四の五の言わず離婚届にサインをしてくれません?
麗らかな春の日差しが降り注ぐ庭に、子どもたちの元気な声が響き渡っています。
窓の外を見ますと、夫である公爵自らが剣術を二人の子どもたちに教えているところでした。
その側には微笑ましげに見ているメイドがいます。
その窓に映るのは銀髪を結い上げ、紫紺の瞳を外に向けている私。
私はアルディーラ公爵夫人として順風満帆な人生を……ガラスに映る私の顔が歪みます。思わず手にしていた書類をクシャリと握りつぶしてしまいました。
いけない。いけない。
慌ててシワを伸ばすも……
「書き直しかしら?」
「書き直しですね」
私の独り言に答えたのは、この屋敷を取り仕切っている執事です。黒髪の青年が黒縁メガネを押し上げながら言ってきました。
「はぁ、レイン。これ以外の書類はできているから持っていってもらっていいわ」
私は目の前から書類の束を無くしたいと、持っていくように促すも、レインは私の隣で窓の外を見ています。
「旦那様が居ないと思っていましたら、サボりですか」
はい。いい加減に仕事をしろと言う言葉が出かかって、止めた私は偉いと思います。
もし、それを言っても『今からしようと思っていた』という心にも無い言葉が返ってくるだけですから。
「それもメリーエルンは別棟の担当にしたはずですが?」
「はぁ、それを言っても家族団欒の時間は必要だと屁理屈をコネだすだけよ」
そう、あのメイドは夫の愛人。私が婚約者をしているときからの愛人。そしてあの子どもたちは夫と愛人の子。
『は? 私が公爵夫人でなくてもよかったわよね』
結婚式の当日に、そう言葉が出てしまっても仕方がないと思います。
すると『メリーを公爵夫人になんて可哀想だろう?』という意味がわからない答えが返ってきたのです。
それは、私が可哀想ってことなのでしょうか?
そのあと話し合いという名の口喧嘩が始まり、初夜というものの代わりに夫の胸ぐらを掴んで問い詰めるという事態に陥ったのです。
それからというもの夫のユーリウスは、愛人のメリーエルンのところに入り浸るしまつ。
当時ご顕在だったアルディーラ公爵に相談し、愛人のメリーエルンを別邸に移すということになったものの、その後直ぐにアルディーラ公爵が倒れられ、その話は有耶無耶になってしまったのです。
夫のユーリウスが公爵に立てば、姑のマリエッタ様が子供はまだなのかと顔を合わすたびに言ってきて、メリーエルンはできのいい子だと褒めるのです。
だったら、メリーエルンを公爵夫人にすればよかったのに、男爵令嬢という立場が彼女を守っていたのです。
そう、男爵令嬢でしかないメリーエルンでは公爵夫人という役目を担うのは酷というもの。それが夫のユーリウスの言い分です。
あの幸せそうな家族団欒の姿を見ていても、苛つくだけですので、先程の書類を書き直しましょう。
「奥様。先程、国王陛下より奥様宛の手紙が届きましたが、こちらで読まれますか? それともお部屋の方にお持ちいたしましょうか?」
「ここで読むわ」
至急の仕事は大方終わりましたので、手紙ぐらい読む暇はあります。
レインが銀のトレイに載せて持ってきた信書を受け取り、国王陛下の印が刻まれた封蝋を切ります。
そして中から取り出した手紙に目を通して……
「もう、この時期に入ってくるの?」
勢いよく立ち上がってしまったために、座っていた椅子が後ろに倒れてしまいました。
「奥様。如何いたしましたか?」
「レイン。契約満了よ」
私は慌てて、執務室に備え付けてある戸棚を漁り、必要なものを取り出していきます。
「契約満了とは……まさか」
「そう、あなたとの契約は終わりよ」
そう言いながら、レインを執事としたときの契約書を引っ張り出し、期日を記入し契約終了のサインをします。
レインは伯父である国王陛下に紹介してもらい、執事として契約をした者なのです。
私の味方がいないアルディーラ公爵家では、ことがなにも進まず苛ついたのです。そして私は、母の兄である国王陛下に泣きついたのです。
アルディーラ公爵を闇討ちするか。アルディーラ公爵家の中を采配できるものを紹介してくれるかをです。
流石に闇討ちは却下されました。代わりにレインを紹介してくれたのです。
「レインハルト殿下。今までのご無礼を許していただきたく存じます」
そう、伯父である国王陛下は庶子であり王位継承権がない第一王子を私にあてがったのです。
いわゆる従兄妹であり、それなりに顔を合わせていた仲でした。『陛下。もしかしてボケが始まりましたか?』と思わず言ってしまったぐらいの衝撃があったのは事実です。
まぁ、この話からわかるように、国王陛下でさえ、王妃を迎える前に愛人がいたという事実。心の中で地獄に落ちろと思ったのは、墓まで持っていこうと思っています。
「突然ですね」
「突然ではありますが、事前には言っておりましたよ」
「それにミレーネに敬語を使われると悲しくなりますね」
執事に敬語を使うべきではないと言ったのは、レインハルト様ではないですか。
私は国王陛下からの手紙をレインハルト様に見せます。
「ベルグランダ地方で謎の奇病が広まっていると報告が入ったそうです。厄災の始まりの兆しです」
「はぁ、本当にミレーネの言う通りのことが起こったのですね」
私には前世というものの記憶があります。まぁ、私自身はこれと言って突出するものもなく平凡な会社員だったのです。が、何故死んだのかは覚えていません。辛い記憶は忘れてしまったのでしょうね。
しかし愛人という存在に殺意を覚えますので、おそらくこの辺りで何かがあったのでしょう。
そして、この世界と類似した漫画があったことを、愛人の子供を目にしたときにふと思い出したのです。
『あら? この子が大きくなれば、あの物語のヒーローっぽいわね』と。
物語はよくある聖女の異世界召喚から始まるのです。そして主人公の女性は、誤って巻き込まれた系。正義感の強い公爵令息に恋をするという物語です。
まぁ、本当の聖女は主人公だったという話なのです。が、その正義感の強い公爵令息には継母がいて、自分の母親を殺した悪女に復讐したいという……その継母が、私そっくりだと……
