4-8:ドウシさんとリョウ君
「リョウ君。」
声をかけた。
「すみません。なんでもありません。アンナとリズ、メグのことを思い出して、思わず涙が出ちゃいましたよ。なんかかっこう悪いなあ。」
そう照れ笑いするリョウ君。
「そうですか…。」
「行きましょう。そろそろ駅まで戻らないと。」
「…………。」
このまま、このモヤッとした気持ちのまま行ってしまってもいいのか? それに、ライブ中に気になって集中できなくなってしまうかもしれない。
再度、チャレンジしてみた。
「リョウ君。」
「はい、なんですか?」
「本当に大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。心配をおかけして、すみません。」
「…そうですか。」
わたしは、他人の自分語りを聞くことはあっても、自分で誰かの相談事に乗ったためしなどない。もしそれに近いことをされたとしても、いつもわたしの周囲の人間が、わたしの代わりに適切に対応してくれた。だが、今、わたしの周りには誰もいない。わたし一人では絶対に無理だろう。
「ドウシさん。早くいきましょう。」
リョウ君がそう急かしてくる。
「………………。」
わたしは、その場から動くことができないまま、固まってしまっていた。
それでも、それでもなんとかしないといけない。導師の本来の役割とは、救いをもとめる人に手を差し伸べることだったはずだ。それは、導師国民であるとか、日本人だとか、国籍は関係ない。それに、リョウ君は、別段知り合いでもないわたしを好意のみで聖地巡礼の旅に誘ってくれた恩人だ。もし今日知り合ったのが、あのウインナーの連中だったら、だったなら、もしかしたら、もしかしたら今頃オタカラに対して幻滅し、日本に来たことを後悔していたかもしれない。
そして、リョウ君とは今日初めて会ったばかりだが、わたしが対等の立場で話をすることができるようになった初めての人間だ。もしかしたら、彼とは特別な友人になれるかもしれない。
できないはできないなりに、とりあえずやれるだけやってみよう。
「リョウ君。」
わたしは、彼に声をかけた。
「えっ? なんですか?」
「実は、僕は嘘をついていました。僕は、ここから、本当に遠い所に住んでいて、仕事の方もとても忙しくて、普通に考えれば、彼女達のライブに行くことなんか絶対に不可能、ありえない状況だったんです。でも、ずっとずっと、行きたくて行きたくてしょうがなかった。そして、昨日その思いがもう自分でも制御不能になってしまって、衝動的に仕事も辞めてしまって、気がついたら、ここまで来てしまった。」
「えっ? 本当ですか?」
リョウ君が驚いたように口を開いた。
「本当です。でも、ここに来たことについて、僕は後悔していません。ずっと無理だと思っていた、ずっと夢見ていたオタカラの街に、やっと来ることができた。そして、これから本当に、本当に念願だった彼女達のライブを観ることができる。それに、今日リョウ君とも知り合うことができた。自分は今まで、他人に対しても、それに自分に対しても興味がなかった。だから、誰かと話をしていても、自分はいつも本気で聞いたことはなかった。誰かと何かをしても、楽しいと感じたことは一度もなかった。でも、今日リョウ君と朝から今まで一緒にいて、ずっと楽しかったです。誰かと一緒に何かをするって、こんなに楽しいんだということを初めて知りました。それに、見ず知らずの自分にこんなに親切にしてもらって、リョウ君にはすごく感謝してるんです。こんな自分でもよければ、何か、話してくれませんか?」
「………………。」
リョウ君は、驚いた表情でしばらく黙っていると、
「あはははははは。」
と、急に笑いだした。
わたしは、この予期せぬリョウ君のリアクションに戸惑いながら、
「えっ? どうしたんですか?」
と、聞いてみた。
リョウ君は、なおも笑っていたが、少しすると、
「いやー、ドウシさんが真剣に話してくれているのに、笑っちゃったりして本当にすみません。今朝ホテルのレストランでドウシさんと初めてお会いした時、自分も仕事の方がずっと忙しくて、ギリギリで今日ライブに来ることができたって言ってたじゃないですか?」
「はい。確かに。」
