2-2:導師様と秘密の部屋
執務室に一人入ったわたしは、部屋をそのまま横切ると、部屋の奥の壁の一面に配置された本棚の前で立ち止まった。
そして本棚の中にある一冊の本を取り出し、その本が置かれていた位置の奥に隠されていたボタンに手をかけた。すると本棚はスーっと静かに移動し、本棚が元あった場所の奥の壁には重厚なドアが現れた。そして自身の首にかけられたネックレスを外した。そのネックレスのトップは、その扉を開ける鍵なのである。
その鍵を使ってドアを開けると、中は60㎡ほどの広さの部屋があった。
しかしその部屋は、なんとも殺風景なもので、その広さに対して、部屋の真ん中に、豪華な彫刻が施された木製の椅子が一脚、そしてその対となる横幅が3mはあろうかという大きさの太くがっちりとした木製の机が一基置かれているのみであった。そして、その机の上に置かれているものはノートパソコンが一台と、その傍らにフォトフレームが立てかけられているだけだった。
この場所は、代々導師達により引き継がれてきた導師だけが知る秘密の部屋。
1年365日一時も休むことなく、国民からの視線と注目を浴び続けるプライバシー0の生活を送る導師が、誰の目も気にする必要なく、唯一自分だけの時間をもつことができる、自分のやりたいことができる場所が、この秘密の部屋なのである。
そういえば無類の酒好きであった先代の父は、この部屋の壁四面を世界中から集めた秘蔵のアルコールコレクションで埋め尽くしていた。確か、導師在任中は、圧し掛かる日々の激しいストレスとプレッシャーに耐え、激務が終わった後、ふらふらになった体でこの部屋に入り、コレクションの中からその日の気分に一番ふさわしい酒を選び、秘蔵のコレクションを眺めながら飲む酒が一番の慰めだった、とか言っていたな。だが、初めてこの部屋で先代のコレクションを見たときは、生来物事に動じず、のほほんとした性格だった父が、まさかストレスやプレッシャーなど感じるはずもあるまい。ただ酒が飲みたいだけの口実なのだろう。それにしてもよくここまで集めたものだ、と半ば呆れて見ていたものだが、自分が導師になってみて父の気持ちも少しは理解できるようになった。導師をやっていると、酒でも飲まないとやってられないような理不尽なことに遭遇することが多い。
だがわたしは導師になる前から、これといった趣味というものをもったこともなく、導師としての自身の定められた運命をすでに受け入れている。自分に対して何も期待しておらず、何事に対しても興味なく、無関心で通している。わたしは、単に導師としての日々の業務を淡々とこなしているだけである。そのため、日常的にストレスやプレッシャーを感じることがほとんどなく、父のようにアルコールの力を借りる必要性も特に感じないのだ。
そのため、父よりこの秘密の部屋を譲り受けてからも、しばらくの間、部屋の中はわたしが来る以前から置かれていた大きな机と椅子が1セット、そしてその机の上に導師国から支給されたノートパソコンが一台おいてあるのみで、わたし個人の私物というものは一切なかった。そしてこの部屋を譲り受けたその日以来、しばらくの間、この部屋に入ることはなかった。今後使用する予定もなかったため、入室する必要性がなかったのである。そのため、いつのまにか執務室の奥に、この部屋があること自体すっかり忘れていた。
わたしは今日の騒動を振り返り、机に置かれたフォトフレームを手に取った。
「思えば、これがすべての出発地点だったな。」
そのフォトフレームは、わたしがこの部屋を引き継いでから初めて持ち込んだ、そして唯一の私物である。
その時の導師の表情は、騒動に疲れきった表情でもなく、かといっていつもの無表情でもなかった。むしろほんの少し笑顔に見えた。
そのフォトフレームには、一枚のブロマイドが収まり、それは砂浜を背景に9人の少女達が満面の笑顔でこちらのほうを向いているというものだった。