ですが、物語の公爵夫人の殺意が芽生える理由がわかるわ。と逆に納得しました。
それに夫の公爵もそっくりだと。
そして、聖女を召喚しなければならない事態に陥るのが、世界を襲う厄災なのです。
最初はある地方で奇病が発生し、徐々に広まっていき、魔物の狂暴化が各地で発生し、人々は生きることもままならない状況に陥るのです。
原因は古の勇者が封印したという伝説の悪竜の封印が解けかけたことでした。
悪竜の吐く吐息に混じる毒に人や魔物が汚染され、奇病や狂暴化が起こったのでした。
封印が解かれ暴れまわっていた悪竜は、主人公の女性と仲間たちの手により討ち滅ぼされて、めでたしめでたしで終わるのです。
よくある感じの物語です。しかし、大まかな流れは覚えているものの、詳細などさっぱり記憶にはありません。
どこから奇病が広まっていったとか。悪竜の封印の場所とか。どこで何があったかです。
それも私が今いる時間軸は、主人公が召喚される前。
私が悪竜を討伐するのかと言えばそんなことはできません。
これは私の中での基準にしようと決めていただけです。ここから逃げる基準です。
正義感の強い公爵子息に、継母が殺されるのですよね。
今現在メリーエルンは健在で、私は何もしていません。ということは、私は未来でもメリーエルンに何もしなかった可能性が高いです。
始末するなら、結婚して三年間の間にしていますもの。
ということは、厄災で亡くなった可能性が出てくるのです。
冤罪で殺されるなんてまっぴらごめんですわ。
まぁ厄災のことは国に任せます。
さて、私は夫のところに行きましょうか。
どうぞこのまま家族団欒を続けてくださいと。
契約の完了をしたレインハルト様には、そちらでの引き継ぎをお願いをしました。そして、私は庭からサロンに入って、くっちゃべって……団欒を楽しんでいる夫の元に行きます。
無礼な感じでサロンの扉を開きました。
礼儀をもって入室許可を待っても待たされるだけですからね。
「何用かね? 突然」
驚きの声を上げている夫の前に1枚の書類を突きつけます。
「国王陛下から離婚の許可をいただきました。ここにサインをしてくださいませ」
何度も離婚を願っても受け入れられなかったので、伯父である国王陛下の権力を思いっきり行使します。
離婚の理由としては、結婚して三年の間に子供ができなかったことです。
私がアルディーラ公爵夫人としてふさわしくないということにするのです。
ええ、それはやる事をやっていなければ、子供などできません。しかしここは、私が悪いという話にもっていって、新しい嫁でも貰いやがれと突きつけるためです。
「突然なんだね? 今は忙しいのだよ」
見ていただきたいとお持ちした書類を放置して、優雅にお茶を嗜んでいる人に忙しいと言われたくないです。
「あら? 早めに目を通してほしいとお渡した書類が一向に戻ってこないほどですものね? 第一王子殿下の十歳のお誕生のお祝いの品がアルディーラ公爵家だけないという醜態をさらさなければよろしいですわね」
「それを早く言え、もう一ヶ月ないではないか!」
何を今更慌てているのでしょうか? 私は半年前から何度も催促をしておりましたよ。
「去年の秋にお渡しした書類が発掘できるとよろしいわね。それよりも旦那様? ここにサインをいただけますか?」
「そんなもの後でもいいだろう! 先に第一王……」
「旦那様? 国王陛下のサイン入りの書類が目の前にあって無視をするつもりですか?」
慌てて立ち上がって何処かに行こうという夫の前に立ちふさがります。そして離婚届を突きつけました。
なんのために伯父様に頼んで一筆書いてもらったと思っているのです。この国の貴族であるなら、国王陛下の名が記された物を無視するなど不敬。
逃げ場をなくしてサインをするしかないという状況を作るためなのです。
「ちょっと待て、どうして今なのだ。一ヶ月後には第一王子の祝賀パーティーにでるのだろう」
絶対に今の今まで、祝賀パーティーのことなどこれっぽっちも頭にありませんでしたわよね。
だって、パーティー用のイブニングを作ったという話は聞いていませんもの。
私はにこりと笑みを浮かべます。
「もちろんパーティーには出席しますわ。従兄弟の誕生日パーティーですもの」
庶子であるレインハルトさまと、表向きは第一王子のルベールシルア様との間に十五歳の差があるのです。それは王妃様が中々決まらなかったというのがあるのです。
ええ、愛人問題です。
「私はミレーネ個人として参加させていただきます。どうぞ旦那様はそこのメリーエルン様でも新しい奥方様でも伴って出席してください」
「そんな横暴が通ると思っているのか!」
「いますわ。王命ですもの。だからサインをしてください。それとも王命に逆らうのですか?」
たかが離縁如きで国賊と呼ばれることになるのですかと問いかけます。
「ミレーネ様。王命とは言え、それはあまりにも……」
「おだまりなさい! 私はあなたに発言していいとは言っていませんわよ」
だいたいメリーエルンが口を出すからややこしくなるのです。夫の愛人という立場を貫くなら、この話には口を出さないでいただきたい。
「それとも、私の代わりにあなたが公爵夫人を名乗ってもいいのよ?それであれば、名実ともに旦那様の妻を名乗れますのよ?」
私がそう言えば押し黙るしかないメリーエルン。
公爵夫人には多くのものがのしかかってきますからね。それから逃れたいメリーエルンとしては、首を縦に振ることはないでしょう。
所詮、今の現状に満足してしまった浅はかな女ということです。
「ミレーネ! メリーエルンを責めるな!」
「は? 私はあなたが公爵夫人になれば、すべてが丸く収まるのだと遠回しに言っただけですわ。それとも馬鹿でもわかりやすく言ったほうがよろしいかしら?」
「ミレーネ!」
「だったら、若くて美人で気立てがいい奥様でも迎えてくださいな。それでサインをしてください」
ほら、メリーエルンのことになると直ぐに顔を真っ赤にさせて怒り出す。
「それとも私が紹介させていただいたほうがよろしいかしら? フェリヴァール侯爵令嬢など如何かしら? 十八歳で先日婚約破棄されたばかり、きっと旦那様と愛人のメリーエルン様のことには口出しなどしてこないでしょう」
