ご主人様の華麗なる一幕
(…‥またか)
チラリと半目で窓の外を見れば、まだ空は暗いまま。感覚からしてもまだ深夜だろう。
仰向けの体勢で眠っていた俺に、布団以外の体重がのしかかる。今日も今日とて、フェリが俺のベッドに侵入してきたのだ。
(マジで心臓に悪いな、これ)
寝ている間にグサリ、なんてことが絶対に無いなんて言えない。普通は無理な状況であるが、残念ながらこいつは賢い。二人きりの状況でも怪しまれず殺す名案が浮かんでいるかもしれない。
(あんなこと言わなきゃ良かったのか?)
殺したければ殺せ。
それがフェリと交わした唯一の誓いだ。
それができないと踏んだ言葉であったのは事実だが、彼女は残念なことに欲張りな子供だった。打算ありきの言葉とはいえ、それが本心であったのも事実だ。ままならないものである。
(殺意さえ、なければなぁ)
なんとなしに、フェリの頭を撫でてみる。
くすぐったそうにしつつも、目を細めて気持ちよさそうな表情を浮かべるフェリ。こいつやっぱりまだ起きてるな。
(人肌が恋しいって言ってたけど、やっぱり寂しいって思ったりするのかね)
親を亡くして二年ほど。母親についてあまり語ることのないフェリだが、やはり大きな傷として乗り越えることができていないのだろうか。
親代わりになるつもりなど毛頭ないが、フェリが望むなら似たようなものをしてやっても良かったのに。母親を殺すことが罪だと彼女が言うなら、彼女に対して罪滅ぼしをする気はあったのだ。
(考えるだけ、無駄か)
余計な思考を隅に追いやり、どこか心地よさを感じるちょうどいい重さに身を委ねる。どうせこいつがその気になったら、この体勢からはどうにもならない。
朝、目が覚めることを祈りながら、俺は微睡の中意識を手放した。
ーーーー
「おーい!ジニーさん!フェリ!いるか?」
「んんぅ……なんだよこんな朝から、誰だ?」
「ん〜あと5分〜」
翌朝、無事目が覚めた安心を感じる間も無く、部屋の扉をノックする音で目が覚める。最悪の目覚めと言っていい。経験上人に叩き起こされる時は、厄介ごとである可能性が非常に高いからだ。フェリは謎の粘りを見せようとしてる。まだ起きる予定だった時間よりはだいぶ早い。もっと寝ててもいいんだぞ?できれば一日中寝ててくれ。
しがみついてくるフェリを無理やり引き剥がし、俺は部屋の扉を開く。そこには『星屑の雨』のメンバーの一人がいた。名前……出てこないわ。すまん。
「ミール、どしたの朝から」
後ろからフェリが、寝ぼけ眼のまま返答する。ナイスだフェリ。ミールね。一応覚えておこう。
「おはようフェリ。ジニーさんも朝からごめんね。だけど、ちょっと急ぎなんだよ」
「と、言うと?」
この時点でかなり嫌な予感はしていた。だから俺が取るべき行動は逃げ一択だった。正面入り口はミールが塞いでいる。となれば残る出口は窓しかない。
「ごめんね、ジニーさん。もう包囲されてるから」
「まじかよ、おい」
窓枠に手をかけ、寝巻きのまま飛び出してやろうと思っていた俺が見たのは、すでに宿を取り囲む大勢の騎士。よく見ると鎧には王家の紋章。え、こいつら王国騎士団?なんで一人の平民捕まえるのにこいつらが出てきてんだよ。
「レイサさんがね、絶対逃げるからって」
「よくご存知で」
「ことは結構大きくてね?だから抵抗しないでくれると助かるの。ぶっちゃけ私たちじゃ二人に勝てないし、別にただ着いてきてもらうだけだから」
彼女の口ぶりからして、ミールも王家に雇われてここに来たのだろう。フェリの仲間なら、俺が下手に傷つけたりはしないだろうと踏んで。
「用件は?」
「ここじゃ話せないって、国王様が」
まじか、王様案件かよ。こりゃめちゃくちゃ大事だぞ。
