(上)
なんの変哲もない簡素な住宅街。
朝日がちょうど出始めた時間帯なので、あちこちに伸びる電線にすずめが留まっている。
彼らの鳴き声が夜が明けた世界を色濃く飾っている。
物静かに佇む小さな病院の病室から、俺は窓を通して見つめていた。
ボロボロになった俺の体が朝日を拝めるなんて思ってもいなかった。
どうやら神様は俺に慈悲をくれたようだと、左手にかすかな、でもこの世界のどんなものよりも温かい熱を感じながら俺は声に出すことなく、そう思えた……。
9月1日。
今日、俺(木島涼輔)の高校では昨日から文化祭が催されていた。
クラスはお化け屋敷をテーマを出し物にしている。
今はシフトの時間が丁度終わったので、俺は人気のない教室とは別棟の校舎の階段に、コーヒー牛乳のパックを飲みながら座っている。
時間は3時を回ったあたりで、文化祭二日目にもなれば流石に疲労が溜まっており、立つ気も失せる。
ため息を吐きながらぼーっとしていると、目の前の廊下を一人の女子生徒を通った。
目線を横に向けて通り過ぎるのを待っていると、
「あ、あれっ……木島先輩……?」
声をかけられ、目線を前に向けると、俺が知っている女子生徒が立っていた。
「よお、河田。久しぶりだな。」
夕日が邪魔して顔がよく見えないが、綺麗に整った顔立ちはそれでもよく分かる。
目の前の少女の名前は河田 千紗都。
俺の一個下の高校一年生の後輩だ。
肩にかからないくらいで、艶のある髪。背は150cmくらいで小柄だ。
いわゆる「可愛らしい小動物系」である。
座り込んで眠くなって目を擦っている俺に対して、河田は心配そうに声をかけた。
「あの先輩って文化祭実行委員とかでしたっけ?」
「違うけど?」
「この校舎って生徒会役員の人と文化祭実行委員の人しか入っちゃいけないんですよ……?」
「え……。」
そういえばそんなことを一昨日担任の先生が話していたなぁ……と俺はたった今気づく。
そんな俺に対して河田がため息をつく。
「はぁ。結構先生たちも巡回しに来ますよ?このままいれば軽く生徒指導です。……付いて来て下さい。私といれば『お手伝いさんです。』って言ってなんとかなるので。但し、少しだけ仕事に手を貸して下さい。」
後輩の、ましてや女の子の手を借りるのは嫌だし、手伝いも面倒と俺は思ったが……。
「すまん。よろしく頼む。」
俺は大人しくその言葉に甘えることにした。
その後、何人か先生たちとすれ違い、声もかけられたが、生徒会役員の河島(様)のおかげで怒られずに済んだ。
中には学校一恐れられている生徒指導部の先生も巡回していたので、俺は河田に恩を作らざるをなかった。
河田に連れられてやってきたのは、文化祭実行委員と書かれた部屋の資料室で、河田は預かった書類を入れに来たそうだ。
河田は本棚の最上部に置かれた、1m20cm程のケースを指差した。
「先輩はあれ取って下さい。あれ重いし、私、身長が足りなくて取れないんです。」
「おう。取ればいいんだな。」
俺は机に乗り、指示されたケースを引き出そうとすると、ずしっと腕に重みが伝わってくる。
「お、重っ……。」
おそらく20kgくらいの重さなのだろう。
ケースをなんとか本棚から引き出し、近くの机にゆっくり置く。
それを傍から見てた河田は感嘆した。
「凄いですね先輩。それを一人で下ろすなんて。なかなかそれ一人で持てる男子いませんよ。」
「そうなのか。……待てお前。もしかして。」
「別にからかってませんけど?」
と、河田は満面の笑みを浮かべる。
こいつ……と悔しがりながらも、いつもの事だよなぁと俺はため息をつく。
元々俺と河田はダンス部の先輩後輩で、河島には部活でよくからかわれていた。
今では河田は生徒会に入る関係で部活を辞め、俺も『色んな理由』で退部している。
しかし、こいつは変わんないよなぁとケースの蓋を開けている河田の横顔を見ながら俺は思った。
ケースの中にはびっしりと書類が入っていた。
若干ホコリも被っていて、俺は軽く咳き込む。
「こほっ。うわ何だこれ。」
河田も咳き込みながら答える。
「息を止めておいて正解でした。……これは今までこの学校で計画されて来た後夜祭の出し物の書類達です。採用されたものからボツになったものまで、沢山あります。」
そう言って河田は自分の肩にかけていたトートバックから分厚い書類を取り出し、無理矢理押し込んでケースにしまう。
「あの……。」
河田が急に顔色を暗くして言う。
「どした……?」
「ダンス部……今年も後夜祭に出るそうです……。」
「そうか。……さっさとしまえ。」
「はい……。あの。」
「ん?」
「戻りたいって……思わないんですか?」
「……いいさ。俺にはあそこは合わないよ。」
「そうですか……。」
河田はあまり納得のいかない様子で、落ち込んでいる。
俺が部活を辞めた理由は、表向きには『飽きた』と周りに言っている。
当然河田にもだ。
本当の理由を知っているのは、ダンス部のある部員一人しかいない。
あまり納得の行っていない河田には申し訳無いが、俺はみんなに答えるわけにはいかないのだ。
当然ケースを降ろすよりも持ち上げるほうが辛く、結局一人で持ち上げることができず、河田と二人でしまった。
しまい終わると河田が、
「やっぱそこまでですね。」
と、今までで1番長いため息を吐いた。
うるせぇと、俺は捨て台詞を吐きながら、いつか見返してやると決意した。
