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青葉闇奇談  作者: 黒崎リク
夏の章
4/29

其の三 耳ふさぎ


「スミちゃん、玄関の鍵を閉めておいて」


 朝から先生はそう言って、書斎に籠ってしまった。

 仕方なく、スミは先生の言う通り、玄関の引き戸についた螺子の鍵を締めておく。

 だが一時間後、引き戸を叩く音に呼ばれて玄関に向かった。

 大きな影が、格子戸の擦り硝子の向こうにある。尋ねなくても誰かはわかるのだが、一応声を掛ける。


「どちら様でしょう」

「俺だ。鍵を開けろ」


 恫喝のように聞こえる低い声が返ってきた。だが、これが彼の普通の声だ。間違いない、あの人だ。


「すみません。先生が鍵を閉めておけと言ったので、念のため」

「そうか。……開けろ」

「はい」


 スミは素直に鍵を開けた。

 がらがらと開いた戸の向こうに立っているのは、身長六尺はありそうな大男だった。

 がっしりとした逞しい身体に、短く刈った黒髪。きりりとした眉と鋭い切れ長の目。強面の彼は、軍人や警察、あるいはどこぞのヤクザのようにも見える。

 しかし、実のところ彼は――


「いらっしゃいませ、鬼頭さん」

「よお、スミちゃん。……先生はご在宅かい」


 鬼頭龍二きとう りゅうじ。出版社に勤務する編集者である。




「ひどいよスミちゃん!」


 まっすぐ書斎に案内すると、鬼頭は襖をこじ開けて先生を捕獲した。首根っこを掴まれた先生は、恨めし気な視線をスミに向けてくる。


「君は僕より鬼頭の言うことを聞くのかい? 雇い主を裏切るなんて!」

「はあ……。そうは言われても、鍵を閉めておけと言われただけですので。開けるなとは言われていません」

「そこは言われなくてもわかってよぅ! 鬼頭が来たら追い返してよぉ。君と僕の仲じゃあないか~」

「ほお……それじゃあ枯木先生。あんたも、俺の言いたいことは言わなくてもわかってるよなぁ? 俺とあんたの仲なんだから」


 にやりと悪人顔で笑う鬼頭に、先生はひええっと悲鳴を上げる。


「き、鬼頭……」

「念のため言ってやろうか? 原稿、締め切り――」

「わああ、言わないでぇぇ」


 先生は両手で耳を塞ぎ、わぁわぁと騒ぎ立てた。




 めそめそと泣く先生を文机に固定して、「二時間な」と宣告した鬼頭が、書斎の出口を塞ぐようにどっかりと胡坐をかく。

 その傍らに、スミはお茶とおかきの乗ったお盆を置いた。


「いつもいつも先生がすみません」

「なあに、いつものことだからな。スミちゃんもいつも大変だろ」

「いえ、鬼頭さんに比べれば楽なものです」

「ははっ、頼もしくなったもんだ。……ああそうだ、土産を持ってきたんだった。ほらよ、ミルクキャラメル。好きだって聞いたんでな」

「わあ! ありがとうございます」


 和気あいあいとするスミと鬼頭に、先生は恨めしそうに振り向く。


「うう……二人ともひどい……」

「ああ? 文句言ってる暇あったら、とっとと手ぇ動かせよ。二時間後、原稿できてなかったらどうなるか、わかってんだろうなぁ?」


 言い方が完全にヤクザである。借金ならぬ原稿の取り立てだ。

 この見た目と性格ながらも、出版社きっての敏腕編集者と伝え聞いている。だが、まさか他の作家先生にもこんなやり方をしているわけではあるまい。


 なにしろこの二人、中学時代からの付き合いだという。つまり幼馴染、友達だ。

 鬼頭が来ると、たいてい先生の原稿ができあがっていないので、スミが話し相手となる。なので、そんな時間には二人の昔話を聞くことになる。

 小さなおかきを摘まんだ鬼頭は、ぼりぼりと噛み砕きながら話し始めた。


「スミちゃんは、『同い年の知人が死んだら、耳ふさぎをせよ』って言い伝え、聞いたことあるかい」




***




 それは、鬼頭と先生――当時、先生はもちろん先生でなく、青葉と呼ばれる普通の学生であった――が中学で出会ったばかりの頃の話である。


 その頃の鬼頭と青葉は、同級というだけで、特に親しいわけではなかった。

 距離が近づくことになったのは、あることがきっかけだった。

 ある朝、教室に来た教師が、同級生の一人が亡くなったことを告げた。

 まだ中学に入学したばかりで、さほど交流も無かった者だ。だが、自分と同じ年の、まだ年若い知人の少年が死んだこともあって、皆がざわめいた。

 その日、皆どこか落ち着きなく過ごした。

 夕刻が迫る放課後、鬼頭はひとり、さっさと教室を出る。

 今日は一日、うるさい。

 思いながら、両手で耳をふさいだ。


「ねえ、鬼頭くん」

「聞こえてないの、鬼頭くん」

「鬼頭くんってば、こっちを向いてよ――」


 うるさい。

 俺はお前のことをほとんど知らない。だから声に応えてやらない。


 ……そういえば、『同い年の知人が死んだら、耳ふさぎをせよ』と言う。

 まさにこのことか、と鬼頭は思った。


 そもそもこの言い伝え、同年齢の者が亡くなると、多かれ少なかれ不安な気持ちになることから生まれたものだ。原因が事故であれ病気であれ、自分と結び付けて「自分は大丈夫だろうか」と心配になる。

 同年代の知人は年齢が離れた者よりも親しく交際することが多い。とりわけ、昔の村では同じ年代同士で若者組、娘組といった集まりを作って、役割に応じた仕事を担った。仲間意識が強くなれば、同年代の者が死んだときにその訃報を聞きたくないし、自分の身と重ねてしまうのも仕方なかろう。


