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青葉闇奇談  作者: 黒崎リク
夏の章
10/29

其の九 簪の花


「ごめん下さい」


 玄関から声が聞こえてくる。

 お客さんかしら。それとも角の酒屋さんが御用聞きに来たのかしら。

 はーい、と向かうと、薄暗い玄関に一人の男が立っていた。立ち襟のシャツに法被はっぴ、股引を身に付けた、行商人のような風体だ。背には風呂敷に包まれた行李をからっている。


「いらっしゃいませ。どちら様でしょうか?」

「ああ、どうも、お嬢さん」


 鳥打帽を被った男は、ぺこりと頭を下げる。


「おうちの方はいらっしゃいますでしょうか?」

「すみません、今外出しておりまして……」

「おや、そうでしたか。……そうだ、お嬢さん、かんざしはいりませんか?」

「え?」

「いやあ、あたし、簪売りをしておりまして」


 言いながら、男は背負っていた行李を手早く降ろして、上がりかまちに広げて見せた。

 敷かれた白い布の上に、綺麗な簪がずらりと並んでいく。

 珊瑚や翡翠の大きな玉がついた玉簪。つまみ細工の色とりどりの花簪。高級な鼈甲でできた松葉簪。

 平打ちの銀製の簪には、細かい模様が彫られている。平打ち簪は形が薄く、平たい円状の飾りに一本、あるいは二本の足がついたものだ。円の部分の飾りに彫り込まれた模様が綺麗で、スミは思わず見惚れた。


「わあ……」

「綺麗でしょう? これは人気でよく売れているんですよ」


 たしかに綺麗だ。

 円の中は透かし彫りで、それぞれ花の模様になっている。桜に梅、菊に牡丹……。だが、どれも蕾の形のようだ。

 どうして花が咲いていないのかしら、と小首を傾げるスミに、男は「こちらが気になりますか?」と一本の簪を差し出してくる。


「こちらは、お嬢さんのような娘さんのために作ったんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。お時間があれば、少しお話しても構いませんか? この簪にまつわるお話を――」




***




 男の名は、徳馬といった。


 彼は北の生まれで、山の方にある小さな村に住んでいた。

 若い頃は貧しく、好いた娘に簪の一つも贈れなかった。

 ある日、互いに思い合っていたその娘に、徳馬は折った花の枝を贈った。まだ肌寒い春、蕾のままの桃の花が付いていた。

 固く閉じた紅色の蕾が、初々しい娘によく似あっていた。娘は嬉しそうに、その枝を簪代わりに髪に挿したものだ。


 さて、それから不思議なことが起こった。

 娘がつける簪の蕾は、萎れることなく、赤くふっくらとしたままだった。

 しかも、その蕾は少しずつ綻んでいく。

 それとは反対に、娘は元気を無くしていく。時折、魂が抜けたかのように、ぼんやりとすることが多くなった。

 やがて蕾は開き、綺麗な桃の花を咲かせた。


 それは、今までに徳馬が見たことも無いほど美しく、可憐で美しい花だった。

 脳が震えるほどの魅惑的な甘い香りが広がった。


 満開の桃の花を頭に飾った娘は、それはそれは美しかった。

 しかし同時に、徳馬の好いた娘は廃人となった。生きてはいるが、常にぼんやりとして、普通に話すこともできなくなっていたのだ――




***




「そのとき、思ったんですよ」


 徳馬は言葉を続ける。


「あの桃の花の簪は、あの娘の魂を食らったんです。初心うぶで、瑞々しくて、まだ固く閉じた蕾のような娘の生気を、吸い取ったんですよ。そうして、綺麗な花を咲かせるんです」


 徳馬の優しそうな風貌の奥にある、何か底知れないものに、スミの背が粟立った。


「あの……」

「お嬢さんは、知っていますか? 生花いきばなを頭に挿すと若死にする、って。亡くなった人の枕元に一本の花を供えるでしょう? だから不吉だとされているようですよ。まあ、迷信ですけれどね。だけど、あたしにはどうにも、花が水を吸うように、ぢゅうぢゅうと、命も吸うんじゃないかって。そう思えてしまって」


 徳馬が、手に持った簪を愛おしそうに撫でる。


「……あたしはまた、あの花が見たい。あんな美しい花は、他にありません。……ねえ、お嬢さん。お嬢さんも見たくはありませんか? この世のものとは思えぬ、美しい花を」

「……」

「あなたはどんな花を咲かせるんでしょうね。牡丹、菊……ああ、撫子なんか似合いそうだ。道端の小さく可憐な花。ねえ、どうです、お嬢さ――」


 徳馬が言いかけた時、がらりと背後の引き戸が開け放たれた。

 そこには、額に汗を滲ませた先生が立っている。


「……うちのスミちゃんに、手を出さないでもらえるかい」


 珍しく硬い表情の先生が、徳馬を睨み下ろす。

 徳馬は特に驚くことも無く、「おや、失礼しました」とあっさり謝った。広げていた簪を白い布でくるりと包んで行李に入れて、あっという間に背負う。

 鳥打帽のつばに片手をかけた徳馬は、スミの方を向いて一礼した。


「それでは、また寄ることがありましたら。その時はどうぞご贔屓に」

「来なくていいよ。さっさと出て行っておくれ」

「ええ。では失礼します」


 スミの代わりに答えた先生に、追い出されるようにして徳馬は去っていった。

 いつもと違う様子の先生に呆気に取られていたスミを、先生がどこか怒った顔で叱る。


「スミちゃん、勝手にあんな人を上げちゃあ駄目だよ」

「はい、すみません」

「あんな危険な物を買おうだなんて……」

「え? いいえ、私、買う気はまったくありませんでしたよ。だって、この髪にどう簪を挿せというんですか」


 スミは、自分の短い髪を見せる。顎下で切りそろえた断髪ボブは一つにまとめることはできず、簪などさせるはずもない。


「あ……」

「簪よりもピンの方がいいです。それに、あの人ちょっと気持ち悪かったから、ピンがあっても買いたくないです」


 ぴしゃりと言うスミに、先生は少し目を瞠った後、どこか居た堪れなさそうに頬を掻いた。


「……うん、そうだね。ごめんよスミちゃん」

「いえ、別に先生が謝ることでは……次からは、私、気を付けます。鬼頭さん以外の人は、気を付けて通すようにしますね!」

「いや、できれば鬼頭も通さなくていいんだけどなぁ……」


 先生はそうぼやいて苦笑した。


 その数日後、先生からピンをもらった。

 銀色の地に、満開の桜が彫り込まれたそれは、徳馬が見せてきた蕾の簪よりもずっと可愛くて、実用的で、スミはすっかり気に入ったのだった。


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