「フェリヴァール侯爵令嬢とは……あれだろう? 婚約者のハイレイヤー伯爵子息を殴ったという」
「それが何か?」
「私が殴られたらどうする!」
……初夜で殴った私に、それを聞くのですか? 殴られればいいと思いますわ。
「ではコンディーラ公爵令嬢は如何でしょう? まだ、十二歳ですが、貴族としては許容範囲の年齢差ですわ」
「その幼さで公爵夫人が務まるとは思えない」
わがままですわね。でしたら……
「エアディーフェン侯爵夫人は如何かしら? 二年前に侯爵を亡くされて御子息を侯爵に立てるまではと頑張っていらっしゃいますわ」
「私より年上ではないか」
「は?」
その言葉に思わず手が伸びてしまいました。
「相変わらずグチグチと、碌々の人物とは、旦那様のことを言うのですわ」
「ろくろく?」
嫌味も通じない。
能力が乏しくて役に立たないという意味ですわよ。とはいちいち教えませんわ。
「四の五の言わずに、さっさとサインをしてくださいませ!」
「ミレーネ。首が締まっている」
それは胸ぐらを掴んで締め上げているので少々息苦しいかもしれませんわね。
「旦那様! 誰か! 誰かいないの! 旦那様が!」
うるさいわね。二人で居たいために他の使用人を遠ざけたのがアダになっているのよ。
それから、他の使用人たちはレインに集められて今後のことを報告されているから、当分の間はこないわよ。
「何故。誰も来ないの!」
「使用人であれば、あなたがいるではないですか、メリーエルン。しかし公爵夫人という立場であれば、旦那様を助けることはできましてよ」
顔色が青白くなってきた夫と私にオロオロと視線を向けるメリーエルン。
「わ……わかりました。私が公爵夫人になります! その手を離しなさい!」
「そう。でもサインをされないと、私が公爵夫人のままよ。大変ね?」
口の端からアワがこぼれ出だした夫を見て、ペンを握り見覚えのある夫のサインをしだすメリーエルン。
普通であれば『まぁ。お上手なこと』と嫌味を言うところです。が、どうしても夫のサインが必要なときはメリーエルンがサインをしているのを知っているので、黙って差し上げますわ。
さて。私は夫……元夫から手を離して、代わりに離婚届を手に取ります。
とても晴れ晴れとした気分ですわ。
「それではアルディーラ公爵。愛人のメリーエルン様。ごきげんよう」
私は、今の現状では愛人でしかないのだと、メリーエルンに再認識させてサロンから出ていきます。
国王陛下からの許可が下りるとよろしいですわね。
私は私室に戻って、必要なものだけを旅行鞄に詰めていきます。とは言っても見た目は普通の四角い旅行鞄ですが、倉庫一棟ぶんぐらいの容量は入る不思議鞄です。
いわゆる空間拡張とか言うものですわ。
その中に私物を放り込んでいき、アルディーラ公爵家の物はそのまま置いていきます。
私にとって嫌な記憶しかないここでの出来事を思い出すものは必要ありません。
あ、でも領地の采配はとても興味深く勉強のしがいがありましたわね。
それもレインのお陰でした。私一人では何も成せなかったでしょう。
旅行鞄を持って部屋の外に出れば、黒髪の黒縁メガネをかけた執事が立っていました。
「奥様。お荷物をお持ちします」
「もう、奥様じゃないわよ。出戻りのお荷物になるだけよ」
お兄様に頼み込んで、領地の端にでも住まわせてもらわないと。でも、今までに貯めた個人資産で旅行をするのもいいかもしれません。
結局、レインに鞄を持ってもらい、馬車に乗り込みました。王家の家紋入りの馬車でしたが、これはどういうことなのでしょう?
ああ、伯父様に挨拶をしろってことね。
ついでに離婚届の書類を直接渡しましょう。
「ミレーネ。サインはもらえたのですか?」
向かい側に座るレインからの言葉に頷きます。
「ええ。いつも通りメリーエルンが書いたサインですわ」
そう言って、離婚届をレインに見せます。見慣れたメリーエルンのサインに目を細めるレイン。
そう、初めから四の五の言い訳をする夫……元夫からサインをもらうことはせずに、メリーエルンを動かしてサインをさせる作戦だったのです。
上手くいってよかったですわ。
私がもつ離婚届を手に取り、筒状に丸めています。そして執事として必須アイテムの懐中時計ではなくて、魔導式時計の蓋を開き、出現した魔法陣に筒のように丸めた書類を押し付けるレイン。
すると紙の筒は魔法陣に溶けるように消えていきました。
離れていても手紙などをやり取りできる便利な魔法陣です。まぁ、使用できる人は決められていますけどね。
こんなものが一般に出回れば、地下で暗躍する組織などやりたい放題になってしまいます。
するとその魔法陣から別の封筒がでてきました。
その封筒をレインは私に差し出してきます。裏を見ますと国王陛下の封蝋の印がおされています。
何かしら?
首を傾げていると向かい側からペーパーナイフが差し出されてきました。
それを受け取り封蝋を切ります。
中を見ますと、二枚の用紙が入っています。取り出して手紙を開くと、最初に季節の挨拶から始まり、私のアルディーラ公爵領でやってきたことを高く評価すると書かれていました。
ええ、前世の記憶から引っ張ってきたものですけど。しかし、私一人では何もかたちにはならなかったでしょう。
「ん? カリオディル?」
とある地名の名が飛び込んできました。王家の直轄地のカリオディルの領主に命じる?
王家の直轄地というには大して特産もなく、良くも悪くもない地です。もしかして、ここをテコ入れしろということですか?
その下に視線を向ければ……
「は?」
思わず目の前のレインを見てしまいました。
そして、二枚目の紙を下から引っ張り出します。
「婚姻届ー!」
はしたなくも叫んでしまいました。しかし、そんなことよりも、その婚姻届をレインの方に向けます。
「どういうことですか! レインハルト様!」
婚姻届には既にレインのサインがされているではないですか!
「書いてあるとおりですよ。ミレーネ」
いやいやいやいや。どうして、私がレインと結婚してカリオディルの領主に?
