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『カタワラ』  作者: Yoi
12/18

一夏草

「……ひっさしぶりい。薫」

薫が少し遅れて席に着くと、瀬希はカウンターに向かって、水、もう一つお願いします、と叫んだ。

背の高い男性が、彼女らの座るテーブルの傍までやって来て、薫の新しいコップを用意し、慣れた手つきでコップに水をつぎ足した。薫はアイスコーヒーを注文した。


「あつかったでしょう」

向かいに座った瀬希は、すっかりうなだれていた。

「家、エアコン壊れてて、いられないんだよね……。全く、もう9月だって言うのに、この残暑は、何?」

彼女は肩の大きく出た服を着て、下も短いパンツをはいていたが、小柄な彼女が着ると、まるで少年のようだった。とび色の瞳を、陽気にぐりぐりと動かして、久しぶりに会えた薫を、嬉しそうに見つめていた。


「薫、本当に久しぶりだよね、……3年になってクラス代わってから、ほとんど会ってないでしょう?前は、飽きる位会ってたのに」

屈託のない笑顔を浮かべて瀬希は言った。

「……ホントに」薫も笑った。

「でも、しばらく会ってなかったから、瀬希の顔見るとなんだかほっとするよ」

「へへ」瀬希はうれしそうだった。「……あたしって癒し系だから」

卓の上のオレンジジュースの氷が、からりと鳴った。


「……薫、もしかして、なんか疲れてない?」

瀬希は机に顎を載せたまま心配そうな顔で薫を見つめた。「……どうかしたのの?」


「……べつに」薫は言った。

「……まあ、受験生だからね。お互い様じゃない?」

そう言って笑いかけた。

「……だね」瀬希が言った。「私も毎日、もううんざりだ」

結露してすっかりびしょ濡れになったグラスを掴んで、瀬希はストローからオレンジジュースを飲んだ。


「勉強、してる?」瀬希が尋ねた。「結構しんどくない?モチベーション保つのって」

「……まあね」薫が答えた。

「誰か、一緒に勉強してくれるといいんだけど。誰も美術系なんて受けないだろうしな……。」

「実技試験があるんだっけ。それもまた、大変だよね」

薫が言った。

「センター受けるのは一緒なんだけどね」瀬希が言った。

「……受験生はみんな自分勝手になりがちだから、私のことなんか構ってくれない」

めそめそと泣くような素振りを見せた。

「楽しいだろうにね、瀬希がいたら……」

薫が慰めると彼女は、

「……そう言う、薫も一緒になかなか勉強してくれないくせに」

恨めしそうに薫を見た。

「……ごめん」薫が言った。


瀬希はうなだれた様子の薫を、子供じみた大きな瞳をまん丸に広げて、珍しそうに見つめていた。

「……やっぱり、どうかしたの、薫。……元気ないよ」


薫は何も言わなかった。

これじゃあたしも、賢治と同じだな。心の内でそう思った。


「……まあ、いいや。乙女にひみつは憑き物だもんね」

瀬希は思い出したように、隣に置いたスヌーピーの鞄から、一冊のアルバムを取り出した。


「はい、これだよ。うちの中学のアルバム」

薫はそれを受け取ると、早速ページを開いた。

瀬希は立ち上がって、反対側からそれを眺めた。


幾分緊張した様子の生徒の写真が並んでいた。しかし、その数は決して多くはなかった。

たった2クラスしかないんだ。

薫は驚いていた。全部併せても、40人ちょっと……。


「少ないでしょう、うちの中学」瀬希が言った。

「今、もっと少ないんだ。一学年1クラスしかないんだよ……。ほおら、これ、あたし!」

瀬希が指さしたところには、制服を着た瀬希の姿があった。


「……今と、あんまりかわらないね」薫が苦笑した。

「ええ!そんなこと無いよ、随分純朴で、素朴な感じじゃない?」

瀬希は怒って身体を起こした。

「……そうだね……、変わらず、“かわいい”って事だよ」

薫は苦し紛れにそう言った。

「……言われ飽きたな“かわいい”は」瀬希が言った。

「一回でも良いから、“キレイ”って言われたい……」


薫は瀬希の言葉に構うことなく、生徒の顔の並んだページをめくった。

そして、その隅の名前に目がとまった。

「……これ、賢治?」

構ってもらえなかった瀬希は、一人でふてくされていたが、薫の驚いた様子に、首を伸ばしてアルバムをのぞき込んだ。

「そう。賢治も、この頃、かわいかったな……。今はもっとヒゲヒゲしてるけど」

薫は何も言わず、未だあどけなさの残る賢治の写真を見つめていた。


「そう言えば、薫と賢治って、同じクラスだよね」瀬希が言った。「どう?奴」

「……どうって?」薫が顔を上げた。

「惚れた?」いたずらっ子そのものの目で、瀬希が言った。