 また、耳をふさぐ行為には別の目的もあった。

 それは、「死者に呼ばれないようにするため」あるいは「死者の呼ぶ声を聞こえないようにするため」だ。


 普通の人からすれば、こちらはただの迷信だ。

 だが、鬼頭は迷信でないことを知っている。


 廊下の窓に映る自分。耳をふさいだ鬼頭の後ろに、一人の少年が立っている。

 折れた足を引きずり、千切れかけた手をぶら下げて。捻じれた首を傾けて、目と口と鼻から血を流して。

 そういえば、死んだ同級生は事故に遭ったと教師が言っていた。


 ……顔も声もろくに覚えていない。そんな間柄でも、気の毒には思う。

 だが、突然の死を悼むことはあれ、同情して“そちら側”に一緒に行ってやる気はない。


 鬼頭が眉間に皺を寄せた時だ。


「――鬼頭くーん」


 のんびりと間延びした声が鬼頭を呼んだ。


「先に行かないでよぅ。一緒に大八だいはち屋に寄るって、さっき話したでしょう」


 血だらけの少年の横を通り、鬼頭の腕をぐいぐいと引っ張るのは、綺麗な顔をした少年――青葉だった。

 青葉と帰る約束なんてしていないし、そもそもほとんど話したことも無い。


「おい、青葉」

「大八屋の大福、おいしいんだぁ」


 青葉は鬼頭の困惑に気づいていないのか、あるいはそ知らぬふりをして、鬼頭の手を引っ張って先を行く。その細い手は、かすかに震えていた。

 鬼頭と青葉の後ろで、死者の声が響く。


「鬼頭くん、青葉くん」

「ねえ、聞こえているんだろう、二人とも。見えているんだろう、僕のこと」

「鬼頭くん、ずるいよ。青葉くん、ひどいよ」

「こっちを見てよ、応えてよ。一緒に行こうよ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ……ねえ! おい、無視するなよ!!」


 青葉の肩がびくりと震えた。白い頬は青ざめて、強張っている。

 死んだ少年が二人の前に立ちはだかって、ものすごい形相で手を伸ばしてきた。


 そこでとうとう、鬼頭はキレた。


「っ、うるっせぇんだよ!!」


 鞄に付けているお守りを、思いっきり少年に向かって投げつける。


「人がせっかく黙って見逃がしてやろうってのに、いちいち構いやがって! いてぇ目見ねぇと分かんねぇのかこの馬鹿が!!」


 お守りは、鬼頭の実家の神社で作られたものだ。

 神社で清められた塩と、力のある呪符が入っている。お守りがぶつかると同時に、少年のつんざく悲鳴が聞こえて――それでしまいだった。

 呆気に取られる青葉に、鬼頭はふんと鼻を鳴らした。




***




「……あの時は驚いたなぁ。まさか鬼頭が神社の息子だったなんて」


 どこかのヤクザの跡取りかと思ってたよ、と言うのは、いつの間にか会話にちゃっかりと入ってきた青葉――ではなく先生だ。

 鬼頭は呆れつつおかきを噛み砕く。


「驚くのそっちかよ」

「いや、鬼頭に見えていたのも驚いたけどさぁ。結局、僕は助け損だったわけだし」


 先生はあの時、鬼頭が霊に絡まれているのを見て、助けようと思って声を掛けたそうだ。しかし実のところ、鬼頭にも見えており、さらには霊を祓う力を持っていたことが判明した。


「まあ、おかげで友達になれたわけだけどねぇ」

「腐れ縁だ」


 鬼頭は溜息を吐く。


「あれから中高大と同じトコに通うなんてな……。俺としちゃあ、あの時に縁切りたかったが」

「ええっ! なんでなんで!? あんな運命的な出会いは他にないよ!?」

「出会いはともかく、お前あの後、人の耳ん中に大福詰めただろうが! あんな奇天烈な行動されて友達になりたい奴がいるか」

「だってあれは、餅で耳をふさぐといいって……」


 しゅんと先生は肩を落とした。


 先生の話によると、耳をふさぐときに手を使うのではなく『餅で耳をふさぐとよい』という言い伝えもあるそうだ。これは、正月に餅を食べる習慣と関連しているという。

 ひと昔前までは誕生日などなく、生まれた年を一歳とし、元旦を迎えるごとに一歳ずつ歳を取る「数え年」で年齢を数えていた。正月に餅を食べて一つ歳をとるように、訃報を聞いたら急いで餅を食べることで、余分に一つ歳をとった形にする。そうしたら、故人と違う年齢になって厄を免れる――ということらしい。


「だからって大福はやめろ。餡子が耳に入って、しばらく気持ち悪ぃのなんのって」

「でも、大福餅だって餅じゃあないか」

「というか、もうあの時には死んだ奴もいなくなってたんだから、耳ふさぐ必要なかっただろうが。それに言い伝えの通りなら、大福餅食うだけで厄は免れるんじゃねぇの?」

「…………あっ」


 そっかぁ、と今頃気づいたように手をポンと叩く先生。

 鬼頭の眉間の皺がぐぐっと深くなった。


「―――おいコラ青葉! 喋ってる暇あんなら原稿書け! あと一時間二十分!」

「ひっ、はいぃ!」


 慌てて文机に戻る先生の後ろで、鬼頭がぼりぼりと親の仇のようにおかきを食う。

 スミはひとり、そんな二人を見やった。

 なんだかんだと遠慮なく物を言い合い、二十年近くも付き合いが続く二人は、結局仲が良いのだと思う。


 二人とも、同じものを見ることができるからかしら――。


 見ることのできないスミは、なんだか少し寂しい気持ちになったのだった。


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