2-1:導師様はカス
2章では、導師様がその騒動の原因となった仮想敵国日本のアイドルWatercolorsのことを知るきっかけ、彼女達の楽曲、アニメを手に入れた奇跡の逆転劇の軌跡を振り返る。
現在時刻はAM2時30分辺り、本日の執務が全て終了し、やっと今師邸へ到着したところだ。
しかし、今日は本当に大変な1日になってしまった。導師に就任して以来、今までずっと平穏無事に過ごしてきたのに。わたしとしたことが、最後の最後に油断してしまった。
舞導館での全ての演目が終了し、最後に導師様万歳の大合唱が巻き起こり、わたしはそれに応えるように、席よりゆっくりと立ち上がり軽く右手を上げた後、颯爽と会場を後にする。
いつもだとこれで終わりなのだが、さすがに今回はそうはいかなかった。
先ほどの少女達との一連のやりとりが終わった後、本日の出演者がステージに集合し、公演の終了がアナウンスされた。いつもだと、どこかから導師様万歳の大合唱が自然発生し、そのまま軽く右手を上げて会場を出る準備をしていたのだが、いつまで経っても会場はシーンと静まり返ったままで、導師様万歳コールが始まる気配がしない。しばらく待ったが、「今回はコールがないパターンか。まあタイミングを失してしまったが、別になくとも特に問題はない。」と思い右手を上げようとした瞬間だった。
「導師様!」
ステージに立っていた少女が突然わたしに向かって大声で呼びかけてきたのだ。
わたしは表情にこそ出さなかったが、少し驚いて無言のまま少女の方を見続けていた。
すると、
「じゃなくてカス!」
と、再び少女はわたしに向かって大声で呼びかけた。
「どうしたのかな?」
わたしはようやく気持ちが落ち着いてきたので、今度は少女の呼びかけに答えることができた。
「カス! 私、今日という日を一生忘れません! 私、今まで頑張ってきてよかった。今日カスに私達の歌を届けることができて、今までのつらかったこと、くやしかったこと、全ての苦労が報われた気がします。私、今日ほど導師国に生まれてよかったと思ったことはありません。カス! 大好きなカス! 今日は本当にありがとうございました!」
少女は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、わたしに向かって自らの感謝の気持ちを精一杯伝えた。
わたしはそれに対し、極めて冷静に、
「そうか。よかったな。これからも友達を大事にするのだぞ。」
と、彼女の言葉に答えた。
すると、メンバーが彼女の所に駆け寄り、4人並んで手を繋ぐと、わたしに向かって、
「はい! 私達のカス!」
と、元気よくわたしに答えると、4人揃って大きくおじぎした。
よし、今度こそ会場を後にするか、そして右手を上げようとした瞬間だった。
急に会場中からウオー! という大歓声が巻き起こり、会場にいる全ての観客が一斉に席より立ちあがった。そして「導師様! 導師様!」、「兄弟! 偉大なる兄弟!」「導師様! 私の恋する人!」「王! 王の中の王、竜王!」などと、会場にいる観客が口々にわたしに向かって声の限り叫びだしたのだ。観客は、わたしが少女達に示した愛情の深さと、今まさにこの歴史的瞬間に立ち会うことができた感動で、わたしの面前でありながらも、その興奮を抑えることができず、あらん限りの声でわたしを称え始めたのだ。続いて、未だかって聞いたことがない巨大な導師様万歳コールが会場全体に巻き起こった。
この異常事態を受け、少しあっけにとられつつ、さすがにこのまま会場を後にするわけにもいかず、しばらく会場が落ち着くのを待ったが、いつまで経っても導師様万歳コールは鳴りやまない。そして10分程した後、ようやく会場が落ち着いてきたので、右手を上げようとした所、
「導師様!」
ステージからまた声が掛かった。よく見るとその声の主は、先ほどステージで子犬の歌を情熱的に歌っていたベテランシンガーだった。
「どうした?」
わたしは、彼がなぜステージに出てきて、わたしに呼びかけてきたのか、本当にわからなかったので、そのまま返した。
