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本当の名前

 窓から差し込む朝の光が、部屋を優しく照らしていた。


 L07は静かにベッドから起き上がり、周囲を見回す。

 昨日から彼女が過ごすことになった新しい部屋。

 以前の病室よりも広く、生活感のある空間だった。


 小さな本棚。シンプルな机と椅子。柔らかなカーテン。

 それらは彼女にとって、すべてが新鮮だった。


「あさ……」


 L07は窓に近づき、外を眺める。

 基地の活気ある様子が見えた。

 兵士たちが訓練し、整備士たちが機体を点検している。


 日常。それは彼女が知らなかった世界だった。


 ドアをノックする音。


「入るぞ」


 レイの声に、L07は振り返る。

 彼は朝食のトレイを持って入ってきた。


「よく眠れたか?」

「う……うん」


 二人の間にある緊張は、昨日までより確実に和らいでいた。

 戦場での協力が、不思議な絆を生み出していたようだ。


 レイはテーブルにトレイを置く。

 スープと焼きたてのパン、そして小さなサラダ。

 さらに、赤い果実がいくつか添えられていた。


「これは……?」

「イチゴだ。甘くて美味しい」


 L07はその不思議な形の果実を見つめた。

 彼女は恐る恐る一つを手に取り、口に運ぶ。


「あま……い!」


 甘酸っぱい味が口の中に広がる。

 思わず目を見開く彼女の表情に、レイは微笑んだ。


「気に入ったようだな」

「おいしい。どれも、なんか……すごい」


 L07は夢中でイチゴを味わった。

 帝国では決して味わえなかった味。

 彼女の世界は、一つずつ広がっていくようだった。


「今日から君は、正式に私の監督下に置かれることになった」


 レイの言葉に、L07は顔を上げる。


「総司令官にも報告済みだ。もう誰も君を勝手に連れ出すことはできない」


 安心。それは彼女が久しく感じたことのない感覚だった。


「……ありがと」


 小さな声だったが、彼女の紫の瞳には確かな感謝の色があった。


 レイは椅子に座り、自分のコーヒーを飲む。

 その仕草には、昨日までの緊張感がない。


「これから少しずつ、外の世界を見せていきたい。

 この基地のこと、地球のこと……君が知らないことを」


 L07はパンを手に取りながら、レイの言葉に耳を傾けた。


「ちきゅうのこと……きいていい?」

「何でも聞いてくれ」


 普通の会話。

 それは彼女にとって、未知の領域だった。


「そと……どんなの? あおいそら、のした」


 レイは少し考えてから、答えた。


「海と山と森があって、生き物たちが暮らしている。平和なところだ。君が知っている戦場だけが世界じゃない」


 その言葉に、L07は胸の奥が熱くなるのを感じた。


 レイはふと立ち上がり、窓際に移動する。


「午後になったら、基地内を案内しよう。少しずつだが、新しい世界を見せる」


 レイの後ろ姿は、朝日に照らされて輝いていた。

 L07はその姿を見つめながら、不思議な感覚に包まれる。


 それは怖れでも、警戒でもなかった。

 彼女の胸に芽生えた、名前のない感情。


 L07は小さく、でも確かに笑った。

 その笑顔は、少女本来の輝きを取り戻したかのようだった。



 午後になり、レイはL07を基地内の中央庭園へと案内していた。


 人工的に造られた小さな緑地だったが、L07にとっては驚きの連続だった。


「これが、はな……きれい」


 色とりどりの花々を見つめる紫の瞳には、純粋な感動が浮かんでいた。

 彼女は恐る恐る手を伸ばし、赤い花びらに触れる。


 レイはそんな彼女を静かに見守っていた。


「レイ!」


 声がして振り返ると、そこには若い女性が近づいてきた。

 茶色の髪を短く切り揃え、知的な雰囲気を漂わせている。


「マリアか」


 マリア・セレスティン。情報分析官を務める副隊長だ。

 彼女もまた、かつてネオアストラ帝国から地球に「帰還」した一人だった。


 マリアの視線がL07に向けられる。


「この子が噂の……」

「ああ」


 L07は身を縮め、警戒の姿勢を取った。

 見知らぬ人間に対する反応は、まだまだぎこちない。


 しかし、それでもマリアは優しく微笑みかけた。


「こんにちは。私はマリアよ」


 彼女はL07の目の高さまで屈み、手を差し伸べる。


「怖がらなくていいのよ。私もあなたと同じ、向こうから来たの」


 L07は驚いた表情でマリアを見つめた。


「おなじ?」

「ええ。私も子供の頃、コロニーにいたわ。兵士ではなかったけどね」


 マリアの声には優しさと、かすかな痛みが混じっていた。

 それはL07にも伝わったようだ。


「……こんにちは」


 L07は小さな手をマリアの手に重ねた。


 マリアは笑顔で立ち上がると、L07の銀髪を優しく撫でた。


「あなたの髪、きれいね! きれいな銀色だわ」

「…………」


 L07は戸惑いながらも、その優しさに身を任せる。

 頭を撫でられるという行為は、彼女にとって初めての経験だった。


「……この子が『悪夢』だなんて、信じられないわ」

「ああ」


 レイはベンチに腰掛けながら、二人を見つめていた。


「普通の子供だ。『悪夢』は彼らが創り出したものにすぎない」


 マリアは頷き、L07の肩に手を置いた。


「ねえ、あなた名前は? L07じゃなくて、本当の名前」

「……わからない」


 L07は俯いた。

 コードネーム以外の呼び名など、彼女には存在しなかった。


「そんな……」


 マリアの表情が悲しみに曇る。

 彼女はレイを見た。


「帝国は子供たちから、名前さえも奪うのね」

「……?」


 L07は混乱していた。

 自分にも「名前」があったのだろうか? 「L07」以外の呼び方が。


「なまえ……あった?」

「もちろんよ」


 マリアは優しく言った。


「あなたも誰かの大切な子供だったはず。きっと素敵な名前があったわ」


 その言葉が、L07の心に触れた。

 かすかな記憶の断片。誰かが彼女の名を呼ぶ声。


「……エリア」


 ほとんど無意識に、その言葉が口から漏れた。


「え?」

「エリア……きこえる、ときどき。ゆめで」


 レイとマリアは互いを見つめ合った。


「エリア……それが、あなたの名前なのかもしれないわね」


 マリアは優しく微笑んだ。


「どう? 『エリア』って呼んでみてもいい?」

「……うん」


 L07――いや、エリアの目に不思議な色が浮かぶ。


 名前を取り戻すこと。

 それは彼女にとって、人間として認められる第一歩だった。


「エリア」

「……うん」


 レイも静かにその名を呼んだ。


 風が庭園を吹き抜け、花々の香りが三人を包み込む。

 マリアはエリアの肩を抱き、レイに向き直った。


「ねぇレイ! この子には新しい服が必要よ。それから本も。あとはね……」


 マリアはすでに様々な計画を立て始めていた。

 戸惑うレイとは対照的に、彼女は目を輝かせている。


 エリアは二人の会話を聞きながら、庭の花々を見つめていた。


 名前。服。本。

 彼女の失われた日常が、少しずつ取り戻されようとしていた。


「……いいの、かな」


 不安げにつぶやいたその言葉は、二人の耳には届かなかった。

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