2話 準備【2】
その後、俺は街の中で比較的余裕のありそうな店を4軒訪れ、それぞれと同様の契約を行い、ついに50万ゴルドの元手を手にした。
そのやり取りの中で俺は権能による契約に違反したらどうなるのかを試した。
1秒以内に1000万ゴルド支払わなければ、罰則として店主に傅く。
こんなふざけた内容の契約でも、俺の意思に関わらず俺の身体は勝手に店主に傅いた。
権能の強制力は本物だということだ。
しかし、ほとんどの店主はそれを知らずともお金を貸してくれた。
みんな単に人が好いだけかもしれないが、おそらくこの権能には、契約の絶対性を疑わせない効力があるのだろう。
また、氏名になってない「ロクト」なんて名義でも契約が成立してるところを見るに、法的な契約とは違い、文面の厳密性が多少崩れていても、客観的に筋が通っていれば絶対性は保証されるのだろう。
…何はともあれ、今ここに50万がある。
改めてみるとすごい…札束だ…さっきまでの極限の困窮状態からは想像できない…
これだけありゃ美味い飯も……
っていかん、これは俺の命の金。一銭も無駄にできない。俺はこの50万を全て有効活用し、依頼を達成しなければならない。
その為に、まず買うべきは──
服だ。
まずは身なりを最低限整える。俺はただでさえFランク。見た目で舐められて依頼を受けられなければ一発アウトだ。
人は見た目で判断するなとはよく言うが、初対面の相手なんて見た目しか判断材料がないのだから、見た目で判断されるのは当たり前のことだ。
予算2万、第一印象だけでいい…まともな人間に見えなければそもそも依頼を受けられない。
俺は近くで一番小綺麗な服屋を見つけ、入った。
──
「すみません。」
「いらっしゃいませ、なにかお探しですか?」
「これから新しい職場に挨拶に行く所でして。きっちりしたフォーマルな服が欲しいんですけど」
「でしたらこちらの紳士服は如何ですか?」
「ほう…」
確かに、異世界の文化でも、これが礼節のある服だということは一目見て分かった。例えるなら、ボタン多めのブレザーのようなものだ。上下、インナーまでやや光沢のある紺で統一されている。
少し触ってみると、伸縮性があるようだ。動きやすいのは良いことだろう。
「これにします。」
「魔力加工はどうなさいますか?」
「魔力加工…?」
「はい。お値段を上乗せして頂ければ、魔法保護膜を付与し、防御力を上げることができます。」
「必要ありません。このままでお願いします。」
どうせ戦闘になったら勝ち目はないんだ。戦わない立ち回りを徹底するしかない。
それよりも今は金の方が大事だ。
「では、合わせて22800ゴルドです。」
…まあ許容範囲だ。残り477,200ゴルド。
俺は買った服に直ぐに着替え、外に出た。
─────
おぉ、やはり服が変わると気の持ちようも変わる。今まで気づかなかったが、周囲の目もだいぶ変わっただろう。
少し自信が出てきた。さて、次に必要なのは
知識だ。
俺はまだこの世界をよく知らない。一般常識すらないと知れればそれこそ一発で信用を失う。
しかしここに金をかける余裕はない。どこかに図書館みたいな施設は無いものか…
…って、さっきから事ある毎に右往左往しているな。何よりまず優先すべきは地図じゃないのか?
タイムイズマネー。タイムリミットが設けられている以上、時間効率は金を払ってでも買うべきだ。
俺は最初の宿に戻った。もう4度目だな…
「いらっしゃ──って、おぉ!?あんちゃん、えらい立派な格好になったな。」
「お陰様で。」
「で?今度こそ泊まってくか?」
「えぇ、後で泊まらせてもらいます。でも今は、地図が欲しくて」
何でもかんでもこの店主に頼れば良いってもんでもないが、宿泊施設なら外から来た人も想定しているだろうし、地図があるはずだ。
「ほらよ、ストルブ区の観光地図だ。主に施設の場所が載ってる。一応貸出用なんだが」
「これ、買い取らせてください。3000ゴルドで。」
「んぁ?ま、まあいいぜ。持って行きな。」
よし、地図ゲット!残り474,200ゴルド。
「ありがとうブラウンさん!よっ男前!」
「おだてるなってぇ!じゃ、頑張れよ!」
満更でもない顔で店主ははにかんだ。
ブラウンさん…このハードモードの転生生活であんたが唯一の良心だ…。
─────
俺は手にした地図を見て図書館がないか探した。
んん…字は読めるが固有名詞がよく分からない…。この蔵書庫ってとこに行けば本が読めるのか?
日が落ち始めている。急がなくては。
────
ここか…なんだか凄く厳かな雰囲気だ。
「すみません、ここで本の貸出ってしてますか?」
「お客様、本施設のご利用は初めてですか?」
お客様って言われた!つまり借りれるってことだな?
