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100日の恋  作者: すみっこのラスカル
終焉の始まり
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 エアコンを起動させてソファに腰掛けると、吹き出す心地よい冷風が、涼子の心の中にずっと溜まり続けていた泥濘みたいなものが昼の間に居座り続けている室内の澱んだ空気と共に、ゆっくりと流れ出ていくように感じられた。なぜもっと早く伝えなかったのだろうかという今更ながらの後悔と訳のわからないわずかな寂しさが涼子の心の中で綯い交ぜになっている。そう、自分自身に今日起きたことを納得させようとしているのだ。ボーッとしていた時間がとても長く感じたが、時計を見るとまだ9時10分前。その時間はたったの5分程度だった。シャワーでも浴びようと立ち上がったが、妙に空腹感を覚えて、さっき桃太朗でビールと刺身を数切れ食べただけだったことに気が付いた。帰ってから食べようと揚げ物を持ち帰ってみたが、いまは油っぽい料理をあまり食べる気がしない。スマホをいじりながら思案していると、スワイプした連絡先の中に『ミッドナイト』の文字が目に入った。深田慎一郎個人の携帯番号は病院見舞いの際に電話をかけてきてくれた着信履歴を残してあるが、店の番号は高木が初めて連れて行ってくれたときに名刺をもらって、念のためにとわざわざ登録したのを思い出した。じっとその番号を表示させたまま逡巡していたが、その指先は通話ボタンをタップしていた。

「いつもありがとうございます。ミッドナイトでございます」

深田の声が耳元から聞こえてきた。

「こんばんは。山野です」

「えっ?あ、涼子ちゃん?」

深田はかなり驚いたようだった。

「はい、突然すみません。先日はありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ。とんでもない病院見舞いになっちゃったね。あのあと大丈夫だった?ちょっと気にはなってたんだけどね」

「ええ、ぜんぜん、問題ないです」

「で、どうしたんですか?今夜は?」

「今からお伺いしてもいいですか?今夜ちょっと夕飯難民になってしまって、何か食べさせてもらえないかなって…」

「うち、食堂じゃなくって一応バーなんだけどね。ま、でも涼子ちゃんが来てくれるなら何とかするけどね」

深田は笑って応えた。

涼子は「すぐに行きます」と伝えて電話を切ると、タクシーGOのアプリを開いて深田の名刺を見ながらバー『ミッドナイト』の住所を入力した。

 店に着くと、既にフルーツの盛り合わせとクラブハウスサンドイッチが出来上がっていた。他に客はいないらしい。

店内にはマイルス・デイビスのすすり泣くようなトランペットが流れている。

「こんばんは。このあいだはお世話をお掛けしました」

涼子はカウンターに腰掛けながら笑みを浮かべた。

「いらっしゃい!いやあ、お世話なんて、ぜんぜん。そんなことよりねえ、まさかあの日、綾子さんが来るとは思わなかったよ。ほんと俺もびっくりした」

深田はオールドファッションドグラスをマドラーで丸氷を撹拌して冷やしながら笑った。

「素敵な人でしたね」

涼子はお世辞ではなく本心からそう思った。

「まあね。悪い人じゃないんだけど…。ま、世間知らずって言うか、お嬢様育ちだからあんな感じなんだよね。仕方がないって言えば、そうなんだけどね」

深田は諦め顔で丸氷で冷えたグラスの水分をしっかり切ったあと、ジョージ・ディッケル№12を注いでチェイサーとともに涼子の前に差し出した。

「食べ物、こんなのしかできなかったけど、大丈夫かな?なんだったら、寿司でも出前させようか?」

「いえ、お寿司なんてとんでもない。これで十分です」

涼子は掌を顔の前で左右に振った。

「じゃあ、このあいだの厄除けといきますかっ!」

深田はハワイアンコナビールのロングボードラガーの栓を抜いて涼子のグラスに小さく合わせた。

「今日はお暇みたいですね?」

涼子はグラスにダブル以上に注がれたテネシーウイスキーをひと口飲んでからサンドイッチを口に入れた。

「週初めなんてこんなものですよ。涼子ちゃんが来てくれて、ボウズ免れたみたいな感じだね」

深田はボトルを半分ほど一気に飲んでから笑った。

「で、ほんとはどうしたの?何かあった?」

深田は涼子の顔をじっと見つめた。

「うん、ちょっとね。でもこれ美味しい!深田さんのお手製でしょ?」

「大したものじゃないよ。こんなの。冷蔵庫にあった冷凍チキンをトースターで焼いただけだから」

「そうなの?このあいだクライアントとゴルフに行ったときお昼に食べたものと変わんない」

「じゃあ、そのゴルフ場のレストランも冷凍食品使ってるんじゃないの?」

「そうかなあ…。でも気に入りました。これ」

涼子は3つにカットされたサンドイッチをきれいに食べ終えると、5等分に切り込みが入ったメロンの果肉を口に運んだ。

「ほんとうに腹減ってたんだね。完全に器量忘れちゃってるよ」

深田はボトルのビールを飲みながらまた笑った。

涼子は無言でメロンを食べながら、深田に向かって微笑んで頭を2度上下させた。

「で、どうしたんですか?今夜は?」

深田はわざと丁寧な口調で尋ねた。

メロンを食べ終えて、今度は4つにカットされたオレンジの皮を剥いている。

「別れてきたの」

涼子はボソッと呟いた。

「ん?別れたって誰と?」

「付き合ってたっていうか…、ま、そんな感じの人」

「へー、何で?まさか、敬介のバカがあんなこと言ったせい?」

「まあ、それもあるけど、前々からもう潮時かなって考えてたから…。そうね、あれはいいきっかけになったかも」

「ふーん、で、俺んとこで大酒呑んでくだ巻いてやろうかって?」

「はいっ、そうです!」

涼子は深田に向けてサムズアップして笑った。


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