長谷川君は聖人に違いない⑨
「何で…空手やってんだよ」
ぶっきらぼうな君津君の声に、私は仕方なしにうなずくと口を開く。
実はさっき帰りかけだった長谷川君が先生に呼び止められて、そのときにどうやら厄介そうな仕事を押し付けられたみたいなんだけど、さすが聖人長谷川君は二つ返事で引き受けていた。
そして申し訳なさそうな長谷川君を完全に見捨てることもできず、私は校門で待つだろう君津君への伝言を持って校門まで来た。
うん、そこまでは理解できた。
なのになぜ私が帰れなくなってるかって、君津君がなぜか、その眼光で私がそのまま帰るのを許してくれなかったのだ。
何だろうなー。暇潰しの相手に選ばれたのかなーとか思ってみたり。
「兄がね、元々空手やってて。それでかな」
「純さん、兄貴いるのか」
君津君から「純さん」呼ばれるのに違和感を感じなくなってきている自分が空恐ろしい気もしている。いや…きっと気のせいだ。
「うん。スッゴい空手やってるのがかっこよくて。私もあんな風になりたいって始めて。全然追い付けないんだけどね」
お兄ちゃんの姿を思い出して、私は空を見上げる。
私の脳裏には、集中して演舞をするお兄ちゃんの姿が浮かぶ。
あそこにたどり着きたいとずっと思っていて、いまだにずっとたどり着けていない。
「お前も色々あるんだな…」
意味不明な君津君の呟きに君津君を見ると、なぜか君津君は目をぬぐっていて、何やら泣いているように見える。
なぜ。
「え、えーっと、君津君、ど、どうかした?」
スルーすべき案件かと思ったけど、一応人としての良心は持ち合わせているつもりなので、そっとするわけにもいかずに、尋ねてみた。
「わりーな。純さんの兄貴が死んだとか知らなかったしよ」
へ?
そう思ったのと、私の右側から影が差し込んだのは同時だった。
「お前、純の何? 彼氏な訳?」
「はあ?! お前こそ誰だよ!」
どう見ても、君津君がメンチを切っている。
そしてその相手は…。
「お兄ちゃん! それは大いなる誤解だから!」
私は慌ててお兄ちゃんの服を引っ張る。
何で今日ここにいるの?! という疑問は、きっと今は答えてもらえないだろう。
だけど、お兄ちゃんは私の言葉を無視して君津君に対峙したままだ。
「はあ?! 純さんの…兄貴?」
どうやら君津君は私のお兄ちゃんだとは理解したらしいが、そのメンチを切った状態は変わらず。
「そうだよ。俺は正真正銘純の兄貴だよ。勝手に殺されたら困るんですけど」
「うん、わかった! それが間違ってるのは認めるから、お兄ちゃん落ち着いて!」
私がもう一度服を引っ張ると、お兄ちゃんが笑顔で振り向いた。
私はその表情に、戦慄を覚える。
なぜなら、うちのお兄ちゃんは、基本笑わない。無表情。
それが笑っているように見えたときは、逆に怒っているのだ!
そう、お兄ちゃんの笑顔は怒りを隠すのに使われている!
笑顔の使い方間違ってるからお兄ちゃん!
そして、自分で言うのは嫌だけど、お兄ちゃんはちょっと…シスコンのきらいがある。
だから今のこの構図は…君津君を彼氏と勘違いしたお兄ちゃんが君津君に喧嘩を売ってる…ようにしか思えないんだけど!
「ごめんねー、君津君。あ、純さんも一緒に待ってくれてたんだね。ありがとう」
そんな緊張した空気を気づきもしないように、長谷川君が登場した。
案外あの用事はあっさり終わったんだなーとかどこかで思いつつ、
長谷川君の登場で場の空気が緩むだろうと、どこかほっとした気持ちでもいる。
うん。私の長谷川君への信頼は抜群かもしれない。特に対君津君に関して!
「純さん…って、純、どう言うことだ?」
え?
何で私、お兄ちゃんに笑顔で見られてる?!
「純、お前、二人と付き合うような悪い女になったのか?」
完全に誤解! 下の名前を呼ばれてるってだけで付き合ってるとか、しかも二人ととか、いったいどんな思考回路になってるわけ?!
「違う! 違うよ、お兄ちゃん! それはない! ないから!」
「すいません、純さんのお兄さん。はじめまして。僕は長谷川真澄と言います」
私が慌てて否定してるって言うのに、長谷川君がのほほんとした雰囲気でお兄ちゃんに挨拶し出した。
ある意味強者!
