過去は消えない
翌日。
エリアの部屋のドアが、軽いノックと共に開いた。
「エリア、いるかしら?」
マリアが大きな紙袋を両手に抱えて入ってきた。
彼女の後ろには、やや気まずそうな表情のレイが立っていた。
「なに?」
エリアは窓辺から振り返った。
彼女はまだ病室から移されたときの白い服を着ていた。
「大変だったけど、見つけたわ!」
マリアは興奮した様子で紙袋をベッドの上に広げる。
中から次々と取り出されたのは、様々な色や形の女の子の服だった。
「むかし、わたしがつかっていたものと、妹のものよ。きっと似合うわ」
エリアは不思議そうに近づいた。
彼女は恐る恐る手を伸ばし、淡いピンク色のワンピースに触れる。
「やわらかい……?」
その感触は、戦闘服やパイロットスーツとは全く違った。
柔らかく、温かく、まるで優しさそのもののようだった。
「さあ、着替えてみましょう!」
マリアは楽しそうに服を広げていく。
レイは少し距離を置いて、戸惑いながらも二人を見守っていた。
「きがえ……どうして?」
エリアの素朴な質問に、マリアは一瞬驚いたように目を見開いた。
「どうしてって……女の子だもの。可愛い服を着るのは当たり前よ」
当たり前。
エリアには「当たり前」という概念が薄かった。
彼女の世界には、任務と訓練があるだけだった。
「かわいい、ふく……」
「ええ。あなたの好きなものを選んでいいのよ」
選ぶ。好きなもの。
新しい言葉が、エリアの心に響く。
「じゃあ、私は出ていくよ」
レイが小さく咳払いをした。
マリアは笑いながら手を振る。
「そうね。女の子の着替えを見るのはまだ早いわ」
「そういう意味じゃない」
レイは少し顔を赤くして部屋を出ていった。
エリアにはその会話の意味がわからなかったが、マリアが楽しそうなのは伝わってきた。
……着替えは思ったより難しかった。
自分で服を脱いだり着たりするという単純な行為さえ、彼女には慣れないことだった。
マリアは優しく手伝いながら、様々な服を試させていった。
淡い青のブラウスに白いスカート。
紺色のワンピース。
黄色いTシャツに短いパンツ。
そして最後に、空色のワンピースが残った。
「これが一番似合うと思うわ」
マリアはエリアにそれを手渡した。
布地は軽く、肌触りが良かった。
着替え終わると、マリアはエリアを小さな姿見の前に立たせた。
「ほら、見て。とっても可愛いわ」
鏡に映ったのは、エリアが知らない少女だった。
銀色の髪と紫の瞳は変わらないのに、その姿は別人のようだった。
空色のワンピースに身を包んだ少女。
パイロットスーツの配線ポートは隠れ、ただの可愛らしい女の子に見えた。
「これが……わたし……?」
エリアは自分の姿に戸惑い、両手で頬に触れた。
鏡の中の少女も同じ動きをする。
マリアは笑顔で頷いた。
「素敵よ。本当に可愛い」
エリアはしばらく自分の姿を見つめていた。
これが「本当の自分」なのかもしれない、と感じた。
「悪夢」でもなく、「L07」でもなく。ただの少女、エリア……。
「レイに、みせてもいい?」
その言葉に、マリアの目が優しく細められた。
「もちろんよ。きっと驚くわ」
マリアはドアを開け、廊下で待っていたレイを呼んだ。
彼が入ってくると、エリアは少し緊張して姿勢を正した。
レイの青い瞳が、彼女を見てわずかに見開かれる。
静かな驚きと、何か別の感情。
「どう?」
マリアの問いかけに、レイはしばらく言葉を失っていた。
「……よく、似合っている」
シンプルな言葉だったが、その声には温かさが滲んでいた。
エリアは初めて、「褒められる」という感覚を理解した。
それは訓練での「任務完了」の冷たい評価とは全く違う、人間らしい温もりがあった。
「ありがと……」
エリアは小さく微笑んだ。
それは以前よりも自然な、少女らしい表情だった。
窓から差し込む光が、彼女の銀髪と空色のワンピースを美しく照らしていた。
その瞬間の彼女は、「悪夢」の面影など微塵もなかった。
レイとマリアは、そんな彼女の変化を静かに見守っていた。
★
午後、エリアは一人で部屋の中を歩き回っていた。
空色のワンピースを着たまま、時折姿見に映る自分を確認する。
「わたし……ほんとうに……わたし?」
新しい服。新しい名前。新しい感覚。
すべてが彼女にとって、未知の体験だった。
マリアは用事があると出ていき、レイも任務で不在だった。
初めて一人で過ごす静かな時間。
エリアは部屋の窓から基地内を見渡した。
そして、ふと思い立つ。
