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第2話「黄昏トランスフォーム -この力と、震える鼓動-」

手のひらから迸った淡い光の膜――防御シールドとでも呼ぶべきそれは、異形の怪物の鋭い爪を確かに弾き返した。けれど、安堵したのはほんの一瞬。シールドは頼りなく明滅し、表面にピシピシとヒビのような光が走る。まるで、薄氷のようにいつ砕け散ってもおかしくない。そして、悪夢は増殖していた。私たちを取り囲む異形の影は、一体や二体どころではなかった。

「美咲っ、後ろからも来てる!」

陽菜の悲鳴に近い声が、私の耳を打つ。振り返る余裕さえない。じりじりと後退りしながら、陽菜を背中に庇う。

「大丈夫、大丈夫だから……!」

自分に言い聞かせるように呟く。怪物の甲高い威嚇音、地面を鋭利な爪で引っ掻く不快な音、そして自分の荒い呼吸音と、ドクドクと警鐘を鳴らす心臓の音が、世界から他の音を消し去っていくようだ。

一際大きな影が、シールドの僅かな揺らぎを見逃さなかった。黒い腕を強引にねじ込み、バリン!とシールドの一部が砕け散る。その先端にある剃刀のような爪が、陽菜の制服の袖を掠めた!

「きゃあ!」

白いブラウスが僅かに裂け、赤い線が滲む。

「陽菜っ!」

(美咲の心の声:陽菜が、傷つけられた。私のせいで。私が、もっとしっかりしていれば……! 嫌だ、これ以上、この子を傷つけさせない……!)

咄嗟だった。恐怖よりも、陽菜を守らなければという激しい衝動が全てを塗りつぶした。私は空いている左手を、憎しみを込めて無我夢中で振り払った。

――ドゴォンッ!

鈍い衝撃音。振り払った手の先から、何か透明な、圧縮された空気の塊のような力が放たれた。力の奔流は、シールドを突き破ろうとしていた怪物の胴体に直撃し、その体をくの字にへし折って吹き飛ばした。怪物はアスファルトの壁に叩きつけられ、黒い体液を撒き散らして痙攣し、やがて動かなくなる。

「……え?」

自分の手がやったことだと、すぐには理解できなかった。ただ、手のひらがじんじんと熱い。今、私は、命を……奪った?

「美咲……今の……」

陽菜も呆然と私を見ている。けれど、感傷に浸っている暇はない。一瞬できた敵の包囲の隙間。そこが、唯一の活路だった。

「陽菜、走って!」

私は陽菜の手を強く引き、全速力で駆け出した。どこへ向かうあてなどない。ただ、この悪夢のような場所から一刻も早く離れたかった。

街の景色は、先ほどよりもさらに異様さを増していた。空は不気味な茜色と墨色が混じり合ったような毒々しい色に染まり、あちこちで空間が陽炎のように歪んでいる。見慣れたコンビニの看板は、まるで粘土細工のように捻じ曲がり、ショーウィンドウには蔦のような奇怪な植物が絡みついてガラスを突き破っている。電柱はへし折れ、信号は明滅を繰り返した末に沈黙した。遠くからは、途切れ途切れにサイレンの音、人々の絶叫、そして時折、爆発音のような轟音が響いてくる。まるで、世界が終わっていく過程を、地獄の特等席で早送りで見ているかのようだ。

スマホを取り出してみるが、やはり圏外の表示。情報が、何もない。私たちは、どこへ逃げれば安全なの?

「はぁ……はぁ……っ、もう、無理……」

陽菜の息が荒い。私の体力も限界に近かった。人気のない、ゴミ収集所の裏の細い路地裏に転がり込むようにして、私たちは一時的に足を止めた。崩れかけたブロック塀に背中を預け、荒い呼吸を繰り返す。汗と恐怖で、制服が肌に張り付いて気持ち悪い。

「美咲……さっきの力……一体、何なの? あなた、どこか怪我とかしてない? 大丈夫?」

陽菜が心配そうに私の顔を覗き込む。その瞳には、まだ恐怖の色が濃く残っていたけれど、それ以上に私を案じる気持ちが伝わってきて、胸が詰まった。

「わから、ない……。でも、私は大丈夫。陽菜こそ、腕、見せて」

陽菜の袖をまくると、そこには痛々しい切り傷があった。幸い、深くはない。ハンカチを取り出して、そっと傷口を押さえる。

「ごめん、私のせいで……」

「ううん、美咲が守ってくれたから、これだけで済んだんだよ。……でも、美咲の手……」

陽菜に促されて自分の左手を見ると、手の甲に、あの戦士から力を託された時に浮かび上がった幾何学模様の紋章が、うっすらと淡い光を放っていた。まるでタトゥーのように、肌に刻まれている。

