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『カタワラ』  作者: Yoi
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カタワラ

眞菜の病気は、誰に言っても簡単には信じてもらえなかった。

春と秋には家の外に出られなくなる病気なんて、確かにすぐに信じられる方がどうかしているかもしれない。しかし、これは、紛れもない事実だった。


彼女は重度の過敏症アレルギー患者だった。春と秋に良く飛んでくる花粉に対して、彼女の体は特に強い反応を示した。それは、アナフィラキシーと呼ばれる、アレルギーの中でも最も重篤な部類に入るもので、吸入量によっては、ぜんそくの発作が起き、さらにはショック症状に陥って昏睡、最悪の場合には発作で死に至ることがあると聞いていた。


花粉症を持つ人はいくらでもいるが、眞菜ほど強い症状の人はそうはいない。彼女の父は、これは遺伝的な原因もあるのかも知れない、と前に言っていたことがあった。おそらくは僕と、それから母親の涼子の中にあった遺伝子が偶然揃って、とくに花粉に弱い眞菜が生まれてきてしまったんだろう、と。


眞菜は他にも卵など、いくつかの食品に対してアレルギーを持っていた。いくつかの工業製品にも反応したから、普通の学校生活は送れなかった。中学の後半から症状が悪化したため、高校は、すでに決めていた賢治と同じ高校をあきらめ、通信制の高校に切り替えていた。


彼女の体が反応する物質は年々、少しずつではあったが増えているようだった。

「いつか、好きな人と手も繋げなくなるかもね」

いつだったか、冗談めかして気丈にそう言った彼女の言葉に、賢治は素直に笑えなかった。



「賢治!」

茶の間から聞こえてきた眞菜の声に彼は、はっとした。「お湯、湧いているよ!」

レンジの方を見れば、ポットから勢いよく湯気が出ていた。賢治はあわてて火を止めた。

「ありがと」

賢治はそう言って眞菜の方を見た。どういたしまして、とでも言うように彼女は僅かに手を上げた。


フィルターの上にたっぷりと盛られた粉の上に、しなやかに伸びたポットの口から、細く細く湯を垂らしていく。始めは遠慮するように。全体に湯が染み渡り、粉が香りを封じ込めた泡を伴って、ふっくりと膨らんできたら、後は渦を描くように注いでいく。

「良い匂いがしてきた」

徹さんの声が賢治の背後から聞こえた。賢治は思わず微笑を浮かべながら、残りの湯を注ぎきった。


「……はい。お待ちどう」

白いソーサーとカップに、深い褐色の香りの良い飲み物。眞菜が深呼吸するようにその香りを嗅いだ。

「やっぱり、ケーキが焼き上がってからにすれば良かったな」少し残念そうに眞菜が言った。

「またその時、淹れてもらえばいいだろ」一口静かに啜った後、徹さんが言った。

「……それにしても、君は本当に上手だな」

賢治は照れくさくなって頭を掻いた。

「将来、店を開きたいんだって?」くしゃっとした笑い顔で賢治を見つめた。

「これならやれるさ。僕がお客の一号になるよ」

「そんな、買いすぎです。……まだまだ、色々勉強しなくちゃ」

「まあ、それはそうだが……、でも、やりたいことを見つけたって言うのは、幸せなことだと思うよ」

徹さんはそう言うと目尻にすっかり皺をよせて、満足そうに二口目を啜った。


「やりたいこと、ねえ」眞菜が、ふと、思い出したように言った。

「眞菜も、何かあるの」徹さんに誉められて上機嫌になっていた賢治は、隣にいた眞菜に尋ねた。

「私?……私は……」眞菜は俯いて黙り込んだ。「……ちょっと、言えないな」

「へえ」賢治さんが驚いたように声を上げた。「お前にも人に言えないことがあるんだな」

「悪かったですね」眞菜は眉をつり上げて徹さんをにらみつけた。「私にだって、人並みに悩みも、あるんだよ」

ケーキの様子を見てくる、そう言い残して眞菜は急に席を立った。


「……賢治」眞菜が台所へ立つと、徹さんが賢治の方を向いて、低い声で言った。

先ほどまでのにやけた表情は、いつのまにか消えていた。

「あいつの、病気のことだが……」

賢治は思わず居住まいを正して、徹さんに身体を向けた。


「今年も、そろそろ花粉が本格的に飛ぶ季節になる。あいつが外に出歩くことも、君がここに来ることも、難しくなるだろう。でも、せめてメールか電話でも良いから、あいつのことを気に掛けていてやってくれないか。……高校生になったと言っても、あいつには君のように新しいクラスメイトが出来るわけでもないんだ」

「ええ、解っています……」賢治は言った。「眞菜は、僕の大切な……、友達、ですから」


「あいつ、ああやって元気の良い振りしているけどな……、ちょっと油断すると、この前みたいに倒れることもあるんだ。でも、僕らはこんな仕事をしているから、四六時中構っているわけにもいかない。……何より、眞菜が、それを望まない。だから、君が頼りなんだ」徹さんは目にうっすらと涙を浮かべていた。賢治は、その瞳を見ながらゆっくりと頷いた。


「この前倒れた時、あいつ、病院のベッドの上で、僕に、こう聞いたんだ」

徹さんは一瞬天井を見上げた。「私は、世界の“傍ら”にいるのかって」

「かたわら、ですか」賢治は聞き返した。徹さんはそれを聞いて、静かに頷いた。


「たぶん、こういう事なんだと思う……。世の中の出来事に、自分はなんにも関与できないのか。……みんなが楽しそうにしているのを、少し外れたところから、見ていることしか自分には出来ないのか。泣いている人に、優しく手を差しのばすことさえ、自分には出来ないのか……」徹さんは腕でごりごりと目をこすった。目の縁が微かに赤くなった。


「疎外感、と言う奴かな……。世の中の本流には関われない、傍流にいる、と言うか……。とにかく、彼女は、今、大きな孤独を感じていると思うんだ」徹さんは泣いている自分に恥ずかしくなったのか、へっ、と言って笑った。「……わりい、辛気くさい話をしてしまって」

「……いえ……」賢治は俯いてそう返事した。「……僕に、出来るだけのことは、します……」


「おまちどうさま!」


台所から、大きなケーキを持った眞菜が晴れ晴れとした顔をして飛び出してきた。

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