「……なわけ、無いじゃない」薫は表情も変えず否定した。「ただ、知ってる名前があったから……」

「ふーん」疑うような目で瀬希が言った。「……夜中に、急にアルバム見たいって電話してくる位だから、てっきり、賢治のことでも、詳しく知りたくなったのかと思ったよ」

そうして、彼女はくたびれたように頬杖を突いた。


薫は再び熱に浮かされたように、手元に広げられたアルバムをのぞき込み始めた。


瀬希はそれを退屈そうに見つめていた。

そして、やがてそれにも飽きてしまったのか、一言、

「大人って、難しいね……」、

と呟いて、明るい日差しの照りつける、窓の外の何もない往来を、光の消えた琥珀のような瞳でぼんやりと見遣っていた。



アルバムを見つめる薫の耳には、もうその声すら、入ってはいないようだった。


……賢治と同じクラスの女子は、全部で、やっぱり11人いる。

彼女は思った。アルバムをぱらぱらとめくっていて、彼女は妙な事実に気がつきかけていた。


手渡されたアルバムの後半には、行事ごとに、クラスの集合写真が延々と続いていた。

しかし、その中には、どれも女子が一人だけ、常に足りなかったのだ。


「……あのさ、瀬希」

「ん?」ストローを咥えたまま、瀬希が返事した。

「一人、登校拒否だったの?」


「……?うちで?登校拒否?それは、無いよ。だって、和気あいあいだったもん」

「でもさ、賢治のクラスの女子、いつも一人少ないじゃない?」


窓の外に降り注いでいた強い太陽の光が、はぐれ雲に遮られたのか、一瞬翳った。

いつもは高校生らしくもない、子供のように無邪気な瀬希の表情に、年齢に相応の複雑な悲しみを伴った、影のようなものがしめやかに差したのを、その時、薫は確かに認めた。


「……マナマナ、だね」

「マナマナ?」

瀬希は薫の持っていたアルバムのページを始めの生徒の個人写真のページに戻した。そして、一人の少女を指さした。

「この子が、マナマナ」


彼女の指さした少女の写真は、他とは明らかに違っていた。

卒業を控えた時期の周りの写真に比べ、その表情は不自然なほど幼かった。


なにより、他の生徒の写真がみんな冬服だったのに、彼女だけは、何故か衣替え前の夏服を着ていたのだ。

「どうしてこの子だけ、半袖なの」薫は尋ねた。

「だって、マナマナ、倒れて入院してたから。ちょうど写真取る時、いなかったんだよね。……それ、たぶん、なんか別の時に撮ったやつを、使い回したんじゃないかな」


「この子……、身体弱かったの?」

薫が瀬希に尋ねると、瀬希はとりついた何かを振り払うように首を振った。

「まあね。……小学校に入る前に、東京から、ぜんそくの療養のために来たって聞いてる。都会の粉塵が、どうも身体に合わなかったらしくて……。この子のことに関しては、賢治が一番詳しいよ」

「……どうして?」

薫はもう察しがついていた。しかし、確認せずにはいられなかった。

「……だって、仲良かったもん」瀬希が言った。

「……ホントの、幼なじみって、ああいう二人を言うんだろうね」


……やっぱり。

薫は思った。あの日、賢治と別れてから、薫はずっと彼の様子がおかしいことについて考えていた。彼女なんていない、と彼は言っていた。だが、そんなことがあるだろうか。薫にはどうしても、信じられなかった。


彼が彼女と出会う前、中学時代、あるいはもっと前に、誰か付き合っていたひとがいたのではないか。彼女はそう考えた。そしてもしかすると、彼はその人のことを、まだ心の中で強く思っているのかも知れない。彼女の直感は、彼女にそう告げていた。


賢治と小学校からずっと同じだった瀬希なら、きっと事情を知っているに違いない。

そう思うと居ても立っても居られず、昨日の、もう時間は深夜であったのだが、去年までクラスメイトであった瀬希に、咄嗟に電話を掛けてしまったのだった。



「……ありがとう。……これ、ちょっと借りるね」

薫はアルバムを閉じると、瀬希の返事を待つまでもなく、自分の鞄に入れた。

「……薫」瀬希が言った。

「何?」

「……マナマナのことなら……、そっとしておいて上げて」

瀬希は不安そうに言った。

「……なんだか、嫌な予感がする。眞菜は、今、きっと幸せなんだ。でも、その幸せも、賢治が遠くの大学に行っちゃえば、終わってしまうかも知れない……」


薫は、にこりと笑った。

「……解ってるよ、瀬希」

アルバムを入れた鞄を手にとって、椅子から静かに立ち上がった。


「……でも、それは私にとっても、同じ事なんだ」

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