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恋愛短編集【過去作品】  作者: 三谷朱花
寝る前の儀式【現代・切ない・女主人公・お仕事・年の差】
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寝る前の儀式

 寝る前の儀式、というのを持っている人もいるだろう。

 私の寝る前の儀式は、ちょっと人と違うかもしれない。

 それは、布団に入って寝る直前に行う。

 その時どんな風に手を組めばいいのか迷ったあげく、今は、教会で祈るときのように手を組んで挑むようになった。

 その方が、私の心の声が、もう会えなくなってしまった初恋のあの彼に届くような気がするからだ。


 もう20年も前に会った、同じ病気で同じ時期に入院していた初恋の彼に。

 もう17年前に同じ病気で亡くなってしまった彼に。

 亡くなったのを知った16年前から、私のこの儀式は続いている。

 スマホなんてまだなかった頃、携帯電話もまだ持っていないような私たちは、手紙だけのやり取りだった。でも私たちは、受験の慌ただしさや慣れない高校生活にその手紙のやり取りを一時的に止めてしまっただけなのだと思っていた。

 でも、1年ぶりに出した手紙に書いた携帯電話の番号が、私に真実を教えてくれた。


 かかってきたのは、彼のお姉さんから。彼は、1年前に亡くなったのだと、それを知らせる電話だった。

 呆然とした私が辛うじて問いかけられたのは、どうして? という言葉だけ。返ってきた答えは、喘息の発作で、だった。

 死が身近にある病気だという認識は薄くて、まさかそれで人がなくなるなんて信じたくもなかった。あの発作は気道を狭くしてしまうんだから、命と直結してもおかしくないのだと、今ならば理解しているけど、あのときの私には、死に結び付くものが見いだせなかったのだ。

 その日は1日、呆然とした気持ちのまま、過ごした。


 でもそのぼんやりとした1日を過ごして、自分も明日死んでしまうかもしれないのだと気づいた。もしかしたら私も、彼と同じように突然亡くなってしまうかもしれない。それは、病気だけじゃなくて、思いがけない事故の場合だってある。

 だから、もう会えないと、もう彼の時間が進まないと知ったその後から、私は寝る前に自分に問いかけている。

 今日1日、私は後悔のない1日を過ごせたか。


 私の答えは、いつも同じ。

 後悔しないように今日1日も過ごせたよ。

 でも、今日は違っていた。

 後悔はあるけど、叶えたい夢があるから。

 私の儀式の中で、初めて後悔した日だ。

 それでも、二つともを選べないと思うから。私はそのうちのひとつを選んだのだ。

 私の人生を後悔のないものにするために、私はあの日以来初めて持つことになった恋する気持ちを捨てて、私の夢を叶えるための道を選んだ。


 私が恋した相手は、6つも下の会社の同僚だった。

 製薬会社の新入社員として入社してきた彼らに、基礎的な知識を教えるために研究所から派遣されたのが私だった。研究所とはいっても、同じ敷地内にある建物で、使っている食堂だって同じだ。

 だから、熱心な彼に捕まって、質問攻めに合うのが日常的な光景になるのに、そんなにも時間はかからなかった。

 その熱心さに、その真剣さに、私自身も刺激された。間違った知識を教えるわけにはいかないし、熱心に聞いてくれるのだから、その思いに応えたい。

 そうやって言葉を交わしていくうちに、私の中に違う気持ちが生まれるようになった。


 ひとつは、彼への。

 ひとつは、自分の将来への。


 彼への気持ちは、仄かな気持ちだった。年も離れすぎているし、何より私の方が年上だ。ただ言葉を交わせるだけで満足だった。

 中学生のときに終わらせてしまった初恋の後、人を好きになったことがなかった私には、それでも十分だった。

 恋人になりたいなんて、大それた気持ちは持てなかった。彼は将来を期待された人で、その精悍な顔つきは、モテる条件としては十分だったから。彼の熱意を勘違いしないように、それだけ自分に言い聞かせていた。

 

 そして私は。

 彼へ伝えるために勉強を重ねるにつれ、私がやりたかったことは薬の研究じゃなかったんじゃないかって思いに囚われるようになっていった。

 私はこうやって間接的に患者に関わりたいんじゃなくて、目の前の患者を治療する立場になりたいんだって。

 薬剤師って立場じゃなくて、医者になりたかったんだって。

 そう気づいたら、私に取れる方法なんて、一つしかない。

 だって、後悔しないように生きていきたいから。


 幸いというか何と言うか、私には彼氏もいなければ夜遊びを好むような友達もいなかった。それに地元じゃなかったから、頻繁に人に会うこともない。だから、プライベートな時間はほぼすべて勉強に当てられた。

 高校生だったときよりも勉強した気がする。

 そうして、社会人入試で合格の切符を手に入れられたのは、地元とも会社がある場所でもない、何の縁もない土地の大学の医学部だった。

 さすがに学費の問題があって、国公立を第一志望にしたら、結果的にそうなった。

 でも、私は医師になる第一歩を手に入れられたのだから、それに後悔はない。

 仄かな気持ちを捨てることに、躊躇はなかった。


 それなのに。

 今日、彼から告白された。

 思いがけないことに、戸惑った。

 でも、私の気持ちは変わらないから。

 だから断った。

 でも、叶うことがないと思っていた気持ちだったから、叶うかもしれないとわかったことで、私の未練が生まれてしまった。


 だから、今日は、後悔がある。

 でも、私は両方選べるほど、器用じゃないから。

 これからのことを思ったら、選ぶのは私の目標。

 だから、仕方のない後悔だ。


 私の恋が初めて叶った。

 それだけで、いいと思うしかない。

 目を閉じてこぼれ落ちた涙は、今日でこの後悔を終わりにしようって決意だ。

 明日はまた、いつも通りに彼の質問に応える。

 その、決意だ。


 *


 明日から大学は夏休みで、私の予定は、すでに埋まっている。

 バイト、バイト、バイト。

 幸い薬剤師の資格を持ってるから、家庭教師より時間も長くできるし割りもいい。

 学年が上がるとバイトどころじゃなくなるから、今のうちにお金をためておこうって算段。

 あとは、バレエのレッスン。

 医師には体力が必要だと思う。もう30を越えてるし体力の低下を感じてたから、何かスポーツを始めようと思った私は、チラシを見てバレエに行くことを一目で決めてしまった。いいなって思えたから。

 レッスン料は安くもないんだけど、行くのが楽しくて仕方ないから、満足料だと思っている。



 彼には医学部に進学することは伝えなかった。

 多分2月くらいにはどこかで聞いてたかも知れないけど、尋ねられることはなかったし、もう振られてしまった相手に気持ちをずっと残しているわけでもないだろう。私が彼を振ったのは、まだ暑さが残る頃だったから、半年はたっていたはずだし、私がやめるからもう教えられないのだと言っても、彼は驚いてはいなかった。

 つまり、そういうことだ。

 自分でそうするように決めたくせに、彼の反応の薄さにキリキリと胸を締め付けられてしまうとか滑稽でしかなかったけれど、それで私の恋は終わりなのだと、諦めもついた。

 

 なのに、どうして彼がここにいるんだろう?

紅子こうこさん。遠恋するって選択肢、できましたか?」

 今日の眠る前の儀式は、後悔がないって答えてもいいだろうか。



完 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。楽しんでいただければ幸いです。

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