心の在処
エドにもチューリング・テストという言葉に聞き覚えがある。
それは二十世紀の数学者アラン・チューリングが提唱した人と人工知能の知的境界線を探る試みだ。
やり方は極めてシンプル。
まず二つの部屋を用意し、一つの部屋にテスターとなる人間を置いて、もう一つの部屋にいる『何者か』と対話させる。
対話手段は電話音声による会話でも、キーボード操作によるチャットでも良く、どれほど時間をかけても、どんな事を質問しても構わない。
そして、この対話の終了後、テスター役に訊ねるのだ。
あなたが話していた相手は人ですか、それとも機械でしたか、と。
即ち、人を欺く程の知性を機械が持ち得るかどうか問うものだったが、当初の予想以上に高いハードルとなった。
2014年、最初にパスしたロシアのチャットボットは被験者の三割を欺くのが精一杯であり、完璧に人間を装い得る最初の人工知能が出現したのは21世紀半ばの事。
その先の進歩は、確かに目覚ましかったのだが……
「どうしてあなたとの対話では、如何なるAIもチューリング・テストにパスできないのかしら?」
真摯なラナの問いに、エドは肩を竦め、お手上げのポーズを作った。
「知るもんか。大体、そんなテストを意識した事は無い」
「でも、現実にあなたはAI型人造人間の側から見て、最もシビアなテスターなのよ」
エドは思案顔で腕を組もうとし、右肘から先が無いのに気付いて苦笑した。
「答えを出せなければ、いずれ私の仲間があなたを徹底的に調査するでしょう」
「俺を拉致して?」
「もうすぐ迎えが来ます」
「どう調べる? 俺の体をバラバラに分解するか?」
「ええ、必要なら躊躇無く」
「戦闘仕様の特殊なタイプを除き、人造人間には人を傷つけないコードが仕込まれている筈なんだが」
「あなたが本当に人間なら、ね」
何気ないラナの一言で、エドの軽口が凍りついた。
「その冗談は、笑えない」
「まだ不確かな情報ながら、トッド・ハンソンの組織に潜入した仲間から、興味深い報告があったのですよ。
先の大戦の最中、あなたがトッドと行動を共にしていたのは事実。でも、それは兄弟だからじゃない。
単に幹部付きの警護ロボットとして、あなたは奴の傍にいた」
ラナから目を逸らし、エドは唇を歪める。
「あなたは彼を庇い、頭部を銃撃されて有機脳に深いダメージを受けた」
「そこまでなら、巷に流れる噂話と似ているが」
「でも、その修復の途中、想定外の何かが生じ、意識を取り戻したあなたは、ロボットを見分けられる様になっていた。
戦後、その力を知ったトッドはあなたを人と同等に扱い、弟と呼ぶ様になる。
人の中に潜むロボットの脅威を叫び、恐怖を煽りたてる事で、町の実権を握る為に」
エドは沈黙を守っていた。
その表情は皮肉な冷笑にも、胸の奥の痛みに堪えている様にも見える。
「ねぇ、とっくにわかっているんでしょ、彼に利用されているだけだって?」
「かと言って、裏切れはしない。俺はあの人がいなけりゃ、今頃、廃棄処分の鉄屑にされていたんだ」
「あいつはいずれ、あなたを殺す」
ラナは9ミリの小型拳銃を机に置き、わざと無防備な隙を作り出す。
もう駆け引きはしない。
彼女の静かな眼差しに、その確かな意図をエドは感じた。
「町に潜む人造人間全てを駆逐する事こそ、政治家としての、トッドの公約よ。抗う私の仲間が誰一人いなくなったら、最後に処分されるのは、あなた」
「ふん、他に行き場の無い俺には、似合いの末路かも知れない」
「行き場なら見つければ良い」
机越しにラナの手が伸びる。
柔らかくエドの頬を撫で、中折れ帽のつばに触れて、ずらした。
その指先が彼の後頭部をまさぐり、帽子の下に隠され続けてきた古傷……虚ろに開いたままの弾痕を探り出す。
「ここ、途中で修理を止めたのね」
「ああ」
「回路が剥き出し……これでは、すぐ又、壊れてしまうかもしれない」
「俺の能力が見つかった時、技術者にはその根拠が解明できなかった。だから、もし適当に修復して力が失われたら、元も子もないと思ったんだろうさ」
「あなたの力の根拠なら、私の仲間が立てた仮説がある」
ラナの指先がエドの傷跡を撫でる。
「あなたの中に『心』が生じた」
エドは動かない。
反撃のチャンスを無視し、只、女型人造人間の指の感触を噛み締めている。
「これまでAIがどうしても越えられなかった境界線をあなたは越え、人とロボット、両方の感覚を持ったが故、直感的に見分ける事も可能になったのよ」
「はっ、頭の後ろに、どでかい風穴が開いたせいで、か?」
「猿から分岐した人類が直立し、火を使う様になったのは、およそ200万年前。