「初めて会ったときから、お慕いしていました。ミレーネ姫」
いつの間にか、隣に座っているレインから手を取られていました。視線を上げると王家特有の銀髪に紫紺の瞳の青年がいるではないですか!
それに初めて会ったときって……私はサァーっと血の気が引いていきます。
あのときは前世の記憶など思い出してもいない五歳児。
目の前のレインを女の子だと思いこんでいたのです。ええ、とても可愛らしい女の子だと。
それはもう……夏なのに池を凍らせて滑ったりとか、王城の中でおいかけっとだと言って走り回ったりとか、王城の地下で肝試しだと言って探検したりとか……全然女の子らしくない遊びだと?
いや、前世の記憶がなくても私は私だったらしく、御城にいるお姫様って走り回ったりしなさそうだと思って、振り回していた記憶しかありません。
「その汚点は記憶から消去してください」
とても令嬢らしくなかったと、今では闇に葬りたい所業です。
「レインハルトという者は表には出せない存在ですから、一緒に遊んでくれたことは、私にとって大事な思い出です。だから、忘れませんよ」
はい。その国王陛下の愛人問題が原因でした。あの国王陛下はシスコンだったのです。
私の母ではないですよ。
まぁ近親相姦は前世でもあったという歴史があります。が! その先代の国王陛下が身分のない女妾に産ませた子が、国王陛下の愛人なのです。
はい。レインをみてわかるように、幼い私が女の子と間違えてしまったことからわかるように、愛人であるレインの母親は月下美人に例えられるほど綺麗な方なのです。
国王陛下がベタ惚れの所為で、正妃様が中々決まらなかったのです。
「この三年間は私にとってとても充実した日々でした。レインとして人々の前にでて普通の人として過ごしてきたのです」
存在しない者として扱われてきたレインにとって、アルディーラ公爵家での執事としての日々は新鮮だったのでしょう。
「私には伴侶を選ぶという権利はありませんが、どうか私の手をとっていただけませんか?ミレーネ姫」
伴侶を選ぶ権利はないですか。確かにレインの立場からいけばそう言わざる得ないでしょう。
……国王陛下。これはもしかして、三年前に私が泣きついたときから画策していたとかいいませんわよね。
しかし、アルディーラ公爵家からやっと解放されたので、これ以上わがままを言って母やお兄様を困らせることはできません。
それにまた、レインと共に領地改革をするのもいいでしょう。
「私でよろしければ、喜んでお話を承ります」
すると取られていた手が引っ張られ、レインの方に身体が倒れてしまいました。
きょ……距離が近いです! っていうか、何故に抱き寄せられているのですか!
「ミレーネがいいのです。それにしても、私が父を説得している間にアルディーラ公爵子息と婚約してしまうなど、どれほど焦ったことか」
ん?
「あの者の好みそうな女を探し出して、あてがったかいはありましたね」
「はい?」
「これからは夫婦として共に過ごしましょう」
ちょっと待ってください。元夫の愛人はレインが用意したと言っています?
それから私はまだ婚姻届にサインはしていませんわよ。
「これからの話をする前に、サインをしていただけますか? ミレーネ」
綺麗な笑顔を浮かべているレインから右手にペンを持たされ、サインをするように促されてしまいました。
サインする前に聞きたいことがあるのですが、よろしいかしら? これはどこまでがレインの画策だったのでしょうか?
*
「レイン……ハルト様。その前に確認してもよろしいでしょうか?」
いけない。この状況に思わず呼び捨てをするところでした。
あの……そろそろ解放していただけないかしら?
「なんでしょうか? それから今まで通り、レインと呼んでくださいね。ミレーネ姫」
私こそ姫呼びをやめて欲しいですわ。なんだかこそばゆい感じがします。
「あの……レイン。その前に少し離れて欲しいですわ」
この距離感はちょっとなれないです。
「どうしてでしょう? 今までこうして触れることも許されなかったのです。何が駄目なのですか?」
何が駄目と言いますか……ドキドキするではないですか!
「話をしたいので、すこし距離をとっていただけると……」
段々と顔が熱くなってきました。恥ずかしいですわ。
「仕方がないですね。私の可愛いミレーネ姫は、何を聞きたいのですか?」
私の隣に座っていることには変わりませんが、適度な距離感になってホッとしたところで、頬に手を添えられレインの方に向かされてしまいました。
いったい何が起こったのですか! 今までのレインと違い過ぎます。
「聞きたいことは、レインとの結婚は誰の意なのでしょう。それから、私は姫ではありませんから」
国王陛下の意であるなら、まぁなんとなくは予想できます。
私は公爵夫人としてアルディーラ公爵家を支えてきましたが、肝心な世継ぎが作れませんでした。
理由はどうあれ、結果がそうなのです。だから、結婚して三年が経ったときに国王陛下に、あの離婚の命令書を書いてもらったのです。
ということは、私を利用し王族として表に出せないレインを厄介払いするという意味で、カリオディルの領主という役職を与えたのだと思われます。
そう女領主です。
ですが、そこに付随する貴族位が示されていなかったのが気になります。
ここでレインが私を伴侶にと望んだとなれば、話が違ってきます。
レインは先程もご自分で言ったように、結婚相手を選べる立場ではありません。
王族として扱われていないからです。
おそらく、その血を残すことを許されていない可能性が示唆されます。
ここから考えられるのは、すべてをレインが仕組んだというところです。
何処までを仕組んだのかは不明ですが、それだと王族に敵意を持ったと疑われる可能性があります。
ええ、与えられたカリオディル。なにも特産はないですが、流通ルートの要の都市。ここを抑えられると、王都への流通網が遮断されてしまうのです。
「私にとってはミレーネは姫なのですよ。そうですね。厄災の物語でしたか」
ん? その話を今されるのですか?