「東京でエンジニアをやっていることも、仕事の方が忙しすぎるっていうのも本当のことなんですけど。実は、僕もオタカラのライブに行きたすぎて、昨日仕事を辞めちゃいました。」
「えっ? マジですか?」
自分もオタカラに会いたくて導師職を辞めてきたというのに、他人から、同じようにオタカラのライブを観るために仕事を辞めてきたとか聞いてしまうと、すごく引いてしまう。
「本当です。ドウシさんが、僕とまったく同じ理由でオタカラのライブに来ているってことがわかって、それで思わず笑っちゃったんです。」
そして、リョウ君の自分語りが始まった。
「僕、東京でエンジニアをやっているんですが、勤務先が土日もほとんど休みがなくて、それに残業もものすごく多くて、その割に給料はものすごく安くて。その上、上司からは毎日のように罵詈雑言を浴びるし、いわゆる典型的なブラック企業なんです。」
わたしも導師国で導師業をやっていて、土日祝日も関係なく通常営業だ。そして、毎日の執務を終えるのは大体午前を過ぎてからだ。それと、導師業というものに給料という概念が存在しない。自分の口座も持っていないし、現物支給もない。実際に日々の活動に対して、報酬が入ってきているという感覚はない。そして国民からは日夜称賛の嵐だ。ありもしない実績に対し、毎日称賛を浴び続けるのもつらいものだが、罵詈雑言を浴びるのは、それ以上につらいことなのだろう。
「ブラック企業なので人が辞めていく。募集をかけても人材は集まらない。人材が集まらないから社員一人一人に対する負担がまた増える。そして、さらにブラック化する。悪循環なんです。」
導師業も、始めの頃は導師様にお仕事を任せるなんて不敬だ、とかいって、なんでも周囲の人間がやってくれていたみたいで、結構ヒマだったとか聞いたことがある。だが、時が経つにつれ、導師業がお飾りとなり、徐々にその象徴化が進んでいく中で、行事も増え、様々な会合の場に呼ばれることも多くなり、今のような状況になっていったという。
「しんどいし、つらいし、何度も仕事を辞めたいと思ったこともあったんです。でも、僕、特に仕事ができるわけでもないし、それに人付き合いも苦手なので、転職したくても、僕なんて他に雇ってくれるところなんてないだろうし。結局、今の会社にしがみつくしかなかったんです。」
わたしも特に優秀というわけでもないが、導師業を辞めたいですと言って、はいそうですかといって辞めさせてもらえるような職業でもない。導師業をやり遂げるか、もしくは導師業を辞めるために、「偉大なる国家殉死」をやり遂げるしかない。
「僕、これと言った趣味もなくて、唯一趣味と言えるものといえば、オタカラぐらいで。仕事でどれだけ嫌なことがあっても、オタカラを応援することで、今までなんとかがんばってこれたんです。でも、この1,2年仕事の方がさらに忙しくなってしまって、オタカラのライブとかイベントにも、ほとんど参加することができなくなっちゃって。それで、かなり精神的にもきつかったんです。」
「そんな時、オタカラが5周年のライブをここでやるっていうことが決まって。これだけは絶対に参加しないといけないと思って。それで上司には、ずっと前から、この日だけは絶対休ませてくださいって前もってお願いして、チケットも早めに手配していたんです。でも、最近仕事の方がトラブル続きで、この土日も休日出勤が確定していて。上司にいくらお願いしても、絶対休むな、休むとクビだなんて言われてて。それで、本当はライブに行くことを諦めていたんです。」
「でも、いろんなことがつらくって、しんどくなってきて、精神的にもギリギリで。それで昨日の仕事帰り、A市のホテルの空きを見ていたら、一泊5万円だけど一軒だけ空いているホテルがあるのを見つけてしまって。それを見たら、オタカラに会いたい、もう我慢できなくなっちゃって。それで家に帰ったら、すぐライブに行く準備をして、新幹線に乗って、気づいたら、ここまで来てしまいました。家にいたら、いやでも明日仕事に行かなきゃってなってしまうと思ったので、それであえて前泊することにしたんです。」
「だから、きっと今頃、会社の方でも大騒ぎになっていると思います。多分、会社の方から自分のスマホにも大量に連絡がきてると思います。だから、今日は朝からスマホの電源をずっとオフにしてるんです。でも僕の場合は、自分で辞めた、というより… クビ、ですね。でも、今日ここに来てよかった。ドウシさんとも知り合うことができたし。」
