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青葉闇奇談  作者: 黒崎リク
夏の章
8/29

其の七 兄の訪れ


 青葉はご機嫌だった。


 今日の夕飯は、青葉の好きなオムライスとコロッケなのだ。原稿が無事に上がったお祝いである。

 スミちゃん手製のオムライスは、ケチャップで甘く味付けしたハムライスを、薄く焼いた卵で包んだものだ。近所の洋食屋の娘さんから教えてもらったらしい。コロッケまで作るのは大変なので、こちらは商店街の肉屋で買い求めてくる。

 青葉の好物を言うと、いつも鬼頭から『子供かよ』と鼻で笑われる。しかし、そういう鬼頭だって、原稿を回収しに来た時にスミちゃんから夕飯に誘われ、二つ返事で了承していた。仏頂面のくせして嬉しそうだったのは、古馴染みの青葉にはお見通しだ。

 まあ、鬼頭が食後の甘いものにとシュークリームを買ってくるそうなので、青葉は相伴を許してやった。

 スミの帰りを心待ちにしていた青葉だったが、そこで「ごめん下さい」と声がする。

 来客か、と青葉は玄関に向かった。


「はいはい、どちら様でしょう」


 ひょいと顔を出すと、玄関に立っていたのは書生姿の青年だ。眦がしゅっと切れ上がった、大きな目が印象的だった。


「朽木青葉先生でいらっしゃいますか」


 まだ二十歳になるかならないかくらいに見えたが、落ち着いた物腰で一礼する。


「こちらでスミがお世話になっているとお聞きして、参りました。……私、スミの兄です」




***




 スミの兄は『鉄郎』と名乗った。


「へええ、スミちゃんのお兄さんでしたかぁ」


 青葉は快く、鉄郎を居間に案内する。鉄郎は部屋の中を見回し、小さく鼻を動かした。


「おや、どうかしました?」

「いえ……綺麗に片付いておりますね」

「ええ。いつもスミちゃんが掃除をしてくれて、助かってますよ」


 鉄郎に座布団を渡して、自分も座る。


「あ、お茶……は台所入るとスミちゃんが怒るんだよねぇ。お水でよければ」

「どうぞお構いなく。……それより、スミの話を聞きたいのです」


 鉄郎に促され、青葉はスミの話を始めた。


 スミが青葉の元に来たのは、一年ほど前のことだ。

 田舎から帝都に働きに出てきた彼女を、住み込みで雇った。

 元々、女中紹介所に訪れたスミを見つけたのは、鬼頭だった。ちょうど青葉の家にいた女中が辞めたところで、鬼頭が依頼に来た時にばったりスミと出くわしたのだ。

 鬼頭はスミを一目見て、青葉の家で働くよう頼んだ。鬼頭は、『このくらい鈍感な子の方がお前にはいいだろ』と青葉に薦めてきた。

 スミは来た時からしっかり者で働き者だった。長女の彼女は、幼い頃から掃除洗濯炊事といった家事から、四人いる弟妹の世話まで、実家でもよく働いていたと言う。

 最初は水道やガス焜炉に驚いていたが、慣れた今ではシャツのアイロンがけから、オムライスといった洋食まで作ってしまう。



「いやあ、本当にスミちゃんが来てくれてよかった」


 青葉は、スミが作る料理がおいしいことや、寝ぼける自分を起こす手際の上手いことなど、にこにこと話す。

 鉄郎は静かに相槌を打ちながら、話を聞いていた。

 やがて、話し過ぎて喉が渇いた青葉が言葉を途切れさせると、「そうですか」と懐かしそうに微笑む。


「スミは元気にやっているようですね。安心しました」


 そして、鉄郎は姿勢を正し、青葉に向かって頭を下げた。


「どうか、これからもスミをよろしくお願いします」

「え、あの、お兄さん……」

「私の可愛い妹です。……決して、泣かせるようなことなどは、しないで下さいませ」


 鉄郎の目が、ぎらりと光る。

 白目の部分が消えて、縦に細い黒の線が入った黄色の瞳孔が、青葉を見据えている。穏やかだった声は冷たく響き、青葉の背は粟立った。

 しかし、動揺を見せずに笑顔を作って返す。


「ええ、もちろん。そんなことをして、スミちゃんに出て行かれたら僕が困りますし……そもそもスミちゃんを泣かせたくない」

「……」

「安心して下さい。お兄さん(・・・・)


 駄目押しのように青葉が言うと、ぎらぎらと光る目は瞬きの後に消えていた。普通の人間の目になった鉄郎は、ふっと笑みを零して再び頭を下げた。


「……それでは、これで私は失礼します。このことは、どうぞスミには内密に」

「ええ、わかってますよ」


 帰ろうとする鉄郎に、青葉は「そうだ」と立ち上がる。


「何かお土産を……芋羊羹はお好きです? とっときのがあるんですよぅ」


 土産はいらぬと首を振る鉄郎に、青葉は半ば無理やり芋羊羹を紺色の風呂敷で包んで渡した。

 鉄郎は少し困惑しつつも、受け取って帰っていったのだった。




***




 さて、それからしばらく経った頃のことである。

 青葉の家に、スミ宛の手紙が届いた。郷里の家族からである。

 スミはさっそく手紙を開けて、嬉しそうに読み始めた。


「ふふ、みんな元気そう……」

「そういえば、スミちゃんにはお兄さんがいたのだっけ?」

「? いいえ。先生、前にも言ったじゃありませんか。私、一番上の長女だって」


 スミは小首を傾げた後、手紙の続きを目で追う。


「……あら、まあ、小鉄が家出したって」

「小鉄? 弟さんかい?」


 向かいにいた青葉が尋ねると、手紙を読みつつスミが小さく吹き出した。


「やだ、小鉄は犬ですよ。真っ白な毛並みの、大きくて、そりゃあ立派な犬なんです。狼みたいに格好いいんですよ! 私が小さい頃から側にいて、世話を焼いてくれて、お兄さんみたいで。……そういえば、鉄兄さんって呼ぶこともありました」


 スミは懐かしそうに微笑んだ。


「へえ……それで、小鉄くんは戻ってきたのかい?」

「はい、三日くらいで帰ってきて……あら、小鉄の首に紺色の風呂敷が巻かれていたんですって。中には芋羊羹が入っていたって! いったい誰から貰ったのかしら……」

「……さあ、誰だろうねぇ」


 青葉は思わず緩む口元を、仰ぐ団扇でこっそり隠した。


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