ある大貴族のお話
スタンピード 。数十年に一度起こると言われる魔獣の大量発生。普段は大人しくしている魔獣も、その日だけは気が狂ったように暴れまくる災厄の名である。発生する条件も、魔獣たちが統率の取れた動きをする理由もいまだ解明されていない最悪の災害だ。
「なに、この音」
前兆は突如として現れた。
当時13歳だった私には、すぐにその可能性に至ることができなかった。最初は地震かと思ったが、それにしてはあまりにも長かった。
「これ全部、魔獣?」
城壁に避難した私は、あまりの光景に自身の目を疑った。
一面に広がる魔獣の群れ。
これには普段落ち着いた態度を崩さない厳格な父ですら、その表情を苦悶に歪めていた。
その規模は過去に類を見ないほどに大きく、想定を大きく上回るものであった。
防衛網はすぐに敷かれた。迅速な避難行動によって逃げ遅れた領民はいなかったが、防衛網が突破されればそんなものは関係ない。
打てる手は全て打った。あとは王都からの援軍が来るまで到着するまで耐えるしかない。
迫る魔獣の群れ。
我が領地の兵士たちは精鋭揃いだ。それでもこの数は到底無理だと、私にも理解できてしまっていた。
魔獣蔓延る未開拓の地に、大峡谷を挟み隣接しており、こんな時のために防衛の要となるのが、我がフルブランク家の役目。逃げることは決して許されない。
峡谷にかかる橋を落としても意味がなかった。やつらの中には魔法を使える魔獣も混ざっており、簡単に足場は生成されてしまい、奴らの足を止めることは叶わなかった。
「マリー。レイサを連れて逃げなさい」
「お父様!?何を言っているのですか!?」
「言葉にしなければわからないほど、お前たちは幼くないはずだ。早く行け!これは命令だ!」
それは不器用な父親なりの、別れの言葉であった。突き放すように、それでいてその瞳には慈愛が込められていた。決してこの場に残ることは許さないと、決意のこもった瞳だった。
(いやだいやだいやだいやだ)
昨日は私の誕生日だった。普段無愛想な父が、笑顔を見せる年に一度の特別な日。
また来年も、再来年も。
続くはずだった平穏が崩れ去ろうとしている事実に胸が痛む。
「誰か、助けて……!」
それは誰にも届かない願い。父も姉も兄もすでに覚悟を決めていた。現実を認めたくなく、最後の最後まで自分の足で立つことすらできない自分が情けなかって悔しかった。
『おう、任せとけ』
「ーーーーえ?」
姉に手を引かれ、その場を離れようという時だった。届くはずのない願いを、確かに彼は受け取った。
背格好からして、5歳年上の兄と同じぐらいか。そのぐらいの歳に見える少年が、ニカッと笑顔を浮かべながら、私の頭を無造作に撫でた。
実際には同い年だと知った時は驚いたものだ。とにかくその時の私には、その背中は大きすぎた。
「あ、あなたはまさか、『彗星』!?」
『あ、僕のこと知ってます?』
「あ、当たり前です!たった2年でSランクに到達した超新星、あのジニー・コンテストですよね!?」
私の手を離すことはなかったが、姉のマリーが大興奮している。
私だってその名は知っている。噂によればとにかく強い。とにかくとにかく強い。齢13歳にして、強さのみで狩人のトップに上り詰めた人間。
『彗星のジニー・コンテスト』
奴が聞いたら笑うだろうか。
私はあの日見た美しい光景に憧れて、そのままクラン名にしてしまっているなんてことを。
『星屑の雨』
無数の星が降り注ぐ。一つ一つが超級の破壊力を持ち、魔獣を文字通り蹂躙していく。
眼前に迫っていた闇が切り開かれていく。絶望も、諦観も、全てを希望に塗り替えていく。
圧倒的だった。王都に侵攻されるまでの時間稼ぎしか叶わなかったはずの防衛戦は、たった一人の人間の手によって終息に向かう。
「綺麗」
仕上げとばかりに彼が放った特大の彗星が、空を切り裂き美しい線を描いて堕ちる。
「私も、いつかあなたの隣に立てますか!?」
全てが終わって、終戦の歓声に世界が揺れた。
お祭り騒ぎの中、私は彼に鬼気迫るように問いただしていた。
『ん?いつかって、今立ってるだろ?』
「そ、そうじゃなくて!私も、あなたみたいに!強くて、その、かっこよくなりたい!」
