波にゆれる小舟
海に小舟が浮かんでいます。磯太郎の小舟です。
磯太郎は浅瀬まで舟をこいでくると、ひざまで海に入り、舟をおして浜にあげました。
「きょうはたくさんつれたなぁ」
磯太郎は満足げに、つりざおと魚かごをかかえて歩き出しました。
すこしいくと、浜に人だかりができていました。見れば、波打ち際に人魚がたおれています。どうやら打ち上げられて海に帰れなくなったようでした。
「なんの話をしているのだ?」
磯太郎がきくと、
「どうやって運ぶのかを相談しているのだ」
「人魚の肉を食べれば不老不死になるらしい」
「都に持って行けば高く売れるらしい」
そんなことをいっています。
人魚は言葉がわかるのか、さめざめと泣いています。
「かわいそうではないか。海にかえしてあげよう」
磯太郎がそういっても、だれもうなずきません。
「都は遠いぞ。峠も越えなければならない。運べると思うか? そうだ。ではおれが買ってやろう。きょうは魚がたくさんつれたのだ。すべてやるから、この人魚と交換してくれ」
みんなはそれならばと、磯太郎の魚をうけとって浜を去っていきました。
磯太郎は人魚を抱えて肩ほどの深さまで海に入りました。
「さあ、海へおかえり」
人魚はなんどもおじぎをして沖へ泳いでいきました。
次の日、磯太郎が小舟をこいで沖でつりをしていると、目の前の波間から人魚が顔を出しました。
「きのうは助けてくださって、ありがとうございました」
「もうだいじょうぶなのかい?」
「はい、すっかり。これはお礼です」
そういって、魚をつぎつぎと舟に投げこみました。
「ありがたい。これは助かる」
それから毎日、人魚は魚をとってくれました。
そして、人魚は海の話を、磯太郎は陸の話をしてすごしました。
たちまち磯太郎は豊かになり、海の近くに大きな屋敷をたてるまでになりました。
いろんな人から、娘を嫁にもらってほしいといわれますが、磯太郎はいつもことわっていました。
海に出て人魚と話すのが楽しいので、嫁をほしいとは思いませんでした。
できることなら、人魚を嫁にむかえたかったのですが、そういうわけにもいきません。磯太郎が人魚のところでくらすわけにもいきません。
嫁はむかえませんでしたけれども、親や家のない子たちをむかえて世話をしました。魚なら人魚がたくさんくれるので、食べ物には困りませんでした。磯太郎と人魚は、子どもたちを自分たちの子のよう大切に思うのでありました。
やがて磯太郎はおじいさんになりました。けれども人魚はとても長生きで、姿もちっともかわりません。
ある日、磯太郎は小舟で海に出て、人魚にこういいました。
「すっかり歳をとってしまったよ。もう海に出る力もない。舟に乗るのはこれが最後になるだろう」
磯太郎と人魚は手を取り合って泣きました。
次の日からは、磯太郎は子どもたちに付き添われて浜に出るようになりました。朝から日暮れまで、ひとり、浜ですごしました。遠く、沖の方の波間から人魚がこちらを見つめていました。
会うこともできませんが、遠くからお互いの姿を毎日眺めていました。
しばらくすると、磯太郎が姿を見せなくなりました。人魚はとても心配になりましたが、陸にあがれないので様子がわかりません。昼だけでなく夜までも陸を眺めるようになりました。
ある晩のこと。それは月の明るい夜でした。
人魚が陸を眺めていると、とてもゆっくりと小舟が向かってきました。なつかしい小舟でした。人魚は泳いでいきました。いままでにないくらい早く泳ぎました。小舟にたどりつくと、体を起こしてるのもつらそうな磯太郎が乗っていました。
ふたりは言葉もなく、ただじっと手をつないでおりました。ゆらゆらと波にゆられておりました。
朝日がのぼると波頭がきらきらと光っていました。人魚がにぎる磯太郎の手からは力がすっかり抜けていました。身を乗り出してほほにふれると、冷たくなっていました。人魚は泣きました。ひとりで泣きました。
それから苦労して磯太郎を小舟からおろしました。抱きしめたまま海の底へと泳いでいきました。
磯太郎がいなくなってからも、小舟には毎日たくさんの魚が乗せられていました。磯太郎の屋敷でくらす子どもたちはいつもおなかいっぱいに魚を食べました。
その子どもたちが大人になって屋敷を去ってからも、ずっと小舟は沖に浮かんでいました。