あたたかい食べ物
白い。
それがL07の目覚めた世界の第一印象だった。
白い天井。白い壁。柔らかな白いシーツ。
「……どこ?」
彼女は身体を起こそうとして、左肩に鋭い痛みを感じた。
反射的に歯を食いしばる。
痛みを口にすれば欠陥品。そう教え込まれてきた。
窓から差し込む光が、彼女の銀髪を淡く照らしている。
L07は恐る恐る視線を窓の方へ向けた。
青い。
見上げると、そこには鮮やかな青空が広がっていた。
東京湾上空で見た色より、ずっと近くに感じる。
「そら……ここ……てきの……?」
記憶が一気に戻ってくる。
戦闘。
敗北。
死を覚悟した瞬間。
そして……優しく自分を抱き上げる男。
L07は素早く周囲を確認した。
出入り口は一つ。
窓からの脱出は可能だが、高さは未知数。
それに、左肩の怪我が行動を制限する。
戦術分析を終えた彼女は、ゆっくりとベッドから降りようとした。
「いた……っ」
思わず漏れた言葉に、自分でハッとする。
弱さを見せれば実験室行き。または処分。
彼女は痛みを押し殺し、左腕を動かさないよう注意しながら立ち上がった。
身体には見慣れない衣服が着せられていた。白いシャツに薄いズボンだ。
「わたし……なんで……いきてる?」
その瞬間、ドアが開いた。
入ってきたのは、あの男だった。
光の剣を持ち、ダークスターを撃墜した男。
彼は銀色のトレイを持っていた。
「目が覚めたか」
レイ・アークライトの声は、意外なほど穏やかだった。
L07は反射的に壁際へ身を引き、猫のように背を低くした。
目は敵を捉え、逃げ道を計算する。
たとえ片腕が使えなくても、彼女には戦う術があった。
「落ち着け。食事を持ってきただけだ」
レイは静かに言った。
彼は動きを緩め、トレイを持ったまま立ち止まった。
「……っ!」
L07は警戒の姿勢を崩さなかった。
彼女の紫の瞳が、レイの一挙一動を追っている。
そのとき、静まり返った部屋に、小さな音が響いた。
グゥゥ……
L07のお腹が鳴ったのだ。
彼女は一瞬、困惑したように目を見開いた。
「……空腹、の、ようだな」
レイは静かに言った。
「名前は?」
「……L07」
機械的な応答。彼女はそれ以外の答え方を知らなかった。
「……コードネームじゃない。本当の名前だ」
L07は困惑した。
本当の名前? 彼女にはコードナンバー以外の呼び名はなかった。
一瞬、かすかな記憶の断片が脳裏をよぎる。誰かが「エリア」と呼ぶ声――。
「わからない。わたし、ただのぶき、だから……」
レイの表情が複雑に変化した。
怒りか悲しみか……少女にはその感情を読み取ることができなかった。
レイはゆっくりとテーブルにトレイを置く。
「冷めないうちに食べろ」
L07はトレイを見つめた。
その目には欲望と警戒が混ざっていた。
彼女は壁際から少し離れたが、まだテーブルには近づかない。
「どうした? 毒でも入っていると思ってるのか?」
「きょか、が……ないと」
その言葉に、レイの眉が寄った。
「許可? 何故そんなものがいる?」
L07はそれでも動かなかった。
施設での13年間、彼女は許可なく食事を取ることを許されたことはなかった。
レイはゆっくりと彼女に近づく。
L07はびくりと身構えたが、彼は攻撃の素振りを見せなかった。
「……食べていい。許可する」
その言葉に、L07はようやく一歩前に踏み出した。
しかし、彼女はテーブルの横に立ったまま、トレイに手を伸ばそうとする。
「椅子に座っていいんだぞ」
許可された。
L07はぎこちない動きで椅子に腰を下ろす。その感覚が奇妙だった。
彼女は生まれてから、立ったまま食事を取ることしか知らなかったのだ。
「なぜ……」
L07は小さく呟く。
「何だ?」
「なぜ、ころさない?」
その質問に、部屋が静まり返った。
窓の外では鳥がさえずっている。L07には、それが不思議なほど綺麗な音に聞こえた。
「……そうだな。……なぜ、だろうな」
「……?」
グウゥ……。
L07は言葉を発しなかったが、お腹が再び鳴り、彼女の頬がわずかに赤くなった。
「……遠慮することはない」
レイはテーブルから少し下がり、距離を作る。
「俺は見ていない。ゆっくり食べていろ」
彼が窓の方を向いたのを確認し、L07はゆっくりとテーブルに身を寄せる。
警戒心を抱きながらも、食事の匂いに引き寄せられていく。
トレイの上には、シンプルなスープとパン、少量の肉料理が置かれていた。
湯気が立ち上っている。
L07の記憶にある「食事」は、無味無臭の栄養ジェルか、冷たいタンパク質ブロックだけだった。
彼女はおそるおそるスプーンを手に取った。
一口目のスープが口に入った瞬間、L07の目が見開かれる。
「あつい」
驚きの声に、レイが振り返った。
「熱いか? 火傷はしない適切な温度のはずだが」
L07は首を横に振る。
「ちがう……あつい……おいしい」
彼女の顔には、言葉にできない感情が浮かんでいた。
それは喜びに近いものだったが、表情の作り方を知らない彼女の顔では、かすかな眉の動きと目の輝きとしてしか現れない。
レイはそれを見て言葉を失う。
L07はゆっくりと、一口ずつ食べ始めた。
あたかも夢が覚めてしまうことを恐れるかのように慎重に。
パンをちぎる動作さえ、まるで貴重な儀式のようだった。
「これは……なに?」
「何って……パンとスープ。それと肉だ」
「ぱん……すーぷ……?」
「…………」
L07は再びスープのスプーンを口に運んだ。
今度は少し長く口の中で味わってから飲み込んだ。
彼女の喉が小さく動き、目を閉じる。
レイはその姿を見つめ、拳を無意識に握りしめていた――。
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