「はい初めてです。」
「ではまず会員証を発行致します。ここにご自身のお名前をご記入下さい。」
名前…そういや俺まだ戸籍ないんだけど大丈夫なのかな。
とりあえずロクトと書いて提出した。
「ロクト様…すみません、こちら本名で登録して頂くものでして」
く、ダメか…どうする……
途方に暮れていた時、そこに一人の女性が現れた。
「──入館を。」
会員証を受付に見せている所を見るに、お客さんか。
「あら、君、何かお困り?」
「あ、えっと…」
腰まで伸びた赤い髪に、品を感じさせる整った顔立ち。落ち着いた服装に、物腰柔らかな口調…
如何にも文系って感じの上品なお姉さんに俺は暫し見蕩れていた。
「私ここの常連なの、何か困ってたら教えて?」
「俺、本名が分からなくて…それで会員証が作れなくて…」
「本名が分からない?」
「はい…記憶喪失でして…」
「そう、なら少しあちらでお話しましょ。ここじゃ邪魔になるでしょうしね、ふふふ…」
俺は導かれるまま、お姉さんについて行った。
────
そして俺達はお洒落なカフェに来ていた。
「セリビアティーのホット、君は何か?」
「あ、じゃあ同じものを」
「畏まりました。」
店員が下がったのを見てから、赤髪のお姉さんは話し出した。
「…さて、君お名前はぁ?」
「ロクトです。」
「ロクトくん、記憶喪失っていうとはどういうことなのか、落ち着いて説明してもらえる?」
「はい…目が覚めたら道に倒れてて、思い出せたのは名前と、歳だけで…」
「一応戸籍を調べてもらったんですけど、見つからないらしくて。」
「そう…あなたは『召喚』されたのかしらねぇ。」
「召喚…」
「異世界の魔物を呼び寄せる魔法よ。」
「じゃあ、俺は何者かによって、その魔法でこの世界に…」
「ふふ、今のは冗談よ。あなたはどこからどう見ても人間だもの。」
一般常識がないので何が冗談かも分からない…
「失礼、それじゃあ一先ずは、私が本を借りてきてあげるわ。何の本をお探しで?」
「俺、まだこの世界のこととか、そういう常識的なことも分かってないので、簡単な歴史書とか、社会の教科書みたいなのとか」
「…そういうことなら、私が教えてあげるわぁ。そっちの方が早いでしょう?」
「え、いいんですか?」
「えぇ、記憶喪失の人間なんて珍しいものが見れるならお易い御用よ。ふふ。」
………もしここで嘘を教えられたら、俺はこの世界の常識を誤認し、完全に詰む。
だが、ここで断って本を借りて来いなんて言えるはずもない…。俺はこの女性を、信じるしかないのだ。
「じゃあまず、『魔法』と『権能』について簡単に教えてください。」
「えぇ。いいわよぉ。」
ルーシアさんは店員の運んできたホットティーを口にして、一息ついてから落ち着いた様子で語り始めた。
「まず魔法っていうのは、魔力というエネルギーを利用した現象全般の事よ。」
「魔力は目には見えないけど、人の周りに常に滞留してる。そのエネルギーを使って何かをしたら、それだけで魔法。」
「魔力量は血統によって先天的に決まっていることがほとんどよ。貴族と呼ばれる家は魔力に優れた一族であることが多いわね。」
「対して、魔法は知識の量で使い勝手が変わる。」
持ってるエネルギー量は才能で決まるが、それを上手く使えるかは魔法の勉強次第ってことか。
…どっちにしろ、才能のない俺には、おそらく魔法は一生使えないということか。
「そして、権能というのは、神から与えられた『特権』。」
「魔法のように色んな事が出来るわけじゃないけれど、ただ一つの特権を行使する上で魔力は必要ない。」
なるほど…だから魔法適性──つまり魔力量12の俺でも使えたわけか。
「スキルは変更できないんですか?」
「出来ないわよ、神から与えられたものですもの。」
「ちなみに、お姉さんのスキルは…」
「ちょっと、女性にスキルを聞くなんて失礼よ?」
失礼なのか…
「すみません…」
「まあ、記憶喪失なら仕方ないわね。他に質問は?」
「役所で16歳は成人してるって聞いたんですけど、この国の就学期間ってどうなってるんですか?」
「3歳〜5歳は初等部。6歳〜9歳が中等部ね。ここまでで一般教養を学ぶわ。」
「その後、10歳〜15歳が、高等部。みんな自分のスキルに合った職業の勉強と実経験を積むの。魔術師志望の人は魔法科が該当するわ。」
「へぇ〜なるほど」
今の俺はものすごく遅れをとっているということは確かなようだ。
それから俺は、この世界のこと、この国のこと、この区のこと、歴史、文化、法律、モラルなど常識的なことを色々教わった。
────
「すっかり日が沈んでしまったわね。」
「遅くまですみません、本当に助かりました。」
「私も忘れかけていた当たり前を再確認する良い機会だったわ。また何か聞きたいことがあったら聞いてちょうだい?」
そう言って女性は、茶代と一枚の札をその場に残し、席を立った。
「最後に一つ、聞いてもいいですか」
「えぇ、どうぞ?」
「貴方の名前を教えてください。」
「…ルーシア・スカーレットよ。今後ともよろしく。ふふふ…」
彼女は背中越しにそう言って、その場をあとにした。
…不思議な人だったな…。
いやしかし、一日でこれだけ知識を得られたのはかなりアドバンテージを取れたはずだ。
転生以来初めての幸運!ありがとう、ルーシアさん…!
使ったのはお茶代だけ、残り473,800ゴルド。…しかし、戸籍がないってのは困るな。
…で、最後に渡してきたこの札は一体?ルーシアさんのサインらしきものが書いてあるけど、名刺的なものだろうか?
すっかり夜になり、冷え込んできた。今日は本当に密度の高い一日だった…。
そろそろ体力も限界なので、俺は五度、宿に足を運んだ。