そうか聖人って言うのは、聖人と書いて「つわもの」と読むのかもしれない。
「長谷川…ますみ、か。いい名前だな」
だけどなぜかお兄ちゃんはその長谷川君の雰囲気に押し流されたのか、その名前がますみであることから事情を理解したのか、無表情に戻った。
さっきはどうなることかと思ったけど、長谷川君、ナイスアシスト!
「婿入りしたら、増見ますみになるけどな。俺がいるから、長谷川姓のままで大丈夫だから」
いや、全然大丈夫じゃなかった! お兄ちゃん、どうしてそんな方向に話がいくかな?!
「私たちまだ高1だし、そもそも付き合ってないから!」
「付き合ってないのか?」
え、何でそれで怒るのお兄ちゃん! 笑顔が怖い!
「え? 純さんとの付き合いは、入学式の日から...」
ちょっと、誤解を招く言い方はやめてよ、長谷川君!
それは交際の意味じゃない付き合いなだけでしょ! このタイミングで本気でそんなこと言わないで!
「はあ?! 長谷川、付き合ってないって言ったじゃねぇか!」
もうやだ! 今度は君津君が怒り出した!
「付き合ってるなら、それでいい」
君津君が怒ってるのスルーして納得しないでお兄ちゃん!
「よかねぇよ! 長谷川は誰とも付き合ってねえってこの間言ったんだよ!」
「お前、さっきからキャンキャンうるさい。弱いやつほど吠えるって言うからな」
......なぜ、お兄ちゃんは君津君を目の敵に......。
「はあ?! なに言ってんだよ! 俺のどこが弱いって!?」
「ほら、そうやってかっとなるのが精神が未熟な証拠だろ」
「お兄ちゃん、落ち着いて!」
「純、俺はこいつと違って落ち着いてる。大丈夫心配すんな」
笑っててそれはないでしょ、お兄ちゃん!
「はあ?! 俺だって落ち着いてるわ!」
「君津君、落ち着いてるなら声小さくしようね」
「......わかったよ」
流石、長谷川君。鶴の一声で、君津君が声を落とした。
それを見たお兄ちゃんが、もう戦う必要がないと悟ったのか、無表情に戻る。
......良かった。
取り合えず、お兄ちゃんと君津君が相性悪そうだって言うのだけ
はよくわかった。
「純さんのお兄さん、これからよろしくお願いします」
この雑然とした空気の中、のんびりとお兄ちゃんに挨拶をする長谷川君を私はつわものと呼びたい。
聖人!
「ああ、これからよろしくな」
そして私と長谷川君の意図しないところで、きっと私と長谷川君はお兄ちゃんの中で付き合ってることになったと思う。
もう否定する元気など、私にはない。
って言うわけにもいかないし!
「お兄ちゃん、よーく聞いてね。私と長谷川君は付き合ってないから!」
「純、いくら俺が厳しいからって、嘘は必要ないよ。長谷川君なら俺は許す」
「ありがとうございます」
もうやだ。ニコニコしてる長谷川君は、絶対意味わかってお礼言ってないし!
隣で君津君が私を睨んでるんだけど、それ誤解だからね!
ついでに、お兄ちゃんの誤解をとけそうな気がしないのは、私の気のせいじゃないよね?!
えーっと、えーっと......。
「ところでお兄ちゃん、何で今日ここにいるの?」
話を変えよう!
お兄ちゃんは大学に進学して、今は遠く離れたところにすんでいる。
だから、こんな平日にここにいるって言うところが、まずオカシイ!
「GWは合宿で帰ってこれなさそうだから、急に稽古休みになったから明日は授業も普通にあるからすぐ帰るけど、純の顔見に帰ってきた」
プッと吹き出したのは君津君。
「シスコンかよ!」
即座にお兄ちゃんの笑顔が復活した!
「君津君、人をバカにしちゃいけません!」
その言葉に、君津君は即座にシュンとして、お兄ちゃんの表情は無表情に戻る。
「流石わが弟よ」
お兄ちゃん、違うから!
ほら流石に長谷川君もキョトンとしてるから!
「お兄ちゃんっていい響きですね!」
違うよ長谷川君!
…なんだか疲れた。
きっと長谷川君って、聖人と書いて「どんかん」と読むんだと思う。