「導師様! 私は、今日導師様の前で、流行っているからといって、安易にも転生導師様ものの曲を披露してしまいました。私は、長年のキャリアに甘え自身のオリジナリティを見失っていることに、導師様に気づかされました。誠に申し訳ございません。私もこれからは皆と同じレールに乗るのではなく、私のレールに乗って歌を歌っていきます。」
と、ベテランシンガーはよくわからないことをわたしに言ってきたので、
「そうか。乗り継ぎには十分注意を払うのだぞ。」
と、とりあえずそれらしいことを言っておいた。
すると、本日の出演者達が次々にステージに上がってきて、同じようなことを言ってきたのだ。そしてその度に、
「脱線しないように車輪のメンテナンスは常に怠らぬように。」
「田舎の列車は本数も少ない。時刻表は旅の前にしっかりと確認することだ。」
とか、仕方がないから適当に返事をしていたのだ。
そして全ての出演者への対応が終わると、再び観客総立ちでの導師様万歳コールが巻き起こった。そしてそれから10分程して、会場が落ち着いたタイミングを見計らって、ようやく右手を少し上げて会場を後にすることができたのだ。
ここで「歴史的瞬間」とは何のことだったのか、ということだが。
もちろん導師と少女達のハートウオーミングな交信というのも、確かに歴史的瞬間かもしれない。わたしが国民の前で二言以上声を発することはまずない。わたしが公式な場に出席する場合、用意された文章を読むこと以外、基本的に前を向いたまま終始無言で通すか、まれに言葉を発するとしても、「うむ。」とか「よし。」とか、せいぜい一言か二言ぐらいだ。それが今日、わたしが少女達と直接会話し、さらに彼女達を励ましてしまったものだから、会場がとてつもない感動と興奮に包まれたのも当然のことかもしれない。
しかし歴史的瞬間とはそのことではない。わたしが導師となって初めて彼女達にわたしのことを「神より選ばれし、崇高なる者」、略して「カス」という特別な呼称で呼ぶことを認めたこと、そしてその歴史的瞬間となった現場に立ち会えたことだ。
導師にとって「カス」とは、人生を通して絶対に変わることのない永遠の親愛を誓うことができる人物にしか許すことはない特別な呼称だ。
通常だと、導師がその呼称を認める人間は、生涯を通して、多くとも5人はいない。通常は2名か3名くらいか。また1名のみというケースも珍しくない。そのような人物は、確実に伝導シリーズのSRキャラに設定されている。そういう意味では、彼女達は将来のSR確定だ。それぐらい「カス」という呼称は特別だ。その呼称をわたしが本日4人にも認めたのだから、これはまさに歴史的瞬間だった。
そして、「カス」と呼ぶことを認められた人間は、導師国ではこれ以上ない名誉であり、会場での彼女達がそうであったように、積極的に導師のことを「カス」と呼ぶようになる。だが「カス」と呼ぶことを認めたのはあくまで彼女達4人だけなので、会場にいた観客も出演者達もいくら感動したからといって、あの場でわたしのことを「カス」と言うことは決して許されない。
わたしのことをカスと言っていいのは彼女達だけだ。
「神より選ばれし、崇高なる者」略して「カス」
わたしは他人より、自ら指名して、このような立派な呼称で呼ばれることに、どうしようもない抵抗を感じてしまうため、一生この呼称で呼ぶことを認めることはないだろうと思っていた。正直に言うと、あの時は会場の雰囲気や場の流れの中で、そう言ってしまったに過ぎなかった。結果から言うと、あれはやりすぎだった。
車に戻ると、車の中で待機していた侍従長はものすごく興奮していた。師邸に戻るまでの車中、熱心にわたしに話しかけていたが、あまりにも疲れていたので、さすがに今回は聞き流しておいた。しかし侍従長の言葉の中には、あの場の感動とともに、初めてわたしにカスと呼ぶことを許された者達に対する微量の嫉妬が確かに感じられた。
師邸内に入ると、すぐそのまま執務室に向かった。だが目的は執務室ではない。その奥だ。