表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青葉闇奇談  作者: 黒崎リク
夏の章
5/29

其の四 彼の国の人


 ごめん下さい、と声がする。

 いつも真っ先に応対に出るスミちゃんが出ない。はて、外出中だったろうか。

 首を傾げながら、青葉は玄関に向かった。


「はいはい、どちら様でしょうー」


 ひょいと顔を出すと、薄暗い玄関に立っていた男はしばし呆けて、やがてほっとしたような笑みを見せた。


「あの、こちらは枯木先生のお宅でしょうか?」

「いかにも、僕が枯木青葉です」

「突然お邪魔して申し訳ございません。……あの、こちらで奇妙な話を集めていると新聞で拝見しまして……」

「ええ、ええ、その通りです」


 今日は来客の予定は無かったが、話のネタを拒む理由は無い。ちょうど原稿も行き詰って……というより、一行も進んでいなかったところだ。

 青葉はこれ幸いと男を家に上げて、居間に案内する。今日は応接間を作っていないので、適当に籐椅子を引っ張ってきて、男と向かい合わせに座る。


「すみませんねぇ、手伝いの者が出払っておりまして。お茶もお出しできず」


 何しろ青葉が茶を淹れようとすると、缶の茶葉が宙を舞って床に散らばり、鉄瓶に沸いた湯の半量は消え失せ、湯飲みや急須は割れ……と不吉な事ばかり起きるものだから、スミちゃんから出入り禁止を言い渡されている。

 ああでも、カルピスくらいなら大丈夫だろうか。爽やかで甘酸っぱくて、「初恋の味」なんて広告が出されて、巷で人気の飲み物だ。

 たしかあれは、水で薄めるだけでよかったはず。もっとも、酸っぱいのが苦手な青葉は、牛乳で割るのが密かにお気に入りだ。スミちゃんからは「勿体ないことを」なんて言われるけれど、甘くて濃い、特別な飲み物になるのだ。

 想像した青葉がそわそわとしていると、男は「どうぞお構いなく」と首を横に振る。


「今は喉も乾いておりませんし、腹も空いてはおらぬのです。それよりも、どうか話を聞いてはもらえませんか」


 男は青葉の返事を待たずに、身に起こった不思議を語り始めた。




***




 男の名は、富田という。

 行商人として、各地を旅しているそうで、つい先日も西の方に言っていたそうだ。

 あくる日、富田は道に迷い、従者と共にどことも知れない町に辿り着いた。

 横浜や神戸のように、日本家屋が並ぶ一角や、西洋風の建物がずらりと並ぶ通りもある、どこか異国情緒ある街並みであった。住人達も和服洋服と入り乱れ、賑やかに往来を行く、ごく普通の町である。


 しかし一つだけ、奇妙なことがあった。


 富田と従者が町に入り、行きかう人に会釈したり声を掛けたりしても、誰も返してくれないのだ。皆、知らない顔をして通り過ぎてしまう。まるでこちらが見えていないように。

 最初は何かのいたずらかと思ったが、どうやら本気で相手はこちらに気づいていないようだ。こちらから向こうは見えるのに、向こうからはこちらが見えていない。

 富田と従者は戸惑いながらも、町の中を進んだ。二人とも疲れており、何か腹に入れたいと思っているのに、これでは飲み食いもできない。

 やがて、大きな洋館の前に来た時、にわかに騒ぎが起こった。


「長が倒れた!」


 様子を見ていると、この街を統べる者が急に病に罹ったようで、家族や使用人達が慌ただしく行き交っている。

 やがて一人の老婆が現れて、厳かに告げた。


「どうやら町に○○の者が入り、○○の気を浴びて発病されたのでございましょう」


 老婆の言う○○とやらは、富田には聞き覚えの無い、発音するのも難しいような言葉だった。


「しかしその者達も、偶然ここに入ったもよう。追い出したりはせずに、丁重にもてなして、あちらに還してやればよろしいでしょう」


 老婆の言葉に従い、屋敷の者達は豪華な食事を一室に用意した。それだけではなく、綺麗な絹織物や装飾品も積まれる。

 富田と従者は、見えないことを幸いに食事をたらふく食べ、豪華な土産を持ち帰ることにした。

 そうして町に入って出る時まで、二人の姿は向こうの人には見えなかったのだった。




***




 聞き終えた青葉は「ふぅむ」と顎を撫でる。


「なるほど……たしか中国に似たような話がありましたねぇ。あれはたしか、どこかの島に辿り着いて、そこが『の国』ではないか、といった話でしたが……まあ、無事に帰ってこられて何よりです」