一目惚れとは、まさにこのことを言うのだろう。私は彼のように強くかっこよくなって、彼の隣に立てるような人間になりたかった。
「もし!私もジニー様みたいに強くなれたら、仲間にしてくれますか!?」
何を思ったのか私は、必死に言質を取ろうとした。父も姉も、私の恩人に対する態度にヒヤヒヤしてた。
『おう、もし俺より強くなれたらな』
「言いましたね!私頑張りますから!」
そうして家を飛び出して狩人として頑張ること早10年。私たち『星屑の雨』はトップクランとして王都で活躍している。
まだまだあの日の輝きには辿り着けていない。彼の隣に立つには、もっともっと強くならないと。
そう、思っていたのに。
ジニーは魔法が使えなくなっていた。今ではもう、あの美しい光景を生み出すことはできないということだ。
予期せぬ形で追いついてしまった事実に歯噛みする。これで彼の形に並んでも何の誇りにもならないというのに。
ーーーー
「ねぇレイサ。いい加減仲直りしましょうよ」
「まだ許してないから、お姉ちゃんのこと」
「まだ怒ってるの?ジニー様のこと、Dランクに落としたこと」
「怒ってるわよ。例の依頼が結局失敗扱いになったのも、国王様の前であいつをボコボコにしたこともね」
『星屑の雨』のクランハウスに珍しい来客があった。
訪れたのは、私の姉で、今では王国の騎士団長を務めているマリーだ。強さ自体はそこそこなのだが、とにかく頭がいい。いわゆる天才だ。有事の際にはメチャクチャに強い副団長がそばにいることが多いから、自身の強さはそこそこでいいとか言っていたっけ。普通はそんなことないのに、それでも騎士団から多大な信頼を寄せられているところを考えると、生まれ持ってのカリスマがなせる技だろうか。
玄関で追い返してやろうとも思ったが、大事な要件もあるみたいだから渋々入れてあげた。別に喧嘩してるだけで、仲が悪いわけではないし。
「しょうがないでしょ?謁見の間で暴力行為は庇いきれないわよ。本当にやばかったんだから!あの時は魔法が使えないのなんて、アルマしか知らなかったんだから」
アルマといえば、件の副団長だ。とにかく強く、ジニーとは古くからの友人と聞いている。うらや、いや、なんでもない。
「何で魔法が使えないのに、アルマと互角にやりあえるのよ!しかも病み上がりで!どう考えても国の存続がかかってる瞬間だったんだから!」
「ま、まぁ。それはそうだったのかもしれないけど」
死罪にならなかっただけまし、そう思うしかないか。
「それでも依頼が失敗扱いにならなきゃ、あいつが暴れることだってなかったじゃない」
「それも私に言わないで。神獣を討伐したという実績に、報酬なんて出せないって結論になったんだからしょうがないでしょ!」
「じゃあ、なによ。あいつが頑張ったのは無駄だったってこと?」
「もう、意地悪なこと言わないで」
わかってる、これは八つ当たりだ。お姉ちゃんにだってできないことはある。
「拾った娘は、ジニーのこと殺そうとしてるし、もうどうしたらいいのよ。というか、なんであいつが魔法使えないってこと教えてくれなかったの?」
「本人に口止めされてたからよ。有名人な分恨みも買ってるでしょ?魔法が使えないのは隠しておいた方がいいわ」
「なによ、別に私には教えてくれたっていいじゃない」
「なに?仲間外れにされて拗ねてるの?」
「そんなんじゃないから!」
さすがにお姉ちゃんには、私の想いは伝えてる。伝えなくてもばればれだっただろうが。
「はあ、さっさと告白すればいいのに」
「無理よ。特に今はね。あいつのこと、危うく、あぁもう何でこんなことに」
最近のあいつはチグハグだ。死んでもいいみたいな目をしてると思ったら、いきなり地龍をボコボコに倒したり。
(思い出して、くれないかなぁ)
あの日のことを、あいつは覚えてない。ジニーにとってあの約束は、数あるありふれたものの一つだったという話だろう。
「ちょっと、顔、緩みすぎよ」
「うるさい、ちょっと黙ってて」
初恋をいつまでも引きずっててみっともないかもしれないけど、あの日の想いは私の原点だ。
絶対に諦めたりなんかしてやらない。