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青葉闇奇談  作者: 黒崎リク
夏の章
9/29

其の八 繋ぐ手


 訪れたのは、年配の婦人だった。

 日本髪を結い、古典柄の着物を着た上品そうな女性だ。綺麗な黒髪に、切れ長の目や薄く赤い唇、まるで人形のように整った顔をしている。美人だが、表情が無く、少し冷たそうな感じがした。

 しかし、お手伝いのスミにも一礼する所作は丁寧で、育ちのよい柔らかな気質を醸し出している。


「こちらです」


 スミは婦人を応接間に案内して、お茶の準備をする。今日のお茶うけは薯蕷じょうよ饅頭だ。皮に山芋が入っていて、しっとりとした皮に上品な餡が絶品だ。

 今日は奮発して玉露にしよう、とスミがお茶を淹れて応接間に戻ると、先生がぱあっと顔を明るくした。


「わあ、かるら堂の薯蕷饅頭! おいしいんだよねぇ」

「ちょっと、先生」


 スミが窘めるも、先生は饅頭の載った皿にさっそく手を伸ばす。一個頬張って、満面の笑みを浮かべた。背後でぶんぶんと振るしっぽが見えるかのようだ。


「先生、お客様の前ですよ。落ち着いて下さい」


 もごもごと咀嚼する先生に、すかさずスミが茶を差し出した。二人のやり取りを見ていた婦人が、小首を傾げる。


「あの……お二人はもしかして、ご夫婦なのかしら?」

「え」

「え」


 スミと先生はぽかんとして顔を合わせた後、慌てて首を横に振った。


「いえいえ、違いますよ」

「そうですっ! そんな、先生とご夫婦だなんて、とんでもございません!」

「え……そこまで否定しなくても……ひどいよスミちゃん……」

「えっ、私、何かひどいこと言いましたか?」


 しゅん、と先生がしっぽを下げるように眉尻を下げる。スミはおろおろとしながら、元気を出してもらうために饅頭を差し出す。

 やり取りに婦人は呆気にとられながらも、ふっと小さく噴き出した。


「あら……失礼いたしました。……わたくしも、あなた方のように素直であれば、あのような不思議なことは起こらなかったのかもしれないと、そう思って――」


 そうして、婦人は淡々と語り始めた。




***




 婦人の名は“雪乃ゆきの”といった。


 雪乃の家は代々医者で、私設の医院を経営しており、家には医学を学ぶ学生が書生として住み込んでいた。

 人形のように美しい顔立ちをしていた雪乃は、書生や近隣の男子学生から憧れの的となったものだが、いかんせん、愛想が無かった。

 素っ気ない態度で、表情もあまり変わらぬ雪乃を、やがて彼らは『雪女』と影で言うようになっていた。難攻不落の冷たい女。どんなに口説いても靡かぬ彼女に、やっかみもあったのだろう。

 雪乃は密かに彼らが話すところを聞いて、悔しく悲しい思いをした。


 だが、たしかに彼らの言う通り、雪乃は不愛想だ。元々人見知りで、男の人と話すのは特に苦手だった。

 最初のうちは頑張って笑顔で話すようにしていたが、それが書生の一人に気を持たせてしまった。しつこく誘われるようになり、あしらう術を持たなかった雪乃は、ある日彼に「やめてくれ」と頼んだが、そこで逆上されて怖い思いをした。

