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青葉闇奇談  作者: 黒崎リク
秋の章
14/29

其の十一 哭女


「ごめんくださーい、新聞の広告を見て来たんですけどー」


 その日訪れたのは、桐野と名乗る若い男だった。きょろきょろと動く大きな目に、明るい表情が似合う、いかにも闊達そうな青年である。

 出迎えたスミに人懐っこい笑みを向けて、桐野は尋ねてくる。


「ねえ、怖い話をしたら金一封もらえるって本当?」

「金一封……ですか?」


 たしか先生が新聞広告に載せたのは、『奇妙な話、怖い話、集めており〼』という文面と家の番地、枯木青葉の名だけだったはずだ。

 今まで訪れた客も、己の経験した奇妙な話をするだけで、報酬云々の話題は出なかった。


「有名な作家先生なんでしょ? ま、俺は本読まないから知らないけど。がっぽり稼いでるんじゃないの?」

「はあ、そうですねぇ……」


 自信作の掌編を著名な先生から酷評されてうじうじと悩んでいたり、毎回締切をせっつかれて半べそで原稿を上げていたり。

 『どうしよう、今月の原稿代が』『スミちゃんごめん、節約お願い』『でもでも、お菓子は減らさないでほしいなぁ』『大学の臨時講師の方を頑張るから!』なんて言う先生の姿は、がっぽり稼ぐ人気作家先生には程遠い。

 だが、それを客の前で言うのは女中の心得に反する。家の内情や主人の悪口を余所様よそさまにべらべらと喋るのは好ましくない。

 曖昧に答えつつ、スミはすまし顔を作って、居間、もとい簡易応接間に桐野を案内した。



「へえ、へえ。なるほど、君が……」


 明るい様子の青年の訪れに、先生は少しだけ驚いたようだ。

 たしかに、今までの来客の中でも珍しい部類である。怖い話とは縁遠そうな、陽気な感じがあった。

 桐野は先生を目の前にして目を丸くした。ちょっとそこらにいないくらいの綺麗な顔立ちは、女性だけでなく男性の目も引くものだ。


「うっわー、役者みたいな顔してますねぇ! 言われません? 作家なんてしなくても稼げそう!」

「ははは、偶に言われます」


 先生は軽く流してどこか遠くを眺めた後、緑茶を啜った。


「さて……桐野君だったね。それじゃあ、聞かせてもらえるかな?」

「はい。えーっと、俺が子供の頃の話なんですけどー……祖父さんの葬式の時の話でぇ……えっと、先生、『おんな』って、知ってます?」





 ――泣き女。

 それは葬送儀礼の際に、死者に寄り添って激しく泣く女性のことである。


 泣き女の起源は、古事記や日本書紀に語られるくらい古いものだ。国生みを行い、多くの神々を誕生させたイザナギ、イザナミの男女の神の逸話にまでさかのぼる。

 火の神を生んだときの怪我で妻イザナミを亡くしたイザナギの悲嘆は尋常でなく、激しく泣いた。その涙から生まれた神、泣沢女神なきさわめのかみが「たくさん泣く女」を意味し、これが『泣き女』の起源だそうだ。

 イザナギの慟哭がナキサワメを生み、その直後、イザナギは亡き妻を追って黄泉の国へ入っていった。

 ナキサワメの激しい泣き声は、あの世とこの世の間の道を開くといわれている。つまり、葬儀における泣き女の役割は、激しく泣くことで魂をあの世へと送り出す道を開くことなのだ。


 これは日本各地に伝わる風習で、「泣女なきめ」「泣き手」「泣婆なきばば」など様々な呼び方がある。役目を行うのは肉親の女性であったり、あるいは無関係な産婆だったりと、多少の差はあれど、大声で激しく泣く形式は不思議と一致する。

 また、これを職業としている者もおり、与える報酬、例えば米の量で一升泣、三升泣と泣き方は区別される。

 報酬次第で泣き方が変わるというのも俗なものであるが、遺族が故人を偲び、あの世へと無事に送り出せるよう願う気持ちに変わりはない。



 さて、桐野が住んでいた村にも「泣き女」の風習があった。桐野の家は村では大きな家で、祖父が亡くなった葬儀の規模は大きかった。

 その中にひっそりと、白い装束を着た泣き女がいた。

 まだ十歳ほどであった桐野は、初めて見る泣き女を興味津々で見ていた。

 元々、祖父――厳しくて怖い彼に桐野は懐いておらず、亡くなったと聞いてもそれほど悲しくはなかった。葬式に参加するのは初めてで、むしろどこか浮ついた気持ちであったくらいだ。

 もっとも、父親は他の親戚とずっと話しているし、母親は忙しなく働いているしで、子供の桐野は置いてきぼり状態。騒ぐわけにもいかず、じっと大人しく待つのは、十歳の桐野には少々苦行であった。泣き女を観察するくらいしか、暇を潰せなかったのだ。

 見たところ、彼女は身内の誰でもなく、まったく知らない者であった。長い黒髪に、うりざね型の顔。ぎょろりとした大きな目に赤い唇がやけに目を引いた。

 いざ葬儀が始まり、読経が終わった後、祖父が眠る棺の前で泣き女は慟哭した。

 生前の祖父の善行を湛え、彼が死んだことを大いに嘆く。残された遺族の悲嘆を述べて、さらに泣く。葬列で墓まで移動するときも、村中に響き渡るほどの大きな声で泣いていた。


