1-2:導師様と侍従長
議場を出た導師は、すぐ外に用意された車の後部座席に乗り込んだ。
続けて、議場より導師を車まで案内してきた男が、そのまますばやく向かいのドアから導師の隣の席に乗り込んだ。
この男、背は少し小柄で、髪の毛は既に全身真っ白、顔にも深くしわが刻まれ、一見すると、年の頃なら70代から80代くらいのただの老人にしか見えない。しかし目鼻立ちは整い、深いしわには隠れていても、昔からの精悍さは未だ失われてはいない。年相応の穏やかでやさしそうな目をしているが、その瞳の奥は常に周囲に注意を配り、一瞬の隙も見逃さない鋭さを備えている。姿勢もまるで一本の大木のごとく、背筋がピンとはっており、全身白の法衣の下に隠れてしまっているが、若い頃からの弛まぬ鍛錬の賜物である年不相応に鍛え抜かれた肉体は、服の中からでもごまかしようがない。この男の気品のある佇まいから見ても、インテリジェンスの高さが窺い知れる。
この男こそ、わたし、208代導師の最側近である侍従長その者である。
この男、わたしが幼少の頃よりわたしの教育係を勤め、わたしが導師となると同時に、わたしの侍従長となったのだ。ちなみに将来の導師候補生の教育係になるためには、相当に厳しい試験を通る必要がある。みなさんは100年以上前に、中国大陸において官僚登用試験「科挙」というものがあったことをご存じだろうか? 導師候補生の教育係になるためには、最低でもその科挙と同程度の競争を勝ち抜かなければならない。それだけでも、この侍従長の優秀さを少しは理解して頂けるかと思う。
つまり、わたしと侍従長とは、わたしの幼少期よりかなりの長い付き合いとなる。
そのためか、先ほどはこの侍従長のことをさすがに個人的にかなり持ち上げてしまったが、ここ最近は年月を追うごとに、往年の精悍さを徐々に失いつつあるように見える。年相応になってきたと言ったほうがいいのだろうか。特にわたしが導師に就任して以降、その傾向が顕著になってきている。
車中では、侍従長がわたしの本日の議会の執務について、いたわりの言葉をかける。
「導師様。本日の導師国共進議会の開催及び議会の取りまとめ、誠にお疲れ様でございました。導師様のご尽力により、本日導師国共進議会は無事に閉会の運びとなりました。」
「うむ。」
続けて、侍従長から、これから向かう本日の引見についての説明に入る。
「これより我々は、偉大なる導師様との面会を望まれる諸団体との引見のため、導師記念会館へと向かいます。えー、本日の面会相手でございますが、導師国小麦生産者共進連盟、東北豚畜産業導師連合、もやしっ子をなくそうスクスク子供育てる共進会タケノコクラブ、味付けたまご生産業導師連合、ぎざみちゃん労いの会、導師ノリノリ音頭保存会、東アジア香辛料輸入業共進組合、飛ぶ鳥県ガラガラ問題対策委員会、なさねばなる党、西涼の雄韓遂様をあがめる会、以上10団体との引見となります。」
(ふう。今日引見する団体だけで、ラーメンが作れそうだな。)
ふとそう思ったが、一切表情を崩さず、いつもの抑揚のない口調で、
「うむ。」
と一言だけ返答した。
導師との引見については、特定の思想、利益をもった団体に偏ることを避けるため、自由応募制となっている。引見の申込はその条件さえ満たせば、どんな団体であっても基本的に申込可能である。そして希望する団体との面会は平等で、ランダムに抽出されるため、上記の通り、わたし自身がよくわからない団体と、そのよくわからない団体の活動内容について長々と説明されることが多々あるのだ。
例えば本日で言うと、ぎざみちゃんとは一体何者だ? 西涼の雄韓遂だと? 西涼の雄と言えば普通馬騰ではないのか? 他にもつっこみが必要な団体があるが、一々つっこんでいたのではきりがない。だが、一生に一度でもいいから、導師であるわたしに直接会いたい、という国民の切なる願いに応えることも、導師に与えられた大切な任務の一つなのである。ちなみに引見申込の抽選倍率は1000倍を優に超えるとのことらしい。
移動中の車内では、侍従長による導師賛美の独演会が開催されていた。
「導師様があの法案の可決を認められた時のあの「議論の余地なし。」というお言葉。あの時の威厳に満ちた語り口。わたくしは、一時は廃案寸前の所まで追い込まれたあの法案が、その後も数年間、諦めることなく議論に議論を重ね、とうとう今日という素晴らしい日を迎えたことに対する万感の思いと、そしてこの法案を通すために今まで懸命に働いてきた全ての者に対する労いのお気持ちが、導師様の我ら国民に対する慈愛の心があり余るほどに伝わり、わたくしはあの瞬間、感動のあまり涙が止まりませんでした。」
「うむ。」
(一体何の法案だったかな?)