 以来、雪乃はどうも男性が苦手になった。

 愛想が悪ければ、最初から男性は近づいてこない。自分を守るために雪乃は男性に冷たく接し、いつしか、それ以外の態度が取れないようになっていた。


「……私が十八の歳に、新しい書生さんがやってきました」


 高邑たかむらという名の書生は大学生で、元々下宿にいたそうだが、金銭的な事情で住み込みの仕事を探していた。

 見込みのある学生だと教授からの薦めもあって、雪乃の父は書生として快く受け入れた。

 たしかに、高邑は良い青年だった。

 勤勉で誠実、穏やかな性格の彼は、すぐに雪乃の家に馴染んだ。少し抜けた所があり、困ったように笑う顔は、飼っている柴犬のマルにどこか似ていた。

 今までの書生のように、雪乃に懸想して言い寄ってくることも無い。


『雪乃お嬢さん』


 のんびりとした気の抜けるような笑顔で、雪乃をそう呼ぶ。帰りが遅くなって暗いときや、雨がひどい時には送り迎えをしてくれる。

 雪乃がどんなに冷たく、素っ気ない態度を取っても、彼の態度は柔らかいままだった。

 むしろ、


『ああ、お嬢さん、ちょうどよい所に。金平糖を貰ったんです、よかったら一緒に食べませんか?』

『具合は悪くありませんか? 体を冷やすのはいけませんよ』


 と、まるで幼い子供に対するように気遣ってくれる。

 親切な高邑に、雪乃は知らぬうちに好意を抱いていた。


 だが、雪乃は自分からは何も言えない。

 もしも、雪乃が好意を示して、高邑が以前の青年たちのような態度を取ってきたら……いや、それ以上に雪乃のことを好きでもなんでもなかったら――。


 考えると怖くなって、何も行動できなかった。臆病だったのだ。

 いつも通り冷たく彼に接するしかなく、胸の奥が苦しいままに時は過ぎていった。


 ある夏の夜、雪乃は家族で縁日に行くことになった。しかし、直前に急患が入り、院長である父が行けなくなった。

 父は、男手である高邑を護衛代わりに連れて行くとよいと勧めてきた。

 真面目な高邑はといえば、書生の自分が遊びに行くわけにはいかない、急患の対応をしますと言い張ったが、父に言い含められた。

 思えば、これは父母のはかりごとであったのだろう。雪乃の思いに気づいていた母が、高邑と二人きりになれるように計らったのだ。父も父で、高邑の才能と人となりを気に入っており、卒業後は医院の方で雇いたいと言っていた。

