本当の敵は
薄暗い地下に繋がれて三日が経った。一日に2度与えられる粗末な食事にもやっと慣れてきたころ、意外な来客があった。
「少し目を離したら、ずいぶん見窄らしくなったじゃないか」
「レイサか」
顔を上げた先には、この明かりの少ない地下牢においても輝いて見える、真紅の髪をたなびかせる女がいた。
大貴族にして狩人をしているという珍しい経歴を持つ彼女は、俺に広場の騒ぎを教えにきた女の所属する、『星屑の雨』のトップを務める女傑だ。
その名をレイサ・ライン・フルブラング。
「Sランク冒険者様が、今じゃ牢屋に繋がれた犯罪者とはな」
「なんとでも言えよ。どうせ死を待つ身だ。尊厳は早いうちに無くしておきたいからな」
いざ死ぬ瞬間に後悔なんてしたくない。今のうちに覚悟は決めておくべきだ。
「せっかくだから聞いておくか。フェリの命、なんとかできないか?」
「何を言い出すかと思えば、殊勝なことだな。なんだ?最後の最後であの娘に対して情が沸いたか?」
俺を疎んでいる冒険者は多い。この2年間で最も俺に対する態度を露わにしていたのが『星屑の雨』であり、この女だ。例に漏れず、俺がフェリに対して酷い扱いをしていると思っている一人だ。
「ああもうそれでいいよ。お前らフェリのこと、裏で勧誘してたよな?あれ、実現できないか?」
「なんだ、知っていたのか」
そりゃ、本人に聞いてたからな。私は人気者って自慢されてたんだよ。
「白々しい。こそこそ法の抜け穴まで探していた奴が何を言っているんだよ。それともなんだ?今回のことはあれか。お前らの計画か?」
「ふん。くだらんことを言うな。こんなつまらない手を打つわけないだろ」
だろうな。卑怯な手を嫌うレイサのことだ。きっと正々堂々とフェリを奴隷から解放する方法を探していたはずだろう。
それにしても、フェリの人の懐に入り込む能力はすごいな。神獣の教育のたまものか、それとも生来のものなのかは知らないが。
「まぁ安心しろ。フェリはすでに保護済みだ。今回のこともすでに揉み消した」
「は?揉み消したってお前、まじかよ」
「言葉に気をつけるんだな。正確には当家に起きた問題にすげ替えただけだからな」
「すげ替えたって、一体いくら握らせたんだよ」
要はこの一件を、フルブラング家預かりにしたということか。確かにフルプラング家は大貴族と言って差し支えない。ちょっとした貴族家では言うことを聞くしかないのだろう。もちろんその対価に、相応のものは受け取っているのだろうが。
「じゃああれか。俺の命もレイサ次第ってことか」
「口の利き方がなってないぞ?レイサ、様、だ。別に私は、あの子さえ救えれば貴様などどうなったっていいんだからな」
「そうかい。残念ながらそれは俺もおんなじだ。もう、正直どうでもいいんだよ」
この国を出て自由に旅ができるのならば、話は変わってくる。だけどそれはもう叶わない。少なくとも目の前の女がそれを許すとは思えないからな。この状況をこれ幸いと利用するだろう。
「貴様はそれでいいのか?」
「残念ながら、それを決めるのは俺じゃないんでね」
そりゃ、いいわけがないさ。だけど抗う術など俺には残されていない。
2年だ。それは俺にとっては人生を諦めるのに十分過ぎる時間だった。それだけのことだ。
「そうか、気が向いたらまた来る」
「そうか。気が向かないことを願ってるよ」
遠ざかる足音を聞きながら、胸に残っていた最後の心残りが消えたことを自覚する。
どんな状況なのかはよく理解できていないが、あの女が言うのならきっとフェリは大丈夫なのだろう。彼女はきっと、今回のことでさらに慎重に生きるようになるだろう。俺と言う存在がそばにいなくなることで、『星屑の雨』の連中と残り3年間を容易くやり過ごすだろう。
憎き仇も消すことができ、新たな宿木に巡り合うこともできた。
神獣もあの世で喜んでいることだろう。
ーーーー
「あの、大バカものが」
「ちょっとレイサ。その辺にしときなさいよ。それ一体何杯目?」
「うるさい。これが飲まずにいられるか」
ジニー・コンテスト。この国じゃ知らない者のいないSランク冒険者。今は2年前の事件によってCランクに位置しているが、それで奴の打ち立ててきた功績が消えるわけではない。
消えるべきでは、無かったのだ。
「潰れたって介抱してあげないからね」
「寂しいことを言うな、ミディ。ほら、お前も飲め」
『星屑の雨』の構成員は全員女だ。これまで4人だったが、新しいメンバーであるフェリを入れれば5人となる。
「もう、少しだけだからね」
そう言ってごくごく少ない量の酒を口に含むのは、副リーダーのミディで、私にとって1番付き合いの長い頼れる相方だ。
「初恋相手が情けない姿になってるからって、私に当たらないでね?」
「だまれ。誰があんな男を好きになどなるものか」
「はいはい。今回だってジニーが捕まったって聞いて、真っ先に動いたくせにね」
「それはあくまで、フェリのためだ。あいつのためなんかじゃない」
フェリ。神獣に育てられたという奴隷の少女。その子との出会いは決して劇的というわけではなく、酒場でジニーが酔い潰れているところで、困り果てたように立ち竦む彼女に遭遇したのが始まりだ。