「すこしだけ、あるいてみよう」
レイは基地内なら自由に歩いてもいいと言っていた。
エリアは恐る恐るドアを開け、廊下に足を踏み出した。
兵士たちが行き交う廊下を、彼女はゆっくりと歩いていく。
何人かが彼女を見て立ち止まったが、空色のワンピース姿の少女が「悪夢」だとは気づかないようだった。
少し冒険心が芽生えてきた彼女は、見たことのない通路へと足を向けた。
「そこの君」
突然の声に、エリアは振り返った。
そこには見知らぬ将校が立っていた。
アレックス・ハーディング。戦術部の将校だ。
彼の表情は友好的だったが、目は笑っていなかった。
「君が噂のエリアかい?」
「……はい」
エリアは本能的に警戒心を抱いた。
しかし、アレックスは穏やかに微笑んだ。
「レイ隊長がよく話していたよ。少し時間があるなら、見せたいものがあるんだ」
少女は迷った。レイから「知らない人についていくな」と言われていた。
しかし、この人はレイの同僚だ。信頼できる人なのだろうか。
「レイは……どこ?」
「任務中さ。でも、これは彼も望んでいることだと思うよ」
アレックスは優しげに手を差し伸べた。
エリアはためらいながらも、その手を取った。
彼は彼女を静かな廊下の奥へと導いていく。
人通りが少なくなり、照明もやや暗くなった。
「ここ……どこ?」
「地球とコロニーの歴史を知る場所さ」
二人が到着したのは、「追悼記念室」と表示された部屋だった。
アレックスは端末で認証すると、ドアが静かに開いた。
薄暗い部屋の中、壁には多くの写真が飾られていた。
制服姿の若い男女たち。笑顔の記念撮影。そして、戦闘機の前で誇らしげに立つパイロットたち。
「このひとたち、だれ?」
「地球連盟の兵士たちさ。みんな勇敢に戦った」
アレックスの声が冷たくなる。
「そして、みんな死んだ」
「……!?」
エリアは不安に駆られ、写真をよく見た。
そこには日付が記されていた。
2210年、2211年……2212年。
すべて最近のもの。そして、すべてが——
「『悪夢』によって殺された兵士たちだ」
アレックスの声が部屋に響く。
「つまり君が殺した人たちだよ、L07」
エリアの体が凍りついた。
写真の中の顔が、一斉に彼女を見つめているような錯覚に陥る。
「わたし……」
アレックスは一枚の写真の前に立ち止まった。
若い男性の笑顔。明るい未来を信じているような瞳。
「カイル・シモンズ。私の親友だった。レイの副官でもあった」
彼はその写真をそっと触れた。
「1年前、君によって殺された」
エリアの心に、過去の戦闘の記憶が蘇る。
青いGDを撃ち落とす黒い影。脱出ポッドを見逃さなかった瞬間。
それらが何度あっただろう。敵を倒すために、何度も、何度も繰り返した――。
「ごめんなさい……」
小さな声で彼女は謝った。
しかしその言葉は、あまりにも空虚に聞こえた。
「『ごめんなさい』?」
アレックスの声が冷たく尖った。
「どうせ何が悪いかもわかっていないんだろう? これが君のした『仕事』だ!」
エリアの両目から、涙がこぼれ落ちた。
彼女の視界が歪む。
空色のワンピースが、突然重く感じられた。
それは彼女には似合わない。兵器に、普通の少女の服は似合わない。
「カイルは結婚を控えていた。故郷には彼を待つ婚約者がいた」
アレックスは静かに語り続ける。
「彼女は今でも毎晩泣いている。『どうして彼が?』と」
「う……あ」
エリアは膝から崩れ落ちた。
罪の重さが、彼女の小さな体を押しつぶす。
「理解しろよ。君がどれだけの人生を奪ったのかを」
アレックスはポケットから小さな装置を取り出した。
「これは『ソウルトラップ』。かつて君を撃墜するために使ったものの改良版だ」
彼の指が装置のスイッチに触れる。
「君自身の意識で、罪を受け止めるべきだ」
エリアは恐怖で身動きできなかった。
部屋は急に冷え込み、壁の写真の顔々が彼女を責め立てるように見えた。
「さようなら、L07」
アレックスがスイッチを押そうとした瞬間——
「何をしている!?」
怒りに満ちた声が部屋に響いた。
ドアが勢いよく開き、レイが駆け込んでくる。
「レ、イ……」
エリアの震える声は、かすかな救いを求めていた。
本作を少しでも気に入っていただけましたら、ページ上部や下部から『ブックマークに追加』をぜひよろしくお願いいたします。
作者への応援や執筆の励みになります!
また、評価は下部の星マークで行えます! ☆☆☆☆☆を★★★★★にして応援お願いします。