「ええ……」


 しかし富田の顔色は冴えない。


「あの後、無事に知っている道に出て、家に帰りつくことはできました。ですが……」


 富田が自分の両手を見下ろす。


「……私の姿が見えないのです」

「どういうことでしょう?」

「家族に、近所の者に話しかけても、誰も応えてくれず……ま、まるで、あの町と同じように、誰も私に気づいてくれないんです!」


 富田は叫ぶ。

 共に行った従者もまた、皆に姿が見えなくなっていた。誰に話しかけてもそ知らぬふりをされた彼は気を病み、ある日とうとう、狂ったように大声で笑いながら、道の向こうへと消えてしまったという。

 富田もまた狂いたかった。そんな折、捨てられていた新聞の広告を見つけて、青葉の元へ来たのだという。


「先生には、私が見えるのですよね? 私は……私は、ここにおりますよね!?」


 大きな声を上げ、富田が身を乗り出す。


「どうか先生、私はここにいると、そう仰ってください!」

「……」


 青葉はしばらく富田を見つめて、静かに口を開いた。


「富田さんは、“ヨモツヘグイ”という言葉をご存じですが? 黄泉戸喫よもつへぐい……黄泉の国の食べ物を食べることです。そして、の世の物を食べると、の世に戻れなくなる」

「なっ……」

「先ほど、中国の話を少し話しましたね。『鬼の国』……中国で『鬼』というのは、『幽霊』のことを指します。すなわり、鬼の国は霊の国……死者の国、彼岸の向こうです。もしかすると、富田さんが口にしたのは、彼の世の食べ物ではなかったのでしょうか」

「で、でも、先生には私のことが見えて、話もできるじゃありませんか!」

「それは、僕には霊やらいろいろと……此方こちらの者ではない、彼方あちらの者を見ることができるからです」


 きっぱりと言う青葉に、富田はさあっと表情を失くした。


「あなたはここにいます。ですが、此方こちらにはいないのではないかと」

「そ、そんな……だったら、私は……」


 富田はふらふらと立ち上がった。

 少し気の毒になり、青葉は声を掛ける。


「まあ、僕の目だけじゃあ頼りになりません。見えない子に、見てもらった方が確実かもしれない。スミちゃん……お手伝いの子が帰ってくるのを待って……」


 言いかけたところで、庭に面した縁側の方で声がした。


「――あれ? 先生、そちらにいらっしゃいますか?」


 障子に小柄な影が映る。

 おかっぱ頭の少女の姿。

 障子に手が掛かり、開かれようとした時、富田は大声を上げて部屋を飛び出していった。

 代わりに、障子の隙間から顔を出したのはスミちゃんだ。くりっとした目を瞬かせて、青葉と、向かいに置かれた籐椅子とを見やる。


「え……もしかしてお客様がいらしてたんですか!? いやだ、全然気づかなかった……!」


 庭で洗濯物を取り込んでいたようで、抱えていた大量の洗濯物を縁側に置く。慌てて上がってくるスミちゃんに、青葉はにへりと笑った。


「もう帰られたから、大丈夫だよぅ」

「大丈夫じゃありません! 先生、粗相はなさいませんでしたか? まさかお茶を出したりしませんでしたよね?」

「スミちゃんひどい……」


 いじける青葉に、スミちゃんは「もっと早く呼んで下さいよ」とぷんぷん怒る。


「……呼ばない方が、よかったんだよ」


 青葉は誰にも聞こえぬように小さく呟いた。


 彼女が来れば、きっと富田は真実を知ることになっていた。

 青葉の仮説を裏付けることになっていたかもしれないし……あるいは、そうでなかったかもしれない。


 どちらにしろ、富田はすでにここにはいない。

 あちらに行ったのか、こちらに戻っているのか。それは青葉にはわからない。

 生者も死者も同じように見えてしまうこの目では、真実は見えないのだ。


 青葉は誰もいなくなった籐椅子を横目で見やった後、スミちゃんに言う。


「ねえ、スミちゃん、おやつにしようよ。戸棚に歌舞伎揚げ入っているから、カルピスと一緒にさぁ――」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