「父上は信じておられませんでしたが、私はミレーネがつまらない嘘を言うとは思っていませんでした」
「あ……信じてくれて、ありがとう」
そうですわねよ。誰が古の勇者が封印した悪竜が目覚めるだなんて、突拍子もない話を信じるというのでしょう。
「いいえ、私にとっては当たり前のことです。それにミレーネはそのことを考慮して、領地改革をしていたことも理解しています。いざというときは自衛するのだと」
はい、人々が異界の聖女という者に頼らざる得なかったのは、各地で起こる魔物被害と大地に満ちる悪竜が放つ魔素でした。
しかし、その前に魔物の狂暴化で国中に死が満ちていたとありましたので、同時多発的に魔物が襲ってくれば、領地にいる兵だけでは対処できなかったのだと考えたのです。
ですから私は、無償で町や村を守るための結界を提供しました。いざと言うときは、結界を張って凌ぐようにと。
ただ事前に渡した動力源の魔石は、そう多くありませんので、どれほどしのげるかわかりません。
「それで私は父上に進言したのです。流通の要であるカリオディルが壊滅すれば、王都に物資が届かなくなると」
正確には山越えルートがあるのですが、多くの品物を運ぶには適していません。それに魔物の脅威が跳ね上がります。
「ですから、王命でカリオディルの任につくように命じられたのです。それに夫婦というかたちであれば、民も変に思わないでしょう」
レインの言っていることに嘘はないでしょう。ですが、私の答えには答えていません。濁しましたね。
「誰の意ですか?」
私はもう一度尋ねます。すると、レインは綺麗な笑みを浮かべました。
これは碌でもない答えが返ってくる感じですわね。
「もちろん、私の意ですよ。私の愛おしいミレーネ姫を手に入れるためなら、どのような手段でも使いましょう」
「はぁ……」
私にそんな価値などありませんわ。聖女のような特殊能力を持っているのでしたら、別でしょうが。
「だいたいわかりましたわ。それでこの馬車は、どちらに向かっているのかお聞きしても?」
「取り敢えず、叙爵を受けに父上のところに行きます。その後はカリオディルに向かう予定です。他に何処か寄りたいところがあれば、寄りますよ」
やはり、国王陛下のところに挨拶に行くのですか。殺意を抑えられるといいですわね。
あのシスコン馬鹿親父。
そもそも国王陛下が愛人を認めているから、あの馬鹿が愛人のメリーエルンを堂々と連れ回っているのよ。
一度ブチギレてひと目があるのですから、使用人としてお連れくださいと言ったことがあります。
しかしあの馬鹿はメリーエルンが可哀想だと言って、ドレスを与えていました。そのお金が、何処から出ているのか分かっていらっしゃったのでしょうか?
前世で何が遭ったのかは覚えていませんが、愛人とそれを囲う男に殺意を覚えます。ですから、それが原因で死んだのかもしれませんわね。
「そうですか。陛下にはお礼を言いませんといけませんわね」
「父上のことになると、見下すような目になるミレーネも好きですよ」
ええ、殺意がこもっていますからね。
「それからお母様とお兄様に挨拶はしておきたいですわ」
「ミレーネ姫の意に沿いましょう」
私の右手をとって、指先に口づけをしてくるレイン。不意打ちは心臓に悪いですわ。
そして、ガタンと揺れて馬車が止まりました。
窓の外を見ますと、よく知っている王城の大きな扉が見えます。
どうやら王城についたようです。
さて、国王陛下に挨拶をしにまいりましょうか。
ああ、ついでに元夫に後妻を与えるように言っておきましょう。彼女ならきっと上手く立ち回ってくれることでしょうから。
「下りる前にここにサインをくださいね。ミレーネ姫」
*
勝手を知っているように王城の中をサクサク進みます。ええ、何度も離婚の為に通った廊下ですから。
「ミレーネ。先にサインをしていただかないと、父上に提出できないのです」
私の横で言ってくるレインを無視します。
それは簡単にサインすることは出来ません。
この結婚がレインの意だと聞いてしまった以上、私が素直にサインをすると思っていたのですか?
そう、レインに問いただしたいです。
が! 私に先ほどから婚姻届にサインをすることを望んでいることを口にしているので、『是』という答えが返ってきそうです。だから、私は足を進めることを優先させます。
「サインなど、後でも問題ないですよ」
「しかし……」
私に何かを言おうとして、レインは言葉を止めて何時もの薄っすらと笑みを浮かべた表情を貼り付けました。
レインが気にした方向に視線を向けますと、数人の集団がこちらに向ってきています。
談笑というより、何か真面目な話をしながら何処かに向かっているようでした。
先頭に近衛騎士が陣取っていますが、すぐ背後にいる方はよく存じております。
「おや? これはアルディーラ公爵夫人。お久しゅうございます」
「ごきげんよう宰相殿。三日ぶりですね」
三日ぶりに会ったのも関わらず、久しいという宰相に向って、扇越しに笑みを浮かべて挨拶をします。
「また、陛下に無理難題をいいにこられたのですか?」
「まぁ? 私がいつ無理難題を言いましたかしら?」
「おや? 自覚がないとは困ったものですね? 勝手に国の予算を使い込もうとしたにも関わらず、ふてぶてしいとはこのことです」
「あら? 毎年のように氾濫する河川の整備を、国家プロジェクトに押し上げただけですのに、言いがかりとはこのことを言うのですわね」
ほほほほと高笑いする私。ふふふと不敵な笑みをこぼす宰相。
一般的には仲が悪いと有名です。
「それに勝手に始められたとか? いち公爵夫人としては出しゃばりすぎではないのですか?」