「伝説の導師シリーズキャラメル。導師様の寛大なお心遣いによって、第14シリーズは支給数が65個へと、2個増量が決定致しました。これ以上うれしいことはございません。わたくしも前回の第13シリーズは39代目導師様だけがどうしても手に入らず、親戚縁者侍従知り合いの全てに聞いて回ったものの、誰一人39代目導師様を所持している者がおらず、あの時は一人途方にくれておったものです。第14シリーズはなんとしても全ての導師様を引き当てたいものでございます。」
「うむ。」
(数量が増えたのは、わたしの心というより、工場の生産能力の関係だと思うがな。)
「それに新味のずんだ味、導師様が監督をされただけあって、本物のずんだがもつ素朴でありながらも、やさしい甘さと深い味わいがキャラメルの中にも見事に再現されており、非常に美味でございました。こちらの方も国内で大評判となること間違いなしでございましょう。」
「ずんだ。」
(ずんだ味は個人的に思い入れのある味だからな。)
「導師様は、議会開催中はいつもノートに向かって何やら真剣にお書きになっておられます。導師様は、議会ですべての法案を承認する権利を有する唯一にして最後の砦。おそらく、法案の中に議場にいる議員の誰もが気づかない欠点がないか、法案が施行された場合のシミュレーションなど、まさに事細かく入念にチェックされておられるのでありましょう。議会での導師様のお姿を見て、国民の一人一人、導師様への尊敬の念はますます高まり、わたくしを含め我々国民はもっと勤勉であらねばならぬと心に誓った事でございましょう。」
「うむ。」
(いやいや、それにしても侍従長は一体誰の話をしているのだ?)
侍従長もわたしの教育係だったのだから、わたしの能力が並を少し上回る程度だということぐらいはわかっているはずだろう。それにしてもわたしに対する補正が強すぎる。
わたしは、今日議場では誰ともしゃべらず、また誰からも話しかけられず、議会が始まってから終わるまでずっと一人だった。まあ議会開催中はいつもそんな感じだが。
そのため議会の開催中はいつも手持無沙汰で、わたしは、議会にある花でも時計でもコップでも、何かでもいいから議場にあるものをノートに片っ端からスケッチすることを日課にしている。わたしの席は議場でも一番高い位置にあるし、わたしのノートの中身をわざわざ見ようとするような恐れ多いことができる人間はこの国には存在しない。つまりは、いい暇つぶしになるのだ。
「導師様から発する言葉には、我々をなぜか安らぎに誘うお力があります。導師様のお声からは1/fゆらぎが間違いなく現れているものと思われます。わたくしも導師様のお声を聴いているうちに気持ちがよくなり、しばらくして気づいたら、なぜか本日の議会が終わっておりました。」
「うむ。」
(そうか。ならば、さぞかし気持ちよく眠れたことだろう。)
それにしても、365日、朝起きてから夜寝るまで一日中、会う人間全てから、いかにわたしが素晴らしい人間かを賞賛される生活、このような生活を本当に心地よいと感じられる人間は、果たして一体この世にどれ位いるのだろうか?
本気でわたしのことをそうだと信じるもの、本心ならず自身の保身や利益に利用するため、あえてそう言っているもの、そのどちらもいるが、本心であろうとなかろうと、面と向かって他人からそんなことを言われると、導師となってまだ間もない頃は、何とも言えない決まりの悪さを感じていたものだが、今では、特に何も感じなくなってしまった。
ちなみに言うまでもないが、侍従長は前者の方である。
わたしは、元来あまり他人に対して関心をもつような人間ではなかったが、導師になってからはその傾向がさらに加速し、今では何に対してもさして興味を持てず、物事に対して常に無関心になってしまった。そもそも導師という存在自体、普段は笑ったり、怒ったりといった感情を面に出してはならず、常に無表情で国民に対し威厳を示す必要があるため、それはわたしにとって非常に都合のよいものだったのだ。
わたしは、おそらく一生何に感動することもなく、このような生活を永遠に続けていくものだと思っていた。
そう、彼女達に出会うまでは。