「とにかく、ジニーとフェリには登城してもらわないといけない。これ、お願いね。ぶっちゃけ私たちは、レイサさん含めジニーに敵対するつもりはないから」
おたくのパーティメンバーは常に俺の命狙ってますけど、とは言わない。話が拗れるだけだ。
「というわけだ、悪いが着いてきてもらうぞ、ジニー」
「……お前まで来てるのかよ。おい、国王様守れよ」
「それほどの事態だと理解してくれ。俺だって、朝から頭が痛いんだ」
ミールの背後から現れたのは、王国騎士団副団長様のアルマだ。
「あーもうわかったよ。お前がいたんじゃどうせ逃げられないだろうし」
「どの口が言うか。本気を出せば一国を平気で滅ぼすことすらできるくせに」
そりゃ昔の話だ。今の俺にそんな力はない。
何も悪いことをしているわけじゃない。さっさと行って、さっさと用件を済まして帰ってくればいいだけの話だ。
今日は少し奮発して、高いお酒を買ってしまおう。そうだ、そうしよう。まだ2年前の傷は癒えていない。俺には恒久的な休養が必要なのだ。
ーーーー
ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな。
両手に枷をはめられ、鎖を繋がれた状態で王城を歩く。武器も没収され、用意されていた上等でない布切れを着させられた。その姿はまさしく罪人。一般市民とはいえ、侮辱的な意図を大きく感じさせる処遇だ。
フェリは連れてきていない。今ごろ星屑の雨のクランハウスで二度寝を決め込んでいるからだろう。
屈辱だ。朝叩き起こされてただでさえ気分が悪いのに、こんな目に遭わされるなど聞いていない。
アルマに文句の一つでも言ってやろうかと思ったら、アルマの額に青筋が立っていた。キレてる。流石にこいつが知っていたら事前に止めさせるか。
アルマとしても内情を炙り出したいのだろう。俺に目線だけで謝罪してきた。仕方ない。アルマがそう言うのなら付き合ってやろう。
そんなふうに大人の対応ができていたのは最初だけだった。俺は国王様の隣、宰相の言葉を聞いてとうとう理性では抑え切れないほどの怒りを覚えていた。
「マスナリーに竜が出た。これより討伐に向かえ」
国王が告げたのはたったそれだけ。れっきとした王命であった。
王命とは絶対のものである。国に住む以上基本的に拒否権はなく、絶対服従が基本だ。
それだけの効力を持つが故、基本的には一般市民にそれが下ることはない。ないはずだ。だけど現実問題、俺にそれが下ってしまった。
マスナリーとは王国より南に位置する隣国のことだ。うちとは友好国だから、国王様の言いたいことは理解できる。マスナリーでは手に負えない化け物か出たから、助けに行ってやれ。こう国王様は言っているわけである。
(ふざけんなよ……竜って、地竜とは話が違うぞ!?)
竜は強い。メチャクチャに強い。全盛期の俺ですら、普通に骨が折れる相手だ。一介の冒険者では手も足も出ないだろう。
とはいえだ。マスナリーといえど、小国ではない。むしろ王国に次ぐ大国と言っても差し支えない。ゆえにいくら竜相手とはいえ対抗手段が無いわけがないはずだ。
わかるさ。被害を最小にするために派遣したいとかそんな話だろう。俺だってそうすべきだと思うさ。目の前に脅威が迫っていて、簡単に解決するカードが手元にあるんだ。そりゃ使いたくもなるだろう。恩も売れるし、王国は強国であることを他国にも誇示できる。
「それは、マスナリーからの要請ですか?」
「そうだ。マスナリーは現在、Sランク冒険者が他国に出払ってる状態だ。そこで貴様に白羽の矢が立ったわけだ」
俺の言葉に宰相が答える。まぁ、理屈は分からんでもない。マスナリーからしたら友好国に助けを求めただけだ。別におかしな話ではない。
筋は通ってる。だけどそれは、何も知らない人間が外側から内容を見た場合だ。
ふざけるなよ?こいつら、俺を舐めてるのか?
