長谷川君は聖人に違いない⑤
「長谷川」
校門を出ると、校門の前に気だるそうに体を預けていたヤンキー高校と名高い学校の制服を着崩した男子が、ドスの効いた声で長谷川君を呼び止めた。
明らかに目つきもにらんでるし、きっと長谷川君はこの男子の何か気に障ることをしてしまったに違いない。
慌てて長谷川君を見ると、きょとんとした顔で、首をかしげていた。
ちょっと、長谷川君! この眼光の鋭さ考えてみて! どう考えたって難癖付けられるから! そんなきょとんとしてる場合じゃないから!
少なくとも普段の長谷川君を見ている限り、こんなヤンキーに難癖付けられるようなことを長谷川君がしてるとはにわかに思えないんだけど。
私は長谷川君に空手を脅しに使ったいけませんと言われてしまってるから、何かほかに長谷川君を助ける方法に頭を巡らす。
「何でここにいるの?」
だけど長谷川君は、呑気な声でその男子に声をかけた。
脱力しそうになって、脱力しちゃいけないと自分を叱咤する。
もし、この男子が手を出そうとしたら…うん、逃げよう。もう逃げるしかない!
「何でじゃねーよ!」
その男子が吐き捨てた言葉の威力は強くて、さすがにびくりとする。
「大きな声出さないで? 彼女がびっくりしてるでしょう?」
なのに、予想外に、長谷川君がその男子に向かって諭すように声をかける。
いやいや、そんなこと言ったらますます逆上しちゃう! と思って長谷川君の制服の袖をつかむ。
いつでも走り出せるように。
「あれ、狂犬君津だろ」
「うそ、マジで。見るなよ。目つけられたらどうすんだよ」
ぼそぼそと話しながら通り抜ける他の生徒の声が耳に入ってくる。
…狂犬君津。
噂には聞いたことがある。怒り出すと手が付けられなくなるって噂の不良。
…え?
長谷川君、狂犬君津に目をつけられてるってこと?
何で?!
聖人なのに?!
どうして?!
「わりー」
予想外の弱弱しい声に、え、となる。
その言葉を発したのは、先ほどから眼光鋭く長谷川君を睨みつけてた…推定狂犬君津くん、だ。
「だから、どうして君津君がここまで来てるの? 学校終わってから来た? まだ授業中に抜けてきたんじゃないよね?」
そしてまさかの説教モードの長谷川君。
あれ?
なんかおかしくない?
「だってよ、長谷川が遊んでくれねーから!」
うん。今、推定狂犬君津くんから、遊んでくれないって、拗ねたような声が出てきたのは、気のせいかな?
「今は遊べないって言っておいたでしょう?」
「そんなこと言って、今この女と一緒に帰ろうとしてるじゃねーかよ! 俺と会おうともしないのによ!」
「君津君、この女、とか言わないの。彼女にはれっきとした純さん、って名前があるんだから。純さんって呼んで。それにこの女って呼んだの謝って」
「わりー、純さん」
推定狂犬君津くんが、鋭い眼光を伏せて顔をそっぽに向けた。それだけでも、彼にとっては最大限の譲歩じゃないんだろうか…。
ものすごく長谷川君の言うことに従順な推定狂犬君津くんに、私はちょっと引く。
…というか、純さんとか呼ばれてるんだけど、私大丈夫?
「僕だって君津君と遊びたいよ? でもね、僕と遊ぼうとすると、君津君勉強おろそかにするでしょ。だから、学校に慣れるまでは駄目だって言ったでしょ」
「学校なんて行かなくったっていいんだよ! 俺は長谷川と遊びたいんだよ!」
「学校に行かなかったら絶交だって言ったでしょ。今日もし学校さぼってきたとしたら、しばらく電話出てあげないからね」
「うそ! まじかよ! それ勘弁してくれよ!」
長谷川君にすがっている推定狂犬君津くんは、会話を聞いてない人たちには、きっと長谷川君に絡んでいるように見えるだろう。
だが、今の会話を聞く限り、力関係は長谷川君に分がある。
「H高校の君津がわが校の生徒に何か用かね」
だけど、この光景を勘違いしただろう誰かが、先生を呼んでしまったらしい。
うちの学校で一番こわもてな体育教師がやってきた。
「すいません。僕の友達なんです。校門のところで騒いでごめんなさい」
そして、ぺこりと頭を下げる長谷川君に、体育教師があっけにとられる。
もちろん、遠巻きに見ていた人たちも。
うん。私は先に理解してたから、あっけには取られなかったけど。
でもね、信じられない気持ちでいっぱいです。
流石聖人。
狂犬すら手なずけるとは。
完