なんと、リョウ君はわたしではないか。わたしも、趣味と呼べるものなど一切なく、導師としての、この変わらない日常を一生続けていくことだけが自分の人生だと、すべてを受け入れていた。
そんなわたしに、3年前、突如Watercolorsがわたしの目の前に現れた。それからは、毎日執務が終わった後、秘密の部屋で、彼女達のアニメを観て、彼女達の楽曲を聴いて、彼女達のことを知ることが、わたしの日課となった。わたしにも導師以外に、生きる目的ができたのだ。
彼女達がA市で5周年ライブを開催するということを知っても、ライブに行こうとは思わなかった。それは行ける可能性がなかったからだ。チケットも買った。現地の宿泊手配もした。それは、最初から単なる記念だと決めていたからだ。だが改めて考えてみると、わたしは、彼女達のライブの開催を知ったその日から、実は彼女達のライブには絶対に行くと、心の底では、もうすでに決めていたのかもしれない。わたしも、自分では導師業を淡々とこなしているように思っていたが、実際は、いろいろと限界がきていたのかもしれない。まさか、D-4315機で日本と空中戦を行うことになるなどとは、まったく予想はしていなかったが。いずれにしても、何らかの方法で今日この場所に来たはずだ。
だが、わたしもそのことを後悔していない。本当にここに来てよかった、と、今でもそう思っている。
「リョウ君。」
わたしは、彼に語りかけた。
「はい。なんですか?」
「リョウ君は、自分は仕事ができないとか、人付き合いが苦手だとか、そんなことを言ってたけど、自分は今日1日リョウ君と一緒にいて、全然そんなことないって思いましたよ。今日の聖地巡礼だって、朝から時間を計算して、駅、商店街巡り、カフェ、オタカラショップ、漁港ランチ、カブトヤマスターランド、ホテル、そしてこの展望台と、ライブまでの完璧なスケジュールを組み立ててくれました。それに巡礼中も、すごく親切で、少しでも自分に喜んでもらおうと、一生懸命気をつかってくれているのがすごく伝わってきました。そもそも、そんな人がわざわざ自分の時間を使って、見ず知らずの他人に対して聖地巡礼の案内をしようなんて思うはずがない。僕は今日リョウ君とずっと一緒にいて楽しかったです。」
「ありがとうございます。僕も楽しかったです。」
「僕も仕事を辞めて、今ここにいることに後悔はありません。自分もリーダーとしては凡庸で、それで自分の代わりなんて誰にでもできるだろうって、ずっと思っていましたし、実際にそうなのかもしれない。でも、辞めてしまった今になって初めて、自分の知っている人でも知らない人でも、本当に多くの人が、こんな僕なんかでも心の底から慕ってくれていたんだって気づきました。僕は、ここに来たことを後悔していないけど、僕がリーダーだった時に、そんな彼らや彼女らのために、自分なりにでもいいから、もっと何かできることがあったはずだって、そのことについては、ものすごく後悔しているんです。でも、そんなことを考えても僕の場合はもう遅い。」
続けて、
「多分リョウ君自身が気付いていないだけで、社内でも、リョウ君のことをすごく頼りにしている人はいると思いますよ。リョウ君の上司も、リョウ君という貴重な戦力を失った深刻さに気づいて、今頃社内でパニックになっているんじゃないでしょうか。それに、今の会社がブラックでイヤだったら、他の会社に行けばいい。リョウ君を必要としている会社なんていくらでもあると思いますよ。それは元リーダーの自分が保証しますよ。」
すると、リョウ君は少し照れ臭そうに微笑むと、
「ドウシさん。ありがとうございます。今日ドウシさんと知り合うことができて、本当によかったです。」
と、答えた。
「自分こそ、リョウ君と知り合うことができて本当によかったです。」
それからしばらくの間は、二人してその場にじっと立っていたが、
リョウ君はふと左腕の時計に目をやると、
「あっ、そろそろ時間です。ドウシさん、急ぎましょう。」
「あっ、はい。わかりました。」
そして、二人は下りのエスカレーターへと向かった。
わたしの言葉が、リョウ君に届いたのかどうかは、わからない。残念ながら、わたしの能力では、これが限界だ。