「ふざけんじゃねぇよ。俺を舐めてるのか?お前らって本当に馬鹿なんだな」
内心よりもずっと悪い口調で毒づく。
俺の言葉にざわつく謁見の間。
「貴様ッ!ここがどこだかわかっておるのかっ!無礼者め!」
「国王様の前でなんたる態度か!やはり貴様は、噂に違わぬ粗悪者であったか!」
やいのやいの好き勝手言い放題なのは、神獣派と悪神派の双方からのもの。
悪神派はフェリとなんだかんだ二年間問題を起こさない俺が嫌いだし、神獣派は神獣を殺した俺がもちろん嫌いだ。
国を動かしてるのがここにいる偉い人たちなので、俺は文字通り国からの嫌われ者ということだ。あかん、泣きそう。
だけどそれ以上の憤り。もうすでに一回悪態を吐いたのだ。二回目以降はノーカウントだろう。そうだろう。
フェリにはもう、次の居場所ができている。あいつが自分自身で勝ち取った居場所が。きっとみんな、フェリを助けるために動くだろう。だからあいつの心配はしなくてもいい。
俺がいなくなってせいせいするだろうし。
「俺はもう、国からの依頼は絶対に受けない」
「なっ!貴様、国王様の言葉をなんだと思っているのだ!これは国命だぞ!?拒否権など貴様にあるわけがないだろうが!」
俺の言葉に怒りを露わにする野次馬貴族ども。こいつら、だめだな。てんでわかっていない。
こいつらは知らない。俺がもう魔法を使えないことを。これは国王様ですら知らない秘密。知っているのは騎士団のごく一部と、星屑の雨のメンバーだけだ。
そいつらはフェリの味方だ。だからこの言葉は通用する。あとはアルマだが、まぁうまいこと付き合ってくれるだろ。てかバラしてないよな?知ってるやついないよな?
まぁ居ても関係ないか。使えるかもしれない時点で、こいつらに事を起こす度胸なんてないのだから。
「誰が、俺を、止められるんだ?」
「……は?」
こんなにわかりやすく言ってるのに、まだ分からないのか。だったらもっとはっきり言ってやろう。
「王国なんか簡単に堕とせるのに、なんで俺がお前らの言うことを聞かなきゃいけないんだ???」
「〜〜!!?き、貴様ッ!その言葉の意味がわかっているのか!?」
目を見開いて、声を荒げる宰相殿。
分かってるさ。立派な叛意だ。問答無用で打首になったっておかしくない。
だけど、どこで、誰が、どうやって?
「勘違いしてるようだから、はっきり言ってやる。俺はもう、この国が嫌いだ」
当たり前だ。国のために戦って、国のために大怪我を負った。その代償に、俺は国中から疎まれる存在になったのだ。
フェリのことがあったから国に留まっていたが、もう俺にはその理由すらない。
彼女はもう俺がいなくても生きていける。むしろ俺がいない方が快適に過ごせるだろう。だからもう、俺にはこの国に住む理由がない。
とはいえ穏便にことが進むならそれが良いと、三年後にそのタイミングを設定していただけ。
「なぁ、俺は罪人か?」
手枷を掲げて、問いかける。誰に向かってでもなく、国に対して問いかける。
体の調子はすこぶる悪い。そりゃ、毎日安酒を浴びていたんだ。勘も鈍っているだろう。とてもじゃないがアルマ含め王国の盾を相手にできるコンディションではない。実力も含めてだ。
静観している奴らも同罪だ。アルマは許してやろう。俺に罵声を浴びせた奴らに斬りかかろうとしているのを必死に抑えているからな。俺を庇おうとしてくれたという団長様はどうだろうか?姿が見えない。忙しいんだろうか。
ともかくだ。そうした小さな小さな、俺の味方の積み重ねがあったから、俺はこの国を見限らなかったというのに。
この国が好きだった。
だから国のために戦った。なのに俺は、こんな仕打ちを受けている。
もう俺には、戦う理由が残っていない。
手枷を力づくで破壊する。こんな木製の枷で、どうして俺を拘束できると思ったのか。鎖なんてもっと簡単だ。俺の両脇を押さえている騎士から剣を奪って、簡単に切断してみせた。
今の動きすら見切れない連中だ。魔法が使えない程度で、俺に勝てるわけがない。
「じゃあな。もう来ないから」
そう言って堂々と、謁見の間を後にする。
それを咎める者はいない。正しくは咎められるものがいなかった。
その瞬間、俺の手によっていくつもの命が消えてもおかしくない。そう思わせるほどの殺気を、直接浴びせられたのだから。
城を出て、空を仰ぐ。清々しいほどの晴天。
気の向くままに歩みを進める。別れの言葉はいらないだろう。もとより俺は、あの子にとっての唯一ではないのだから。
この日を境に、ジニー・コンテストは王都より姿を消すのである。
「なんて、そんな甘いことさせると思う?」
「……まじで?」
「当たり前でしょ。ジニーは私が殺すんだもん」
どこまで見透かされていたのだろうか。俺がこの国を出るつもりでいたことは、とっくにバレていたのだろうか?
こうなることが彼女には分かっていたのだろうか?
神々しい大槌を肩に担いだ、神の子が俺の行く道に立ちはだかった。
王城の前で、彼女の決意が俺を刺す。
こいつ、マジで俺を殺す気だ。