不毛な恋の行く末は①
講義室の入口に立つと、光彩認証システムが作動する。それは一瞬のことで、ドアが開くまでには終了してしまうことだ。
誰かの代わりに出席しようとしているわけでも、悪いことをしているわけでもないのに、慣れないこともあって、何だか緊張してしまう。
講義室に入ると、いつもの通り、講義室は閑散としている。
無機質と言っていい講義室は、少なくとも学生を迎え入れることをあまり想定しないで作られたんだろう。
窓は1つもなく、自然を感じるものなど存在しない。
日の光の入らない部屋は、辛うじて太陽の光に似た波長を出す明かりが灯されている。けれど、灰色の冷たさを感じる机に、固い金属製の椅子があるだけ。ここが大昔の監獄のようだと言ったのは、同級生の誰だったかな。
そもそも、私だって大学の講義室を使う授業は、これくらいしか取っていない。
あとは、好きな場所で画面を見ながら講義に出席する。
それが、普通。
普通じゃないのは、この授業をひらく教授が、変わっているせいだ。
音もなく講義室の前のドアが開く。
厳ついメガネを掛けた教授が、カツカツと教壇に立つ。
この教授の授業は、出席が必須だ。今時、ゼミでもないのに学生の顔を見ながら講義をしたいという先生はほとんどいない。
それに、大学には世界中の人間が通っているのだ。ゼミでもないのにこうやって一定の場所にある大学に通ってこようとする人間は多くない。
でも、こうやって対面で講義をしているのに、この教授は学生の反応もあまり見てはいない。遅刻する学生がいたって、こそこそと話をする学生がいたって、知らんぷりだ。
私は、ちらりと誰もいない隣の席を見てから、後ろの講義室の入口を見た。そして、意識を教授に向けた。
教授がいつものようにディスプレイ上に展開図を表示した。
遠くにあるディスプレイの文字がぼやけている。
私は小さくため息をついて、メガネの横についている自動調整のスイッチに軽くタッチする。
はっきりと見えるようになった文字を追い始めると、隣に誰かが座った。
誰なのか、私は知っている。だから、見ない。
「レイ、授業始まったばっかり?」
心地のよい低い声に、私ははじめて気がついたようなふりをして視線を向けた。
少なくとも私が大学に来るまで会ったことのないほどの美形が、私のすぐとなりに座っている。
その美貌が眩しすぎて、私はすぐに目をそらした。
「ああ、アラン。今始まったばかりよ」
「そっか。良かった」
アランがホッと息をつく。まるで、人間みたいに。
「1週間、レイに会えなくて寂しかったよ」
当たり前のように紡がれた言葉に、私はドキリとした。だけど、これが学習されたものだと理解はしているから、何とか平常心を保つ。
「そのわりに、遅刻するのね」
そのかわりに毒をはいて、私は別にそんな甘い言葉に惑わされることはないんだと主張する。
「レイに会えるかと思うと、夜眠れなくなるんだ」
一瞬嬉しくなりかけた心を、私の理性が制御する。
「嘘つき」
私がギロリとアランを睨めば、アランが嬉しそうに笑った。
「ようやく見てくれた」
その笑顔は見惚れるほど美しい。
でも、伸ばされたアランの手に、私は我にかえる。
「ねぇ、このメガネはファッション?」
アランは無造作に私のメガネを奪い去った。
とたんに私の視界はぼやけて、アランの美貌はぼんやりしたものになった。
「本物。どうやらまた目が悪くなったらしいわ。今さっき、度数の調整をしたところ」
「そっか。レイのきれいなグリーンの瞳で直接見てほしかったんだけどね」
正直、アランの顔が見えなくて良かった。あの顔に見つめながら言われたら、きっと私はごまかせなかっただろう。
……今も、赤くなっている可能性は否めないけれど。
「何言ってるんだか。メガネ、返して」
ムッとしたふりをして睨めば、アランがクスリと笑う。
本当に質が悪い。
「ハイハイ」
アランの手が、そのままメガネを私に掛けてくれる。そして、その手首に刻まれているIDが見えた。
アンドロイドである証の。
ヒトとは恋ができない、その証の。