そして、思い出す。あの瀕死の戦士から託されたオーブ。あれが私の体に入ってからだ、こんなことになったのは。

「あの人が……何かを私に……」

私は、オーブを託された時のこと、そしてその瞬間に頭の中に流れ込んできた断片的なビジョン――異世界の戦場、未知の技術、そして「戦え」という強い意志――を、途切れ途切れに陽菜に話した。あまりに荒唐無稽で、自分でも何を言っているのか分からなくなる。信じてもらえるか分からなかったけれど、この状況で、たった一人の親友に隠し事をすることなんてできなかった。

陽菜は黙って私の話を聞いていた。そして、私の左手を、紋章が浮かぶその手を、両手でぎゅっと握りしめた。

「……信じるよ。だって、現に美咲は私を助けてくれたもの。怖かったはずなのに、震えてたのに、私の前に立ってくれた。……それが、全部本当のことだって、言ってる」

その真っ直ぐな言葉に、張り詰めていたものが切れそうで、涙が滲んだ。

(美咲の心の声:怖い。これからどうなるのか、全くわからない。でも、陽菜が信じてくれる。それだけで、少しだけ前に進める気がする)

ふと、体内に吸収されたはずのオーブの存在を意識した。それは胸の奥で、確かな熱を持って脈打っているような気がする。もっと知りたい。何が起きているのか。私に何をしろと言うのか。

目を閉じ、意識をその熱の中心に集中する。すると、オーブが呼応するかのように、再び断片的なイメージと言葉が脳裏に流れ込んできた。

魔境まきょう……アーツ……ゲート……黄昏境界トワイライト・ボーダー……》

《汚染領域拡大……生存者の確保……急ゲ……》

《探セ……適合者ヲ……仲間ヲ……》

《集エ……灯火ともしびノ下ニ……》

靄がかかったように不鮮明な情報だが、いくつかの言葉は強く印象に残った。私たちの日常は「ゲート」によって「魔境」と呼ばれる異世界と繋がり、「黄昏境界」という不安定な領域に変貌してしまった。そして、私が手に入れたこの不思議な力は「アーツ」というらしい。託された願いは、同じような力を持つ「仲間」を探し、この状況を生き延びること……?

「灯火……」

最後に聞こえた言葉を、私は無意識に呟いていた。

「美咲? 何か分かったの?」

「ううん、まだ……断片的なことだけ。でも、じっとしていてもダメみたい。どこか……どこか少しでも安全な場所に移動しないと」

オーブが示した「灯火ノ下」というのが具体的な場所を指すのかは分からない。けれど、このままでは危険なことだけは確かだ。ニュースも何も見られない今、どこが安全かなんて分からないけれど、小学生の時に防災訓練で聞いたことがある。この街で一番大きな神社、白鷺神社しらさぎじんじゃは、何か大きな災害があった時の指定避難場所になっている、と。そこなら、まだ無事な人がいるかもしれない。昔ながらの頑丈な建物だし、何か……何かあるかもしれない。

「陽菜、行こう。白鷺神社を目指す。あそこなら、まだ……」

私が言い終わる前に、陽菜はこくりと頷いた。彼女も、ここに留まることの危険性を感じ取っているのだろう。

恐怖を奥歯で噛み殺し、私は立ち上がった。手の甲の紋章が、まるで私の決意に呼応するように、微かに熱を帯びる。この力が何なのか、まだ全然わからない。使いこなせる自信なんて全くない。でも、やるしかない。陽菜を守るために。そして、あの名も知らぬ戦士が私に託したものの意味を、少しでも知るために。

覚悟を決めて、私たちは再び路地裏から表通りへと足を踏み出す。

その瞬間、目の前に広がった光景に、私たちは息を飲んだ。先ほどよりもさらに濃密な異世界の空気が街を覆い、建物の輪郭は陽炎のようにぐにゃぐにゃと歪み、地面からはアスファルトを突き破って、禍々しい光を放つ見たこともない植物が生い茂っている。

そして、その異様な風景の中を悠然と闊歩する、新たな異形の影。それは、さっき遭遇した怪物たちよりも明らかに巨大で、威圧的なオーラを放っていた。まるで群れの王のように。

絶望が再び胸を掠める。しかし、その巨大な敵の向こう側、崩れかけた商業ビルの屋上に、人影が見えた気がした。夕暮れの残光を背負い、風に髪をなびかせている。その人影もまた、何か得体のしれない、けれど力強いエネルギーを纏っているように見えた。

あれは……敵? それとも……オーブが言っていた「仲間」?

私の新たな戦いは、まだ始まったばかりだった。この激しく震える鼓動が、もはや恐怖だけのせいではないことを、私はまだ知らない。


(第二話 了)


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