17
日曜日の朝、裕樹は珍しく約束の時間より10分ほど早くやってきた。
「久しぶり」
エントランスのインターホンから裕樹の声が聞こえた。涼子はそれには何も応えずエントランスのドアロックを解除した。
部屋のインターホンが鳴ってドアスコープを覗くと、その向こうで裕樹が微笑んでいた。
「どうぞ」
涼子はゆっくりドアを開けた。
「長いあいだ会ってなかったけど...。でも元気そうだね」
いつものようにリビングのソファに座ってもまだ笑顔のままだ。
「機嫌良さそうね」
涼子は立ったまま裕樹の様子を見つめている。
「そうかな?そんなふうに見える?」
「そうだよ。このあいだの留守電もLINEもそうだったけど、今日もなんか…。特に変だよ」
「そんなことないけどなあ…」
裕樹は座ったまま両手を上げて指を組んでからストレッチするように大きく伸びをした。
「それより出掛ける準備は?できてる?」
涼子はそれに応えるように両手を広げてくるっと回転してみせた。
「ほら、これでいいでしょ?」
「うん、じゃ、すぐに出掛けよう。今日はいい天気だし、海にでも行こう」
めずらしく裕樹のほうから目的地を進言した。いつもは何をするにしても涼子が決めなければならなかったし、ましてや、それを自分から言い出すことなどほとんどなかった。やっぱり変。何か違うなと思ったが、それを口には出さずちょっと反論してみた。
「今日なんか海行ったら、人で溢れてるんじゃない?それに水もきれいじゃないし」
「泳ぎに行くわけじゃないから…」
「それより久しぶりに山へ行こうよ。海より涼しいと思うし」
「山ねぇ…。そうだなあ、涼子が行きたいって言ってるんだし、そうしようか」
やはりちょっとおかしい。裕樹の場合、普段は優柔不断であるが、自分がいちど決めたことには意外と頑固に固執するのである。
結局、ちょっと遠いけど富士山を観に行くことになり、紺色のヤリスSUVに乗って出発したのは10時半を過ぎていた。首都高から中央自動車道に入って西に向う。快晴の夏空に雲ひとつなく、太陽光線がサイドウインドウを容赦なく照りつけていたが、社内はエアコンが効力を発揮していてひじょうに快適である。
「裕樹、何か話があるんでしょ?」
車中では、いつものように取り留めのない話題ばかりで、何かあるはずの肝心の話に関して、一向に口を開こうとしない裕樹にしびれを切らした涼子がそう切り出した。
「ん?なに?」
裕樹は運転しながら涼子に見向きもしない。
「なにって、誘ってくれたLINEも変だし、今日もいつもと違うわよ」
「そうかなあ。そんなことないと思うけど」
「今まで、あんなかしこまった文面でLINEしてきたことなんてなかったじゃない」
「そう?そんなに改まったようにみえた?」
「もっとはっきりしなさいよ!」
涼子は裕樹の惚けたような生返事に思わず大声になってしまった。
「涼子、俺のこと嫌いになったの?」
河口湖インターの標識が見えてきた。
「なによ、それ?前から好きじゃないわよ」
「そっか…。だったら話さない」
「ほんとに腹が立ってきた。中途半端で、優柔不断で、もうっ頭にきた!」
涼子の剣幕に驚いたのか、裕樹は黙ってしまってそのまま2人とも沈黙が続く。
裕樹の紺色のヤリスは河口湖インターを降りて、新倉山の浅間公園を目指している。あと20分ぐらいで到着するとナビが示していて、住宅街の狭い道を通り過ぎていく。公園の駐車場は大型バス不可で、遠方の駐車可能な場所で降ろされた団体客らしき人たちがこの辺りの道を歩いている。
「涼子、ごめん」
裕樹が突然ポツンと呟いた。涼子は聞こえなかったふりをして道路わきを歩いているその団体客の人たちを眺めている。
「このあいだすっぽかされたこと気になってたんだ」
まだ涼子は黙っている。
車は意外とスムーズに浅間公園の駐車場に入ることができたようだ。
「他に用があるときはいつも連絡くれていたのに、このあいだは何もなかったから」
「そうね」
涼子はまだ怒りが収まっていなかったので、ウインドウの外に目をやったままそれだけ返した。
「誰か他の男と遊びに行ってるとか、いろいろ考えてた…」
「そうかもね」
涼子はまだ裕樹を見ようともしない。
「うそだ!そんなことない、絶対ない」
裕樹は駐車スペースに停めてエンジンも切らずに助手席の涼子に言い迫る。
「何言ってるのよ。私だって来年もう30だよ。男の1人や2人いたって構わないでしょっ」
「俺がいるじゃないか」
「裕樹なんて初めから当てにしてないわ」
「当てにしてないって、なんで?」
「だってそうでしょ?今までにそんなこと1度も言ったことないし、普段やってることっていったら、自分勝手なことばっかだし、そんなのに何を当てにしろって言うのよっ」
「俺が涼子のこと好きなの、わかってるはずだろ?」
「それとこれとは別の話だって、それが分かんないの?」
裕樹は前を見たまま何も答えなかった。
カーオーディオから高中正義の泣いているようなギター曲が流れているが曲名は思い出せない。
「そこの土産物屋みたいなところ、食事もできるようだから昼飯食おうよ。ちょっと腹減った」
裕樹は駐車場わきのその店を指差しエンジンを切った。仕方なく涼子も後についていく。そこは土産物屋がメインらしく、レストランといえるほどの体裁ではなく、どちらかといえば昔ながらの茶店という感じで麺類ぐらいしかなさようだ。しかし場所が場所だけあって店のなかでは土産物を物色している外国人も数人見かけた。裕樹はほうとう鍋、涼子はキツネそばを注文して、それを待っているあいだも、それを食べているあいだも、2人とも無言だった。