「私が出しゃばらなければ、復興予算が膨らむばかり。お礼を言われてもいいぐらいでしてよ」
「愚昧。国ごとに口を出すなと言っているのです」
「まぁ! 出来の悪い兄を持つと妹の私は苦労するのですわ」
はい。目の前で言い合いをしているのは、私の二番目の兄です。
これも一種のパフォーマンスですね。
若くして宰相に抜擢された兄は、何かと風当たりが悪いですからね。こう兄と仲が悪妹を演じておけば、兄をよく思わない者たちが私の方に接触してくるので、色々情報を得やすいのです。
しかし、今回は私が提案した河川の整備事業をよく思っていない者たちが、動きそうだということを教えてくれたようです。
今までのこういう整備事業は、国に所属している兵が補ってきたのです。しかし私は、その計画に民を導入して、労働力を確保しようとしたのです。
ですが、軍部の反発が強く、軍の上層部とやり合って、一区間のみで導入するという権利を勝ち取り、さっさと実行をしてやったのです。
ふん! 今まで手抜き工事をしていたのです。きちんとしていれば、被害は最小限に抑えられたもの。
「身をわきまえろと言っているのがわからないのですか?」
「わかっていますわ。私のポケットマネーでできることをしろということですわね。国家予算の半分ほどの外貨を稼いでいるので、これからは好きにさせていただきますわ」
「アルディーラ公爵夫人。国に混乱をもたらすようであれば、国賊として捕らえますよ」
「あら? お兄様。アルディーラ公爵夫人はもういませんので、これからは新たに拝命する爵位で呼んでくださいませ」
兄の背後に控えている人たちが蒼白の顔色をしている中、私はふてぶてしく笑みを浮かべて、進んでいきます。
あまり国ごとに口出しをするなというのは、わかっていますが、事前に防げる災害を見逃すのは、前世の記憶がある私としてはいただけません。
厄災の被害は抑えられるのであれば、どんなに強引と言われようがやるべきです。
まぁ、前世の記憶があるという世迷い言など、誰にも言ったことなどありませんでしたが。
「宰相様。ごきげんよう」
私は振り返ることもなく、兄に別れを告げます。
領地ばかりか国ごとにも口をだし、金さえ積めばなんでもしていいと思っている傲慢な女。
それがアルディーラ公爵夫人の一般的な見方です。
だから宰相である兄と対立していると。
それでいいのです。離婚をしようと決めたときから、私は悪女で傲慢なアルディーラ公爵夫人なのですから。
そしてお気づきでしょうか。
兄は王族であるレインに一言も話していないと。
そう、これが一般的な光景です。
王族の色をまとっているレインがいてもいないものとして扱う。それが常識なのです。
それから、あの場にいた者たちから、私のことが一気に情報を広めていってくれることでしょう。
あのアルディーラ公爵夫人がとうとう離婚して、国王陛下に無理を言って女だてらに爵位を賜ると。
そうなると軍部もやすやすと私には手を出しにくくなることでしょう。
「ミレーネ姫。やはり河川事業の件は問題になっているようですね」
「構わないわ。邪魔しようと工作員を送りこもうなら、こちらも相応の手は打つつもりよ」
やり方なんて如何様にもできるもの。
フェリヴァール侯爵に恩を売っておくのも悪くありませんわ。
そのようなことを話していると前方から走ってくる音が聞こえます。
王城の中でこのように走る音など、普通は聞こえるものではありません。
「お兄様! 上手くいきましたか?」
「フェリ。声が大きいですよ」
レインのことを兄と呼ぶ、これまた王族の色をまとった少女が、勢いよくレインに向って突っ込んで行きました。
フェリシア第三王女です。
レインと同母ですね。この姿を見てわかるように、教育が行き届いていません。
王城内では走ってはいけないと注意する教育者がつけられていないのです。そもそもいつも離宮にいらっしゃるフェリシア王女が王城にいる時点で嫌な予感がしますわ。
「お母様もお兄様の帰りを待っているのですよ」
私自身の目がだんだんと据わってくるのがわかります。
そうですか。そうですか。あの愛人がいるのですか。
「お兄様は上手くミレーネに取り入ったわよね? 私も頑張らないと、成人したら奴隷だなんてまっぴら御免だわ」
「祖母が奴隷だったので、致し方がないことですよ」
そういう話は私がいないところでしてもらえないかしら? 悪いけどそういう同情は持ち合わせてはいないわよ。
したたかなのは愛人譲りなのでしょうから、大丈夫でしょうとかも、口にはしませんわよ。
母親の身分がないというのはこういうことだと理解しています。
このことから私は、レインの意で婚姻が仕組まれたことに危険視をしています。
だから私は国王の意を確認したいと思っていましたのに、まさかあの愛人までいるのですか。
ちっ。面倒です。
さて、王の執務室にたどり着く前に何か考えておきませんと。
そして私は、国王陛下の執務室に通されました。
広い執務室は綺麗に片付いており、まるで私が来るのを待っていたかのようです。
「ご機嫌麗しゅうございます。ミレーネ・リヴェルトに、この度は寛大なるご支援を賜り、恐悦至極に存じます。無事に離縁をすることができました」
「うむ。可愛い姪のためでもある。それに国に多大なる貢献をした結果でもある。余はミレーネの能力はいち公爵夫人に収めるには余りあるものと評価している」
「寛大なる評価に痛み入ります」
執務机に偉そうにして席についているのが、この国の国王であり、私の伯父にあたる人物です。歳は四十三歳であり、十歳の王太子がいるには少々歳を取っています……が!