 そうして、一応は雪乃と母、弟妹と女中で縁日へと行ったのだが、気づけば高邑と二人きりにされていた。

 雪乃は困惑した。二人きりにされても困る。高邑も困ったような笑顔を浮かべていた。


『お嬢さん、はぐれないようにして下さいね』


 斜め前を歩く彼の後を、俯きながらついていくだけ。


 ――ああ、情けないこと。


 話しかけることもできずに、己の不甲斐なさに唇を噛んだとき、雪乃の浴衣の袖を引く者がいた。

 振り返ると、五歳くらいの幼い女の子がいた。金魚の柄の白い浴衣に、赤い兵児帯を締めている。おさげ頭の可愛い女の子は、雪乃の水色の浴衣の袖を引っ張っていた。

迷子だろうか。大きな目に涙を溜めて雪乃を見上げて、『お母さん』と言った。


『どうしたの? お母さんとはぐれたの?』

『うっ、ひっく……お母さぁん……!』


 抱き着いてくる女の子に雪乃がおろおろとしていると、高邑が『どうしたんです?』と近づいてくる。


『あ、あの、高邑さん。迷子みたいで……』

『おや、それは大変だ。ええと、お嬢ちゃん、どうしたんです? お母さんを探しているのかな』

『っ、お、お父さぁん……!』


 女の子は高邑を見上げて目を丸くした後、びええと泣き出した。

 雪乃と高邑は顔を見合わせる。女の子は両親とはぐれたのだろうか。雪乃や高邑、大人の男女を見て、両親を重ねたのかもしれない。

 泣きじゃくる女の子を二人で懸命に宥める。可愛らしい金魚の飴細工を買ってあげると、ようやく女の子は泣き止んだ。

 ひっく、としゃくりあげながらも、飴を舐める姿は可愛らしい。

 雪乃が頬を緩ませていると、横から視線を感じた。高邑が、ぼうっとした顔で雪乃を見ている。


『高邑さん?』

『っ、あ、その、いえ……そうだ! この子のご両親を探さないといけませんね!』


 高邑は焦ったように言いつつ、立ち上がる。


『はぐれるといけないから、手をつなぎましょうか』


 女の子に手を差し出すと、女の子は素直に高邑の手を握る。高邑が歩き出し、彼についていこうとした雪乃だったが――


『ねえねえ、手、つなご!』


 女の子が、雪乃に向かって手を差し出した。

 小さな紅葉のような手には飴が握られていて、繋げない。あ……、と眉を下げる女の子に、雪乃は苦笑して、飴を『私が持つわね』と受け取る。


『はい、どうぞ』

『ん!』


 女の子は空いた手で、ぎゅっと雪乃の手を握った。えへへ、と嬉しそうに笑い、雪乃と高邑の間で、跳ねるような足取りで歩く。


『お父さんっ、お母さんっ』


 両親を探す声にしては、どこか響きが違う気もする。

 ひとまず、雪乃たちは縁日の責任者の所へ女の子を連れて行くことにした。

 だが、責任者の天幕が見えた頃――

 手に握っていた柔い小さな感触が、ふと、硬いものへと変わる。

 雪乃の手を包むのは、ごつごつとした指と大きな手。

 違和感に、雪乃は手を見下ろした。


『っ……』


 雪乃の手を、高邑が握っていた。間にいた女の子は、いつの間にか消えている。


 どうして、さっきまで手を握っていたのに。どういうことなの――


 戸惑う雪乃が足を止めると、高邑も気づいたようだ。


『どうしたんです、お嬢さ――うわあっ!?』


 高邑は雪乃の手を慌てて離す。耳まで真っ赤にした彼は、しどろもどろになりながら謝ってくる。


『す、すみません俺、うわわ、お嬢さん、勝手に手を握っ、て……あれ、あの子は!?』


 狼狽える高邑もまた、女の子がいなくなっていたことには気づいていなかったようだ。

 二人で女の子の手を握っていたのはたしかだ。それなのに、二人が気づかない間に手を外していなくなるなんて。

 急いで女の子を探したが、まるで神隠しにあったかのように忽然と消えていた。いや、あるいは狐か狸に化かされていたのかもしれない。

 雪乃と高邑はぽかんと顔を見合わせる。雪乃の手に残された飴細工のみが、女の子がいた証だった。


「――その時は、あの女の子はもしかしたら縁結びの神さまだったのではないかと、そう思っていたんです」


 雪乃は言葉を続ける。

 その後、縁日での出来事がきっかけとなって、雪乃と高邑は互いに意識し合うようになった。奥手同士、互いの想いを告げるまでにはしばらくかかったが、二人はめでたく結ばれた。

 大学を卒業した高邑は医者になり、雪乃は彼に嫁いだ。二人の間には女の子が生まれ、幸せに暮らしていた。


「ある夏の日、不思議なことがありました」


 夏祭りの縁日に、親子三人で出かけたときのことだ。

 少し目を離した隙に、娘が迷子になった。慌てて探す雪乃たちだったが、すぐにけろっとした様子で娘が戻ってきた。

 どこに行ってたの、と心配する雪乃に、娘はきょとんとする。


『ずっとお母さんたちといたよ。ちょっとはぐれちゃったけど、お母さんの水色の浴衣で、すぐにわかったの。でも、お父さんは……あれぇ? さっきまで洋服着てたのに、着替えたの?』


 娘の言葉に、雪乃も高邑も首を傾げる。

 だが、ふと、雪乃は思い出した。

 娘が着ているのは白い地に金魚が描かれた浴衣で、赤い兵児帯を締めている。髪を二つのお下げに結び、雪乃を見上げてくる大きな目は、あの時の――。


『ねえ、お母さん、私の飴は? 金魚の飴。さっきお父さんが買ってくれたでしょ?』


 どうしたのと尋ねてくる娘に、雪乃はあの時の迷子の女の子なのだと、そう思った。




***




「……今思えば、夢だったのではないかと、そう思う時もあります。だって、未来から来た娘と出会うなんて、現実にはあり得ないことでしょう」


 雪乃は苦笑する。


「それでも……あの子のおかげで、私とあの人は結ばれることができたのです。あの夢のような出来事が無ければ、きっと私は、あの人に想いを告げることができないままでしたわ」


 娘と繋いだ手が、未来へと繋がった。

 不思議な縁に導かれたと、そうだったら嬉しいと、雪乃はどこか照れ臭そうに微笑んだのだった。


 雪乃を見送ったスミは、ほう、と息を吐いた。


「素敵なお話でしたね。私も素敵な人と出会って、不思議なご縁で結ばれてみたいものです」

「えっ……す、スミちゃん、まさか好いた相手がいるのかい?」


 先生はぎょっと目を瞠る。


「そんな……スミちゃんがお嫁に行くなんて嫌だ、出て行かないでおくれよぅ」


 情けない声を出して肩を掴んでくる先生に、スミは呆れる。


「まったく、何を言っているんですか……まだ相手も見つからないのに、出て行くも何もありませんよ」

「本当かい? だってスミちゃん、角の酒屋の息子さんといい感じだって、二つ隣のタカ子さんが……」

「あのですね、酒屋の息子さんはまだ十歳です。そんな子供相手に、いい感じも何もありません。だいたい、今は先生の面倒見るだけで手いっぱいなんですから」

「本当だね? ああ、よかった。スミちゃんがいなくなったら、きっと僕は飢え死にしてしまうよ」

「死なないためにも、ほら、原稿して下さい! 締切り前の徹夜なんてさせませんからね」


 スミは先生の背中を押して、書斎へと向かう。

 二人の仲の良い姿は、雪乃が言ったように夫婦に近しいものがあったが、当の本人たちは気づくことは無いのだった。


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