後日談②
「タマ―! タマ―!」
従兄弟の声に、私は顔を上げる。
…何で呼んでんだろう。…ま、作業中だし、事務所にはもう一人の事務員の恵子さんが残っていたはずで、ま、いっか、と私は作業を再開した。
「タマ―! タマ―!」
…本当に、どこの国民的アニメの猫だよ。どうせなら“ちゃん”付けでもう一つの国民的アニメのキャラクタの方が、人間になれるのに。
「タマ―!」
従兄弟の諦めそうにない様子に、私はのそりと立ち上がって、ドアを開ける。
「ここにいるけど。」
「いた!」
ドアから顔を出した私に、慌てた様子で従兄弟が近寄ってくる。
「いたじゃないし。何?」
「逃げたかと思って。」
真顔で言う従兄弟に、私は大きくため息をついた。
「給料もらってる身分だから、仕事中に逃げるとか、雇い主に黙っていなくなるとかしません。辞めるときには辞めるって退職届叩きつけてやるから!」
私の悪態に、ククク、と従兄弟が笑う。
「それなら安心だな。」
「…何が安心なのよ。」
「退職届なんて受理しないからな。」
「仮にも法律事務所で法令順守しないとか普通にダメでしょ。」
「タマについては法令は俺なの。」
「…あ、そ。」
その会話をするのがバカバカしくなって、私ははぁ、とため息をつく。
「それで、何の用なの?」
「え? いないから探しただけ。」
「…恵子さんに聞けば、資料室で掃除してるって教えてくれたはずだけど?」
従兄弟の顔が赤くなる。
「いや、見当たらないから焦って…。」
…恵子さんも私の名前を従兄弟が呼び始めた時に一言言ってくれればいいのに、と思ったら、ちらりとこちらの方を覗き込んだ推定五十歳自称二十歳の恵子さんは、ニヤニヤと笑って顔をひっこめた。
どうやら従兄弟の様子を単に楽しむために、真実を隠ぺいしたらしい。流石、従兄弟が雇うだけあって、恵子さんはなかなかの性格をしていらっしゃる。でも、さっぱりとしたその気性は、一緒に働いていて働きやすい。だからその点については、従兄弟に感謝している。
「なあ、タマ。」
「ニャー。」
「…猫じゃあるまいし。」
私の返事に呆れた様子の従兄弟に、私はまたため息をついて見せる。
「私もネコみたいな名前で呼ばれたくはないんだけど。」
「小さい頃から、呼んでるだろ。」
「小さい頃から嫌がってるでしょ!」
私と従兄弟は同じ年で、私は物心ついた時には従兄弟に「タマ」と国民的アニメの猫の名前で呼ばれていた。そして、物心ついた時には我々は犬猿の仲だった。
だから、あの結婚式の後の従兄弟の告白は、まさに青天の霹靂って感じだった。本当に意味が分からない。未だに意味は分からない。
「…なあ、珠緒。」
まあ、そう呼ぶんなら、返事をしないでもない。
「何よ。」
「好きだから勝手にいなくなるなよ。」
「は? 掃除してただけで何でそんなこと言われなきゃなんないのよ! まだ掃除終わってないんだから、もう行って!」
「…つれない奴だな。」
そう言いながらも、従兄弟は特に気にもしてない。
「すいません、所長。お言葉ですが、今仕事中じゃありませんっけ?」
完全プライベートな感じ醸し出してるけど、まだ私の就業時間である6時は過ぎてませんから!
「俺、休憩時間だし。」
「私は仕事中なんで。じゃ。」
私は従兄弟を押しやると、資料室のドアを閉めた。
…従兄弟に久しぶりに名前をまともに呼ばれたせいで、ドキッとしてしまった。
不覚!