その進化のきっかけだって、未だ解明されていない。ちょっとしたイレギュラー、運命の悪戯が、ある個体に偶然生じた結果だったのかもしれない」
「つまり、ロボットもどんなきっかけで進化するか判らないって言うのか?」
「例えば、頭の風穴とか、ね」
ラナが立ち上がり、両手を広げて、エドの頭部全体を優しく抱いた。
「ちょっと羨ましい」
「何が?」
「私も、ずっと『心』が欲しかったの。死にゆく人の傍にいて、一緒に流す涙が只のプログラムの結果じゃない、本物なんだって信じたかった」
機械の体にも温もりはある。
胸部に内蔵されたジェネレーターが生じる熱を、共に感じ合う一時が過ぎ……
ラナが体を離した時、通りに面した窓の外から強い光が差し込んだ。
仲間の迎えが来たと思い、様子を見に行く途中、ラナの表情が変わる。
事務所の前に止まったのは、トッドに忠誠を誓う親衛隊の装甲車であり、自動小銃を構えた数名が中から飛び出してきたのだ。
「おい、君の仲間が来るんじゃないのか?」
「ばれたみたい、私達の動き」
玄関のドアが開いた直後、毎秒数百発の銃弾が事務所へ撃ち込まれた。
拳銃で応戦しようとしたラナの体が吹っ飛び、空中で引き裂かれる。
エドも被弾した。
その瞬間、自身がトッドへ流した調査情報に基づき、人造人間の潜伏先が急襲され、既に壊滅したであろう事を彼は察する。
敵がいなくなるのは、イコール、エドの存在意義が無くなってしまう事。
やっぱり俺はお払い箱か?
苦い笑みを浮かべ、エドは致命的な部位への直撃のみ避けて、床の電子加速砲を拾い上げた。再び右腕にマウント。
怒号と共に放たれた一撃は、正面の壁を吹き飛ばし、撃つ度、窓の外や玄関前に布陣していた兵士を血と肉へ還元していく。
その威力は、確かに部屋の中で使うべき代物ではなかった。
数秒後、エドの前方に人影は無く、装甲車は原型を留めず、只、瓦礫の山が広がっているだけだ。
「全く……笑えない冗談だぜ」
苦々しく呟き、エドは足元に倒れたラナを見下す。
修理できる限度は越していた。
しなやかだった体は濃紺の衣服ごと銃弾で引き裂かれ、セラミック製の胸郭内で火花を散らす心臓部まで露わになっている。
「ラナ、まだ俺の声が聞こえるか?」
細い首が動き、瞳の赤いサーチ光がエドを捉えた。
「知りたがっていたな、俺が何時、君の正体を見抜いたか」
形の良い顎が小さく上下する。
「本当の所、俺は見抜いていない」
澄んだ瞳が驚きで見開かれ、エドはきまり悪そうに頭を掻いて見せた。
「君が、俺の事務所で得た情報を何処かへ流している事には気付いていたし、トッドにその旨を報告もしている。でも、君がロボットか人間か、俺の中で見極めがついていた訳じゃ無いんだ。
LA市民の中にも、義兄に逆らい、ロボットを匿う人間が少しはいるし、な」
瞳は尚も見開かれたまま、意外そうにエドを見ている。
「多分、俺は怖かったんだと思う。君の中にある『心』を見るのが」
ラナの唇が震え、微笑の形を作った。
彩る真紅のルージュだけ、先程と変わらぬ艶やかさを今も保っている。
「ずっと一人、いや、一台だけで動いてきたから……怖かった。造り物の『心』が通い合う、そんな誰かを知る事」
脊椎が折れているラナの上半身を抱き寄せ、髪を撫で、何処かで見た人の仕草をまねて唇を重ねてみる。
心臓部が完全に作動を停止する直前、その頬を伝う滴を感じた。
ラナが最後に流した涙は、彼女が夢見続けた『心』の境界線に、果たして何処まで近づいていたのだろうか?
エドはそっとラナの体を横たえ、傍らに転がっている帽子を拾い上げた。
被ろうとする手が止まり、ふと背後の壁の一画を見つめる。樫の大きな帽子掛けが、何の因果か、無傷のまま突っ立っていた。
一瞬、肩を竦め、いつもの調子で中折れ帽を投げてみる。
狭いフェルトのつばが回転し、緩い放物線を描いて……
でも、そこから先はいつもと違った。
樫の帽子掛けから逸れ、瓦礫塗れの床へと帽子は落ちる。
外れたのは初めての経験だが、丁度良いとエドは思った。最早、彼の頭部の弾痕を隠す意味は何処にも無い。
愛用する35ミリのリボルバーをホルスターへ戻したエドは、ラナの9ミリ拳銃もベルトに差した。ついで撃ち尽くした電子加速砲を全弾装填する。
義兄への土産は多い方が良い。
彼の秘書が残した温もりの余韻と共に、人の最も本質的な『心』の一つ、激しい怒りを滾らせて、エドはトッド・ハンソンが君臨する庁舎への道を歩き出した。
読んで頂き、ありがとうございます。
SFジャンルの長編も考えておりますので、投稿の際はそちらもご覧いただけると嬉しいです。