その王の背後に控えている、凛と背筋を伸ばして存在感のある女性がいなければの話です。
はい。この方が国王陛下をシスコンにした張本人である愛人のキア様です。
「ミレーネ様。息子であるレインとの婚姻にサインされていないと伺いましたが、王家直轄地であるカリオディルを任せるにあたっての体裁とご理解頂いていると思っておりましたが? 如何なのでしょうか?」
そのキア様からの言葉です。やはりそうですか。レインの意もあるでしょうが、キア様の意もあると……これは面倒ですわね。
「キア様。それよりも……」
「それよりもとはなんですか? 今は、あなたの話をしているのですよ」
「キア様が、私の立場を思ってのことと存じております」
この方は頭が悪い方ではありません。逆です。
母親が先王の妾妃だったのは事実ですが、戦争奴隷だったことも事実です。
母親に身分がない場合、その子供にも身分が与えられません。ですからキア様は自分の価値を兄に示したのです。
帝王学を自ら学び、あらゆる学問を修めていったのです。
私が怒っているのは、この方なら政務官としてやっていけただろうというのに、このシスコン親父は愛人という立場を与え、己の側に置いたことです。
「確か先日、リンエラドール地方の話をしておいででしたが、グレアバラン行きの荷の魔鉱石の量が合わないのではという報告が上がって来ていまして、早めに情報を精査されたほうがいいのではと、お伝えしたかったのですが、必要ありませんでしたか?」
「魔鉱石が? それは途中に経由するリンエラドールで荷が降ろされていると言っていますか?」
「さて、既にアルディーラ公爵夫人ではなくなった私では、情報を精査する伝はありませんので、どうとも言えません」
すると慌てて国王陛下の執務室をでていかれるキア様。これで当分の間は戻ってこられないでしょう。
「ときに伯父様?」
「何かな? ミレーネ」
私はワザと国王陛下を伯父と呼び、その茶番に載るように、陛下も合わせてくれています。
「伯父様のこの婚姻届けに対する意を確認してもいいかしら?」
私はまだ私のサインをしていない婚姻届を見せつけます。
「ふむ。レインでは役不足であるか?」
「執事としては優秀でしたわ」
「ミレーネ姫に認めていただけるなど、光栄の至り。姫の為に頑張った甲斐がありました」
はぁ、優秀過ぎるほどでした。流石、キア様の血を引き継いていることはあると思いましたね。
「ならば問題あるまい。しかし私個人の意というよりも、王としての意であるな」
その言葉を聞いてホッと胸を撫で下ろします。もし、父親としてのレインの意を優先させたとか言うのであれば、ここで破り捨てるところでした。
厄災もこれから起こる中で、色々対処しなければならないとか、面倒でしかありませんからね。
「ベルグランダ地方に発生した奇病は、まさにミレーネが言っておったものと酷似しておった。ならば、その先に起こるという厄災にも対処が必要である」
そうですか。やはり、私が言っていた未来を国王陛下は信じておられなかった。そんなことは当たり前です。私には立証するすべを持ち合わせていなかったのですから。
「そうなると。中でも流通の要であるカリオディルが壊滅すれば、荷が滞ることになる。避けるためには、未来を予見できるミレーネが適任であろう」
ん? 私は未来視ではなく、この国に起こる夢を繰り返し見たと説明を……未来視と言えますか。
「陛下。未来を予見など、ただの戯言だと言われなかった陛下のご慧眼が素晴らしいのです」
「む……うむ。そのとおりであるな」
ええ、信じていなかったことは、わかっていますわよ。
ただ私が陛下の意だと確認したかったのは、他にも理由があります。
あの聖女召喚の物語で、国王に愛人が居たという話があった記憶がないのです。
今のキア様なら聖女召喚の場に国王陛下の補佐官として居てもおかしくはありません。
ただ物語に出てこなかったのか、キア様の存在が疎いと消されたのか、厄災で命を落としたのかはわかりませんが、私の立場を安定させるには、国王陛下の命だったということが大事なのです。
愛人頼りで政務を行っている盆暗と、陰で言われているままではないということがです。
「その陛下の慧眼に報いるために、このお話は喜んで承りましょう」
私は手に持ってきた婚姻届を、ズカズカと陛下の前まで行って、執務机の上にあったペンを拝借してサインを記入します。
そしてそのまま陛下の前に差し出しました。
「うむ。ではミレーネ・リヴェルト。ネルエラルトという名と共に伯爵の地位を与えよう。これは今までのそなたの国への貢献を評価したものである」
「ありがたく拝命いたします」
これで女伯爵を名乗れば、煩わしいハエ共を黙らせることができます。
「ただし、一代限りとする」
「承諾いたしました」
これは予想済です。他の貴族たちを納得させる為に、一代限りと条件を出したのでしょう。
大いに構いません。
既に他国との繋がりも作っています。
如何様にも出来ますわ。
「因みになのだが」
「何でしょうか?」
「ベルグランダの奇病に対する解決策は、悪竜の再封印しかないのか?」
「……根本的に解決するのであればです」
「魔物化する場所を調査して、封印の場所を探し出して来た者が、魔物化の奇病を振りまくことはないのか?」
「……陛下は無事だと言っておきます」
「いや、しかし、どれほどの影響があるのか」
「ああ。そうですわ。アルディーラ公爵の後妻にフェリヴァール侯爵令嬢を推薦しておきます」
「ミレーネ。私の話を聞いているのか?」
……国王としてではない意見に答えを求められても、答えませんわよ。
薄々は気づいています。
恐らく厄災の影響を受けるのは、低魔力者であろうと。そうなると貴族の血が薄い男爵令嬢であるメリーエルンは、物語開始時には居ない理由になりますし、母親が戦争奴隷だったキア様も居ない理由になります。
「陛下。厄災に影響を受けない者などいないのです。少なからず、誰しもその影響をうけます。私の回答としては、封印された場所を探し出して再封印する。それが一番影響が少ないと思われます。陛下もおわかりのはず」
「むむ……そうであるな。わかっているのだが……」
陛下はちらりと私の隣に視線を移動させます。
なんですか? レインに何か言いたいことがあるなら、言って構いませんわよ。
「レインハルトが奇病に罹れば、そなたはどうする?」
これは魔物化に罹った者の対象法が知りたいということですか?
私は聖女ではありませんからね。
それから物語内では、治療方法があったという記憶はありません。ただ聖女の浄化魔法に効果があったと。
「何もしませんわ。私はカリオディルの地を与えられたのであれば、優先させるべきことは、別にあるからです」
まぁ、恐らくレインは奇病には罹りません。二代続けて王の血が入っていますからね。ただ、先程会った第三王女は微妙ですわ。魔力的にキア様よりという感じですからね。
「やはり、そなたはそのように答えるか。では、守るべき民をどう守る?」
「それは、これから考えることですわ。何故なら、ネルエラルト伯爵の名を与えられたのは、たった今なのですから」
「うむ……わかった。では、ネルエラルト伯爵。貴公はカリオディルに向かいその任に就くように」
「その命。このネルエラルト伯爵が賜りました」
そして私はレインを連れてさっさと、執務室をあとにします。
キア様が戻ってこられる前にです。
あのシスコン親父。直ぐに何かとキア様に意見を求めて、見ているこっちがイライラしてくるのです。
盆暗! 貴様の意見はないのか! と罵りたくなるのです。
これが愛人ではなく、政務官としてキア様を側に置いているなら違ったのでしょうけど。
誰が公私混同させた王に対処方を言うのですか!
