず、かえでは金剛杵を振り下ろした。赤い霊気を纏った一撃が、魔獣の頭部を叩き潰す。
ゴッ、という音とともに、魔獣の頭が地面に沈み込む。アスファルトが砕け、周囲に亀裂が広がる。魔獣は最後の呻き声を上げて、光の粒子となって消え去った。黒い霧が風に吹かれて散り、静寂が戻ってくる。
沈黙が流れた。
かえでは息を切らしながら、金剛杵を下ろした。赤い霊気が消えていく。彼女の肩が上下していて、額には汗が浮かんでいる。
そして——女の子のもとに駆け寄った。
「アッコ! 大丈夫!?」
「かえで、ちゃん……」
女の子——アッコ——は泣きながら、かえでに抱きついた。小さな手が、かえでの背中にしがみついている。かえでは、優しく女の子の頭を撫でる。鬼の角が消えて、普通の女の子に戻っている。
「もう大丈夫。ゴメンね、頑張ったね」
かえでの声が、震えていた。安堵と、それから——まだ残っている恐怖。もし間に合わなかったら、と考えてしまう恐怖。
俺は少し離れた場所で、その光景を見守っていた。変身を解除する。黒い翼が光の粒子となって消え、黒縁メガネをかけた普段の姿に戻る。
かえでが俺を見た。複雑な表情。感謝と、それから——何か別の感情。
「……あ、ありがと」
「かえでが守ったんだよ。私は、ちょっと手伝っただけ」
「……そんなことない」
かえでは女の子を抱きかかえたまま、俺をまっすぐ見た。
「アンタいなかったら……アッコ、やばかった。ついでにあたしも、ちょっとだけ危なかったかも……?」
最後の言葉を、わざと軽く言う。でも、目は真剣だ。本当に危なかったことを、彼女自身が一番分かっている。
「あたし、この子たちを守るって決めたのにさ。何度も危ない目に遭わせて……。今日も、目を離した隙に……」
かえでは唇を噛んだ。自分を責めている。
俺は、ゆっくりとかえでに近づいた。
「かえで。一人で全部やるの、無理だよ」
「……分かってる。でも、他に誰もいないし」
「いるよ。今、ここに」
かえでが顔を上げた。俺を見る。琥珀色の目が、まっすぐ俺を捉えている。
「……アンタ」
「うん。私と、多摩の仲間たち。力貸すよ」
かえでは、少しだけ目を見開いた。そして——
「……アンタ、今からあたしと戦ってよ」
「……は?」
突然の提案に、俺は固まった。かえでは真剣な顔で続けた。
「あたしと勝負してよ。アンタがホントに強いのか、この子ら守れるレベルか、あたしが直で見てあげるから」
——ああ、そういうことか。
かえでは、俺の覚悟を試したいんだ。口だけじゃないか、確かめたい。それに、もしかしたら——戦いたいんだ。孤独に戦い続けてきた、同じ魔法少女と。
俺は、少し笑った。
「おっけー」
かえでは、ニヤリと笑った。初めて見せる、子供らしい笑顔。八重歯が、ちょっと覗いている。
「ま、期待外れのざぁこじゃなきゃいいんだけどねぇ~」
「……言ってくれるじゃん。なら手加減は、あんま期待しないでよ」
かえではさらに口角を上げて、ふんぞり返る。
「へぇ〜? その余裕、後で泣いても知らないんですけどぉ」
「泣くのはそっちじゃない?」
俺が軽く煽りかえす。かえではちょっとムッとして鼻を鳴らす。
女の子——アッコ——が、不安そうに見ている。
「かえでちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だよ。あたしのが、絶対強いんだから」
かえでは、女の子の頭を撫でた。優しい手つき。まるで、本当の姉のように。
風が吹いて、俺の黒髪のツインテールが揺れる。かえでの赤いツインテールも、同じように揺れていた。秋の日差しが街を照らし、廃墟の影が色濃く際立っている。世界は狂ったままだけど、ここには確かに、守るべきものがある。
かえでは俺を見て、挑戦的に笑った。
「じゃ、行こっか。決闘」
「決闘って……まあ、いいけど」
俺も笑い返した。この子を、多摩に連れて帰る。絶対に。
何卒、応援のほどお願いいたします。




