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『カタワラ』  作者: Yoi
14/18

循環

「ねえ、けんすけくん」

歩が賢介に話しかけた。「おっきくなったら、私達、結婚しない?」

「おう!」賢介は、意味もなく胸を張った。結婚すると言うことは、逞しいことだと彼は思っていた。


「じゃあさ、約束しようよ」歩が言った。

「紙に書いて、地面に埋めるの。……大人になったら、開けるのよ」


賢介と歩は、習ったばかりのひらがなで、小さな紙に結婚の約束を書いた。


ぼくたち

わたしたちは


おっきくなったら


けえっこんしまあうす


2年1くみ いとうあゆむ

1ねん1くみ のぐちけんすけ


「……できた」歩がうれしそうに瞳を輝かせた。「どこに埋める?」

「あゆむちゃんちの庭」賢介が言った。

「だめだよ!」少女はが大きな声で否定した。「うちのマリが掘り返しちゃう」

歩の家にはマリという、ちっとも言うことを聞かない大きな犬がいた。朝、学校に行く前に、彼女がマリに引きずられるように散歩させている姿を、賢介はよく見ていた。


「ほかに、ない?」

歩は大きな瞳をくりくりさせて、賢介の顔をのぞき込んだ。

賢介は彼女にじっと見つめられるのがうれしくて、しばらくうんうん唸って考え込む振りをしていたが、やがて、

「……まっくら森」と、さも、ようやく思いついたかのように言った。


「うん!それいいね!」歩も賛成した。

賢介の手を取り、「じゃあ、いこう」と言って、まっくら森に向かって二人は駆けだした。



森の中の道は、歩と賢介の頭の中にすっかり入っていた。

彼と彼女にとって、ここは唯一の遊び場だった。大人の入り込めない、子供だけの庭。見たことのない地味な色の花が、うっそうと茂る林冠から漏れ出た光の中に一輪、花を付けていた。


森の木々は燃えるように色づいていた。

彼らは秋に迷い込んでいた。


いつも知っている道が見知らぬ道のように彼らの前に展開し、そして彼らの背後に消えていった。目の回るような秋の回廊を、彼らはそれでも、子供に備わった本能なのか、臆することなく進んで行った。


大人にはかぶれるから触ってはいけないと言われている、赤い実をびっしり付けたマムシソウが、道を指し示す行灯のように、所々にのっそりと立っている。降り積もった厚い落ち葉が彼らのくるぶしまでをしっかりと覆い尽くし、踏まれる度にかさかさと、乾いた泣き声を上げた。



「……このへんで、いいんじゃない?」

しばらく突き進んだ後で、歩の足がぴたりと止まった。

その背中を追いかけてきた賢介もその隣に立ち止まって、彼女が見つめるものと同じものを、並んで見上げた。


それは大きく古いタブの木だった。

他のほとんどの木々がすっかり色づいていた中で、その常緑の樹は、てらてらと光る、冬でも枯れることのない緑の葉を場違いに身に纏っていた。


賢介は、手近にあった棒きれを拾って、そのタブの木の根元の、出来るだけ土の軟らかい場所を選んで、掘り返し始めた。歩は家からクッキーの空き缶を持ってきていて、その中に先ほどの結婚の約束を書いた手紙と、一番お気に入りの蒼いビーズの髪留めを入れていた。


「……けんすけ君、私が引っ越しても、忘れないでいてくれる?」

歩が、熱心に木の根元を掘り返している健介の背中に心細そうに問いかけた。

彼は聞こえないかのように返事もせず、作業を黙々と続けていた。


「……あたしね、実はちっともさびしくないんだ」

賢介から返事がないことは見通していたかのように、歩は続けた。

「だってさ、賢介君、ここにいるんだもの」

歩ちゃんは自身の胸のところに手をあてた。

「おうちで一人いてもさ、気がつくと、頭の中の賢介君とお話ししていたの。にこにこしてるから、お母さんに笑われちゃうくらい」

歩は、恥ずかしそうに身もだえしていた。

「……けんすけ君は、もう私の心の中にも住んでるんだ。だから、ちっともさみしくないのかも」

賢介はそれでも、歩ちゃんに背中を見せたままだった。

ざり、ざり、という音を立てて、彼は躊躇する様子すら見せなかった。


「……母ちゃんが」

そのとき、彼は歩に後ろを見せたまま、思い出したように、ぼつりとつぶやいた。

「触っても触れないところに、大事な人は住んでるって言ってた」

泣くのをこらえていたのか、彼の声はいつもよりずっと控えめだった。


「……だから、父ちゃんはいつも、母ちゃんや、おれや、にいの、カタタラにいるんだって」

「カタタラ?」少女は思わず首をかしげた。しかし、それは賢介の方からは見えなかった。


「……難しくてわかんないけど」

歩は一人笑った。

「でも、手を伸ばしても届かないけど、もう、いつもつないでいるような、そんな感じだよね」

歩は何かを思い出したのか、再び、恥ずかしそうに俯いた。そうして、

「……一人で歩いていても、お家まで、ゆっくり帰りたくなっちゃうな。……けんすけ君と居る時みたいに」

と、寂しそうにぽつりと呟いた。


「けんすけ君、掘れそう?」

歩は急に声の調子を変えて、賢介の手元をのぞき込んだ。

しかし賢介はすでに掘るのを止めていた。枝を持たない方の手に、何かをしっかりと掴んでいた。


「……なにか、あったの?」

賢介は、歩に、手に持っていたものを差し出した。


小さなクッキーの空き缶だった。

空き缶はすっかり錆びて、泥だらけになり、元の絵柄は解らなくなってしまっていたが、所々、元々塗られていた蒼い色の塗料を鮮やかに残していた。


「……なに、これ」

「埋まってた」賢介が言った。

「……誰かの、落とし物?」

あけてみようよ、と言うのが早いか、賢介はそのクッキーの空き箱を、小さな平たい石でこじ開けた。


「……?あ、お手紙」歩が言った。


箱の中には、小さな紙に書かれた手紙と、船のおもちゃが入っていた。

歩は、箱に入った小さな手紙を読み始めた

「おつきくなつたら……。……字が読みにくい」

賢介も彼女の隣から覗き込んで、その文字を読もうとしたが、だめだった。

色の薄い鉛筆で書かれた文字は、森の底の薄暗い光の中では、よく見えなかった。


「はやくしないと暗くなっちゃうよ」

手紙を読もうと、じっと見つめていた彼女は、ふと我に返り、林冠から見える空を見上げて、不安げに呟いた。太陽はすでに、西に陰り始めていた。森の底には光りの届かない暗がりが、所々にできはじめていた。

森に、夜が生まれつつあった。


賢介は、その古い缶をタブの根元に放り出すと、彼らの持ってきた新しい缶をその場所に埋めて、しっかりと土を覆い被せた。

「……よし」賢介が言った。

「……暗くなってきたから、もう帰ろう」歩が言った。

歩が手を差し出すと、賢介は待っていたかのようにその手を勢いよく掴んだ。



そして二人並んで、2匹の子鼠のように、もと来た道を駆け足で戻って行った。

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