絶対に民ではなく、キア様を優先させることが目に浮かびます。
「流石ミレーネです」
「何がですか?」
「あの父上にはっきりと意見を言うなど……それもゴミを見るような蔑んだ目で言うのです。最後は父上も引かざるを得なかったですよね」
ゴミですか。まぁ表現としては間違っていないでしょう。
「しかし一代限りと条件をつけられてしまったのは、私の立場の所為です」
「それはどうかしら?」
「え?」
「女伯爵という立場など、国王陛下の依怙贔屓と捉えかねないと思わないかしら?」
姪のわがままに付き合った王。王は女に甘いのではと、陰口をたたかれても仕方ないと思っています。
「そんな、ミレーネはこの三年間で成したことは、大いに評価されることです」
「目障りなアルディーラ公爵夫人。女のクセに出しゃばり過ぎのアルディーラ公爵夫人。己の立場を勘違いしたアルディーラ公爵夫人。これが貴族社会での評価ね」
「しかし、ご夫人方からは評価されているではないですか」
もちろん、そのように動いてきましたから。
ですが、女性が政治に口を出すなどおこがましいという風潮があるのは事実。
だから、国王陛下はキア様を政務官としてではなく、愛人という立場で政治に関わらせたのでしょう。
が!絶対にあの人なら、他の男どもを黙らせて、のし上がるぐらいしたと思います。
シスコンならキア様を信用しろと。
「それは、これから先に効いてくるわね。女伯爵の地位を得たのなら、今までできなかったことにも手を出せますもの」
私はこれからのことを色々構想を立てながら、馬車に乗り込みます。
取り敢えず、軍部をやり込めますか。
手を打たれる前に先手必勝です。
ふふふっと笑いがこぼれ出ていると、何故か体ごと斜め横に向けられてしまいました。
なんですか? レイン。
横に腰を下ろしたレインの方に向けられたのですが、他に寄るところでもありましたか?
それなら、言ってくれればよかったのに。
「未来のことを視ているミレーネ姫も素敵ですが、私のことも見てくださいね」
ん? 執事として側にいて補佐をしてくれていましたのに、何を言っているのですか?
「心からお慕い申し上げます。ミレーネ姫。この命尽きるまで、あなたの側にいさせてくださいね」
「レイン。重いわ。こういうのは、これからもよろしくでいいと思うわ」
命をかけるようなことを言われると、重すぎるわ。
「あなたにとって、私はただのその辺の雑草だということは、自覚しています」
「え?そんな酷い扱いをした覚えはないわよ」
「わかっています。あなたが守ろうとしているのは国そのものだということに。ですから、私など道端の雑草なのです」
……これはアレですか。私がさっき言った言葉のことですか。
はぁ、そういう意味で言ったのではないのに。
「レイン。それは私が、あなたが奇病を患っても何もしないと言ったことへの意趣返しかしら?」
「意趣返しなど、そのようなことはありませんよ」
ちっ! 胡散臭い綺麗な笑みを浮かべて言っている時点で、そうだと言っているようなものです。
「あれは、シスコ……国王陛下への回答よ。本当のことを言えば、あの王は民よりもキア様を優先させるでしょう。それでは駄目なのよ」
やばい。やばい。心の声を思わず声に出して言いかけてしまいました。流石に国王陛下をシスコン親父と呼んでいることがばれるのは、避けないといけません。
「悪竜が吐き出す毒と魔素が原因なの。それを排除すればいいだけのこと。ただし、それは聖魔法が使える者がいる場合ね」
浄化魔法。これが使えれば一番いいのですが、私には使えない魔法です。
しかしこれをあのシスコン親父に言えば、聖魔法使いを独占しかねないからです。それに他の貴族に広まれば、同じことが起こりかねません。
「今、色々実験中。何のために私が外貨を稼いできたと思っているの。個人で動くためよ。今の私はレイン個人のために動くことはない。そういう意味……うっ」
いきなり私を抱き寄せないでほしいわ。
まだ、話の途中です。
「誰ともわからない者たちに嫉妬する私を許してください。あなたの側に立ち、手をとり、笑みを向けられるのは私ひとりでいいと思うことを許してください」
……重いわね。
私にはレインが思うような価値などないのに。
「だったら、今までどおりでいいのではないの?視察に行く以外だいたい引きこもりだったもの。ということで、これからもよろしくでいいと思うわ」
愛など恋など言われても、どこか冷めた目で見てしまうのはきっと前世で何かがあったからでしょうね。
それは仕方がないと諦めてもらわないと……
「わかりました。これからミレーネ姫から、私がいないと駄目だと思っていただけるように頑張りますね」
……何か違う気がする。
「あ、そうですね。今から教会に寄って二人だけの結婚式を挙げましょう。やっぱり形式は大事ですよね」
何か違う気がする。
「それからそのまま新婚旅行に行って二人だけの旅をするのもいいですね」
「ふふふ。レイン。まずは軍部と一戦まじえるから駄目よ」
「そのように、怒った顔も好きですよ。ミレーネ」
こうして、私はアルディーラ公爵夫人からネルエラルト伯爵となり厄災に立ち向かうべく、準備を進めることになるのでした。
「これからずっと一緒にいる権利は、誰にも渡すつもりはありませんから、安心してくださいね」
「結婚すれば、それが普通でしょう?」
「たとえ、ミレーネが他の男を連れてきても排除するという意味です」
……部下としてスカウトした者にはしないでほしいわ。ん? 私が連れてきた……部下もってことはないわよね……。
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
追記
2025.07.12
たくさんの方に読んでいただきましてありがとうございます。
スタンプで応援ありがとうございます。
ブックマークありがとうございます。
✫評価ありがとうございます。励みになります。
皆様の応援によりランキングに載ることができました。とても嬉しいです!
厄災の件は機会があればと濁しておきます。
(この話は長編化しないと書ききれないので…)
少し宣伝をさせてください。
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興味がありましたらよろしくお願いします。
宣伝を割りこせて失礼しました。
追記22025.07.22
ごりっと追加しました。
ミレーネの公爵夫人としてどう他者から見られているのか。
シスコン親父の王はと如何なものか。
ほぼ倍の加筆になってしまいましたm(_ _)m
*
この作品を面白かったと評価をいただければ、下にある
✫✫✫✫✫を推していただけると嬉しく思います。よろしくお願いします。
そしてここまで、読んでいただきありがとうございました。