「悪夢」の足跡
鋭い痛みが、エリアの頭を貫いた。
「や、やめて……!」
体が震える。足が動かない。
追悼室の壁に背を押し付け、エリアは身を縮めていた。
アレックスは無表情のまま、彼女に近づいてくる。
手には小さな装置――ソウルトラップを持っていた。
「これは罰じゃない。ただ真実を思い知ってもらうだけだ……」
彼の声は冷たく、感情のかけらもなかった。
「お前は真実に向き合わなければならない。お前が『悪夢』として奪った命の数を……!」
アレックスがソウルトラップの起動ボタンに指をかけた瞬間、部屋のドアが勢いよく開いた。
「アレックス! 何をしている!」
レイの怒声が室内に響き渡る。
エリアの曇った視界に、彼の姿が映った。怒りに満ちた表情。青い瞳に宿る炎。
彼はアレックスの手から装置を叩き落とすと、エリアとアレックスの間に立ちはだかった。
「お前、何をやっている! 許可なくソウルトラップを使おうとしたのか!」
アレックスは一歩も引かない。彼の目には強い意志が宿っていた。
「彼女は『悪夢』だ。その事実から目を背けるのか、レイ」
レイとアレックスの間に緊張が走る。
エリアは壁にもたれたまま、恐怖と混乱で動けなかった。
「彼女を脅す権利は誰にもない」
「脅す? 真実を見せるだけだ」
「……この話はあとだ!」
レイはエリアに近づこうとした。
しかし、エリアの視線はもはや彼らに向けられていなかった。
追悼室の壁に飾られた写真群。
笑顔の若者たち。
そして一枚一枚に添えられた死亡日時。
その全てが、「悪夢」との戦闘でのものだった。
――エリアの頭の中で、過去の記憶が断片的によみがえる。
宇宙空間での戦闘。
ダークスターのコックピットから見た爆発の閃光。
奪った命の数々――。
「レイ! エリア!」
マリアの声が聞こえた。彼女が部屋に駆け込んでくる。
状況を一目で理解したマリアは、すぐにエリアに寄り添った。
「大丈夫? エリア……」
「……っ」
彼女の目は虚ろだった。
マリアはレイに一瞥を送る。
「連れていくわ」
レイは無言で頷き、再びアレックスに向き直った。
その表情には、かつてない怒りが浮かんでいた。
マリアはエリアの手を取り、優しく引き寄せる。
「行きましょう、エリア」
エリアは震える足で立ち上がった。
しかし、一歩踏み出す前に振り返る。
そこにはカイル・シモンズの笑顔の写真があった。
レイの親友。エリアが撃墜した敵。
「ごめん……なさい……」
誰にも聞こえない声で、エリアは呟いた。
追悼室を出た後も、エリアの頭には写真の数々が焼き付いていた。
名前と顔。日付。彼らの人生を奪ったのは自分だ。
マリアは黙って彼女の肩を抱き、自室へと連れていく……。
★
マリアの部屋は暖かかった。
壁に飾られた絵や、窓辺に置かれた植物が、やわらかな空気を作り出していた。
エリアは窓際のソファに腰を下ろした。
身体の震えはまだ収まらない。
「お茶を入れるわ」
マリアは台所へと向かった。
エリアは膝を抱え、小さく丸くなる。
(わたし……あくむ……)
そう、彼女は「悪夢」だった。
数多くの命を奪った殺戮者。
たとえ優しくされても、その事実は変わらない。
シュタイナー博士の言葉が脳裏に浮かぶ。
『お前は道具だ。道具に感情は必要ない。ただ機能せよ』
だが今、エリアの心には感情が溢れていた。
恐怖、悲しみ、そして罪悪感。
マリアがお茶を持って戻ってきた。
湯気の立つカップを、エリアの前のテーブルに置く。
「飲める?」
「……」
エリアは小さく頷いた。
彼女はカップに手を伸ばすが、震えが止まらない。
マリアは彼女の隣に座り、そっと肩に手を回した。
「あなたが見たものは……その、辛かったわね」
エリアの紫の瞳に、涙が浮かび上がる。
「わたし……わるい……?」
その問いは、幼い子供のように純粋だった。
しかし、その背後には測り知れない重みがあった。
マリアは深く息を吸った。
「戦争では、誰もが何かを失うわ。敵も、味方も」
彼女はエリアの髪を優しく撫でながら続ける。
「でも、あなたはただの道具として使われていた。選択肢はなかったのよ」
エリアは静かに涙を流していた。
「でも、わたし、こわかった。いきのこりたかった……だから……」
「生きることを望むのは、罪じゃない」
マリアの声は優しいが、芯が強かった。
「そして、生きていれば、贖うことができる」
エリアは顔を上げ、マリアを見つめた。
「あがな……う?」
「ええ。生きて、前に進むことでね」
マリアはエリアの手を取った。彼女の手は温かく、安心感を与えてくれる。
「あなたは、あなたの名前を思い出したでしょ?」
エリアはゆっくりと頷く。
その名は徐々に彼女の中で形を取り始めていた。
「まえのことは……おぼえてない。でも……」
彼女は自分の胸に手を当てる。
「ここ……あたたかい。なまえ、きくと」
マリアは微笑んだ。
「名前は大切なものよ。それは道具ではなく、人間の証」
エリアは窓の外を見た。
白い雲に覆われた、曇天の空を。
彼女の脳裏に、引き続き追悼室の写真が浮かぶ。
笑顔の若者たち。未来を奪われた命。
「マリア……」
エリアはゆっくりと言葉を紡いだ。
「わたし、なにができる? あやまる、ために」
マリアは黙って彼女を見つめた。
その目には深い思いやりが映っていた。
「まずは生きること。それから……」
言葉が途切れたとき、ドアが静かに開いた。
入ってきたのはレイだった。
彼の表情は複雑だった。
怒り、疲れ、そしてかすかな悲しみが混ざっていた。
エリアとレイの視線が交わる。
少女は身を縮め、膝を抱きしめる姿勢に戻った。
彼女には薄々わかっていた。レイの左腕の義手。
それは彼女――「悪夢」が作った傷跡だったのだと。
「……」
沈黙が部屋を満たす。
マリアは立ち上がり、レイに近づいた。
「アレックスは?」
「処分を検討中だ」
レイの声は低く、怒りを抑えているのが明らかだった。
「彼も、カイルのことを思えば……」
「言い訳はいらない」
レイはエリアに視線を向けた。
「無事か?」
「…………」
エリアは答えられなかった。
彼女の頭には、まだあの写真の数々が焼き付いていた。
レイは窓際の椅子に腰を下ろした。
「マリア、少し席を外してくれないか」
「でも……」
「大丈夫だ」
マリアは心配そうにエリアを見たが、やがて部屋を出ていった。
二人きりになると、沈黙がさらに重くなる。
エリアは顔を上げられず、膝に顔を埋めたままだった。
やがてレイが口を開いた。
「追悼室で見たものは……辛かっただろう」
エリアは小さく頷いた。
「でも、あの写真を見せたのは、アレックスの復讐心だけじゃない」
彼の声はゆっくりと部屋に響く。
「真実を知るべき時が来たと、私も思っていた」
エリアはゆっくりと顔を上げる。
レイの表情には非難の色はなかった。
彼はゆっくりと左手の手袋を外した。
銀色の義手が姿を現す。
「これは『悪夢』との。……君との戦いで失ったものだ――」
レイは、過去を語り始めた。
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