ジニーに失望しながらも、とにかく放置された少女を不憫に思い、クランハウスに連れて帰った。
彼女はすぐにみんなと仲良くなった。フェリはとても人懐こく、こんなにかわいい子がジニーのせいで不幸な思いをしているなんてと、みな憤慨していた。
「で、どうするの?ジニーの身柄は確保できたって言っても、目撃者は少なくないわよ?形だけでも何か罰がないと、レイサが揉み消したってバレバレになっちゃうわよ?せめて体裁は整えないと」
「そうだな。少なくともきちんと、社会復帰ができる形にしてやらないとな」
「ええ、それが約束だものね」
「ああ、最初は耳を疑ったがな」
『お願いします。あの人の命を守ってください』
別室で眠っている奴隷の少女。主従揃ってお互いの命を任せられたのには面食らった。
『あの人を助けてくれたら、私は星屑の雨に入ってもいいです』
彼女の実力が、すでにAランクに届きうるものだということは知っている。彼女なら私たちの活動にも問題なくついて来れるだろう。
それになにより、彼女は『神具持ち』だ。
彼女は今まで、頑なに私たちの勧誘を断り続けた。今まではジニーの命令だと思っていたが、今回の条件から考えるに、どうやらそうでもないらしい。
「そうだ。最近フルブラングの領地に地龍が出たって言ってたわよね?そいつをあなたの命令で倒させるっていうのは?」
「ほう。確かにそれはいいかもな。奴なら地龍程度簡単に倒せるだろうし、罰として国へ貢献させる名目としては十分だろう」
地龍はBランクに属する魔獣だ。
滅多に人里には降りて来ないが、最近我が家の治める領地に目撃情報が出ている。
本来Sランクの実力のある奴なら余裕だろうが、今は都合のいいことにCランクだ。目撃情報は王都からも近いし、妥当なラインと言える。
話は早いほうがいい。明日、早速出発させるとしよう。
「なに?牢屋から出す算段がついた途端に上機嫌ね?」
「ふん。フェリを無事仲間に迎えられそうだからな。上機嫌にもなるさ」
「そう。ま、そういうことにしといてあげるわ」
ーーーー
私たちは森の中を全速力で駆けていた。
なぜこんなことになってしまったのか。私はなぜ、恩人を死地に送ってなどいるのか。
『だめ!あいつはもう、魔法が使えないのに!』
ジニーの処遇を伝えたところ、フェリから告げられたのはそんな衝撃な事実だった。魔法が使えないなんて話、この2年間で一度も聞いたことがなかったのに。
すでにジニーを乗せた馬車は出発してしまっていた。
『わたし、行かなきゃ』
フェリはすぐに駆け出した。あまりの速さに私たちはあっという間に置き去りにされた。
「今すぐ馬を用意しろ!」
『星屑の雨』のメンバーをすぐに集めて出発したが、途中から馬を捨て一人全力で駆けた。他のメンバーはそうは行かないが、私一人ならそうしたほうが速かったから。
「おい!お前ら!これはどういうことだ!?」
道中、馬車を停めているジニーを乗せていたはずの馬車を見つけといただす。様子を見るに、焚き火を囲んでのんびりとしていた。
話を聞くに、巻き添えを喰らわないようにとここで待機するようジニーに提案されたらしい。
ジニーの居場所や身柄は、魔法によって管理できているため、問題ないと判断したらしい。責めることはできない。奴の実力は国中の人間が知っているし、地龍程度にやられるなんて夢にも思わなかったのだろう。
そもそも奴がその気になれば、止められるものなどいないかもしれないのだから。
「頼む、生きててくれ……!」
その場を後にして、地龍がいたという森の中を走る。木々を抜け、やがてひらけた空間に出た。
「嘘、だ」
地龍はすでに討伐されていた。
しかし
「そこっ!死ねええええええええ」
「ちょ、やめっ!ほんとに死ぬから!せっかく地龍倒したのに、なんなんだよ!」
「なんだ?これは?」
目の前で繰り広げられる激戦。『神具』を振り回す少女と、魔法が使えないはずなのにその猛攻を紙一重でいなし続ける男。
「死ぬつもりだったんでしょ!?だったら大人しくやられて!」
「うるせぇ!なんか悔しくなったんだよ!さすがに今回のは頭にきてるからな!帰ったら説教してやる!」
「今更親ヅラするつもり!?だったら私も親殺しだあああああああ!」
「ちょっ、まじで、それはやばーーーーっ!」
銀色に輝く大槌に捕えられたジニーが、私の元に転がってきた。
「あ、よお。お前よくもやってくれたな?やっぱフェリとグルだろ」
「な、何を言ってるんだ?そもそもこれはどういうことだ?」
え?なんてほうけた顔をするものだから、ついジニーと一緒にフェリの方向に視線を向ける。
やっと私の存在に気づいたのか、銀色に輝く大槌を世界にしまって、彼女は舌を出して笑って見せた。
「やべ、見られちゃった」
「ふえ、ふぇり?」
「残念だったな、これがこいつの素だぞ」
いや、べつに、そこじゃなくて、私はお前を心配して、いや、生きてくれてて嬉しかったけど、ふぇりに殺されかけてて、なんだこれは?
安心と困惑と衝撃で、すでに私の頭は一杯一杯になってしまっていた。