 彼女の悲痛な泣き声は、訪れた弔問客の涙を、最初こそ誘った。しかし、どこから出ているのかと思うほど激しく大きな泣き声が延々と続くと、やがて戸惑いが出てくる。

 桐野もそうだった。

 大げさを越え、全身全霊で泣き叫ぶ彼女に、奇妙なものを感じていた。

 墓に収められて、土を被せられる棺を前に、泣き女は膝を付く。墓穴を覆わんばかりにして四つん這いになり、哭きくどく。

 皆が戸惑いの視線を交わしていた時だ。

 泣き女の、激しい泣き声の中、紡がれる言葉が桐野の耳に届く。


『ああ、○○よ。お前は七歳の頃に隣の家の小さな娘に石を投げつけたね。その石が娘の目に当たって光を失ったというのに、お前は内緒にしろと娘を脅し、結局誰にも知られることは無かったのよ』


『おお、○○よ。お前は五歳の頃、縁の下にいた猫の親子を苛めたね。そのせいで親猫は死に、ついには小猫も死んだのよ』


『○○よ。お前は三歳の頃――』


 慟哭の中でその言葉を聞き取れたのは幾人いただろうか。

 やがてひときわ激しい泣き声が墓穴の中で響く。泣き女は、哭いた。


『○○よ。お前が産まれた時、もう一人、一緒に産まれたのよ。お前の姉であり、妹であった子は、不吉だと母に殺されたのよ』


 その言葉に、桐野の大伯母――祖父の姉にあたる老婆がざっと顔を青ざめさせた。さすがに皆我に返り、若い男達が急いで泣き女を墓穴から引き剝がす。

 泣き女もまた、ぱたりと泣くのを止めて、男達にその場から引きずられていった。

 急に訪れた静寂に誰もが無言のまま、墓穴を見下ろす。

 ぽかりと空いた四角い穴は、まるで黄泉の国に繋がっているかのようで、ただただ暗かった――。





「――で、結局その『泣き女』、いつの間にかいなくなっちゃってて」


 桐野は茶請けの煎餅をばりんと噛み砕き、緑茶を飲む。


「泣き女、やけに祖父さんのこと詳しかったから、親戚の誰かがいろいろ教えたんじゃないかって話になったけど、祖父さんの小さい頃の話なんて知ってるの、大伯母さんくらいしかいなくて。でも大伯母さん、そんなこと話してないって言うし。そもそも、祖父さんが双子だったってこと、大伯母さんもちゃんと知ってたって訳じゃなかったらしくて」


 葬儀の後、大伯母は強張った顔で告げた。

 幼い頃の出来事だ。母のお産の夜、産声はたしかに二つあった。なのに、朝になったら赤子は一人しかいなかった。そのことを母に尋ねれば、とても怖い顔をされ、それ以上聞くことはできなかった――と。

 

「だから、泣き女がそのこと知ってて、すごく驚いたみたいです。あ、しかも、その泣き女を誰が雇ったのかも結局分からなかったんですよねー。ね、変でしょ?」


 桐野はそう話し終えて、にっと笑った。




 金一封……というほど大した額ではない、お駄賃程度の金銭を手に、桐野は帰っていった。

 先生は大きく息をついて、話を聞いている最中にまったく手を付けていなかった、茶請けのザラメ煎餅に手を伸ばす。

 甘じょっぱい煎餅を一枚食べて、先生は再び息をついた。

 それが溜息のように聞こえて、スミはお茶のお代わりを差し出しながら言う。


「先生、今月分の食費はできるだけ節約しますから……」

「あ……うん、そっちは大丈夫だよ。ごめん、気を遣わせたねぇ」


 先生は苦笑して、再びザラメ煎餅をぱりんと割って齧る。


「いや、なんか妙に緊張して、疲れちゃったというか……」

「え、先生が緊張ですか?」


 普段ゆるゆるとした姿ばかり見ているスミが驚くと、先生は口を尖らせる。


「スミちゃん、僕のことなんだと思ってるの。僕だって人間なんだから緊張するよ」

「はあ……」


 すみません、とスミが素直に謝ると、先生は籐椅子の背にぐったりと寄りかかり、開いた障子の向こうへと視線をやる。


「だってさぁ……外から、ずうっと見られてるんだもの」

「え?」


 先生は、居間の障子の向こう、縁側の先の庭を指さす。


「あそこの塀に女の人が掴まってて、ずっとこっちを……桐野君の方を見てたんだよ。大きな目に赤い唇の女性がね。まあ、桐野君について行ったから、今はいないけど」

「え」


 気づかなかった。……否、スミには見えなかったのだろう。


「……幽霊、とかでしょうか?」

「さあ。なんだか……うーん、よく分からなかったよ」


 先生はやれやれと肩を竦める。


「……そういえばさ。イザナギとイザナミは夫婦であるけれども、同時に生まれた男女の神でもあるんだよね」


 神代七代の最後に現れた、対となる男女の神。

 彼らは夫婦であったが、同時に兄妹のようなものでもあったのかもしれない。やがて女の神は亡くなり、黄泉の国へと渡った。


 二つに分かたれた男女。

 陰陽。

 生と死。

 あの世とこの世。


 それを繋ぐ役目を担った『泣き女』。


 さて、桐野の祖父の葬式に現れた『泣き女』は一体何者だったのか。祖父の亡き双子の片割れの化身だったのか。

 そして、桐野に取り憑いている女は――。


「分からないから、怖いねぇ」

「……」

「ただね、桐野君の葬儀にもきっと来るんだよ。彼のすべてを知る泣き女が、桐野君の行いをすべて話すんだよ」


 激しく泣いて、あの世とこの世を繋げる道を開いて。


 泣き女は誘うのだ。

 黄泉の国へと。


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