二人で階段を降りながら、自分達のクラスがある教室棟まで歩き始める。
一階まで降りると、河田に話しかけられる。
「先輩。」
「どした?」
「……あれだけダンスに一生懸命になっていた先輩が、急に部活辞めた理由。私には分かんないです。」
「……。」
河田俯きながら言う。
「でも……先輩が私を今日突き放さなかったのは、つまり私が部活を辞める原因じゃないんですよね……?」
「ああ。そうだよ。」
河田が心配そうに顔を上げる。
「本当だ。今ここで神に誓えるくらいだよ。」
「……本当ですか?」
河田がまた俯き、ボロボロと涙を流し始める。
「私が……もしかしたら木場先輩と船橋先輩との仲に亀裂を入れたんじゃないかって……私のせいじゃなかったかって……。」
船橋とは、現在ダンス部の部長を務めている女子だ。
ここで俺はあることが気づき、全てが繋がったような感覚になる。
俺は河田に近づき、自分の手で河田の涙を拭い取る。
「河田。お前、自分が俺と船橋との関係に亀裂を入れたと思ったから、その責任を自分で取る為に生徒会に入って部活辞めたんだな。」
「……!」
河田が顔を上げる。
「どうして……。」
「今の話を聞けば全部分かる。……ごめんな。今まで気付けなくて。」
俺は河田の目をじっと見つめる。
「どちらしろ俺は船橋と上手く行かないって決まってたし、気にしなくて良かったのに。……変なとこで俺に気、使いやがって。」
「でも……。」
河田はボロボロとまた大粒の涙を流す。
「泣きすぎだ。……まだ俺はお前に部活を辞めた理由は話せない。ただ、お前はその理由に一切関わっていなかった事をここで違うよ。」
「……ごめんなさい。」
「だからもう泣くなよ。」
河田が目元を真っ赤にしながら自分の袖で涙を拭こうとする。
それを遮って、俺はポケットからティッシュを取り出し、涙を拭いてあげる。
「ありがとうございます。……えっ。」
俺は河田に頭を下げた。
「ごめん。そこまでさせてしまった俺を恨んでくれても構わない。」
「そんな事しないです!」
河田は否定しする。
「私こそ、ごめんなさい。先輩に何も言わずに色々考え込んでいました。ありがとうございます。」
河田は俺の頭を自分の手で持ち上げる。
「先輩。これからは嘘とか、秘密とか無しにしたいです。……退部の理由とか、今それは聞けないと思いますけど。それでも!」
河田は俺の手を握って来る。
「それでも!先輩も、私も!今度はお互い溜め込んで辛くなっちゃう事を伝えましょうよ!」
突然の言葉に俺は驚く。
「先輩とは嘘つかずに話をさせて下さい。」
河田の視線はいつもとは違い、嘘偽りない事が分かるくらいまっすぐ俺の目を射抜く。
戸惑いながら、俺は言う。
「河田。言いたい事は分かった。でも、もう少し言葉考えようぜ。」
「……あっ!」
珍しく河田は赤面して、手を離して顔を背ける。
本人は必死だったのだろうが、いつもとは違う雰囲気だった為、多分取り返しのつかない言葉を恥ずかしがっている。
「河田。」
「……はい?」
河田がこちらを振り返ると、俺は河田を抱き寄せた。
「ちょっ!」
河田は戸惑う。
俺は河田に腕を回しながら言う。
「嫌なら突き飛ばせ。されても何も言わない。」
「……。」
河田も俺に腕を回した。
「出来ませんよ……そんな事。」
「そっか……。」
俺は腕の中に収まっている河田を見つめた。
そこには今までで見たことのないくらい可愛いと思える後輩がいた。
俺は河田から手を離して、言った。
「河田。俺はお前が好きだ。」
「ふぁっ。」
素っ頓狂な河田に対して、俺は続ける。
「そこまで考えさせてしまったお前に償いたい気持ちもある。……でもそれ以上に、こんな俺に対して本気になってくれたお前を好きになった。」
自分でも何を言っているのか分からないのに、俺の言葉は止まることを知らない。
「だから俺も本気になりたい。……お前と一緒にいたい。もっと話がしたい。そばにいたい。」
手汗が出始め、じわじわと体が熱くなる。
それでも……。
俺は言葉を紡いだ。
「俺と付き合ってくれ。」
河田は俯く。
「……ばかですね。先輩。こんな一時の後輩の言葉に、本気になっちゃうなんて。」
そして河田は顔をあげる。
「断れるわけ無いじゃないですか。私がこの世界で一番大好きな人からの言葉を。」
河田は今までとは違う、まるで天使の様な笑みを浮かべて、言った。
「私も大好きです。よろしくお願いします。」
俺達はまた抱き締めあった。
「じゃあ先輩。私は放課後ある程度仕事したら学校出ます。駅前集合で。」
「おけ。」
俺達は別棟から移動し、教室棟に着く。
「先輩。……今さっきの言葉、もの凄く子供っぽかったですよ。」
「……ふんっ。」
「でも……今まで聞いてきた中で一番カッコいい告白でしたよ。」
俺は自分のジャージで顔を隠しながら早足で教室に歩き始め、河田から逃げた。
「あっ、ちょっと!」
河田は突然の事に驚くが、いつもの事だと分かり、教室に向かった。
「あぁ!くそっ……。」
木島は早足で歩きながら、今、自分が今までで最も赤面している事に気づいた。
すれ違う生徒達は夕日が出ているおかげか、木島が赤面しているのに気づかない。
しかし、当の本人は顔から火が吹き出そうな程恥ずかしくなっている。
今まで木島は女子に告白したことが無かったのだ。
高校に入ってから告白を受ける事はあったが、それも全部断って来た。
当時は何とも思ってなかったのだろう。
だが、いざ告白すると、今まで感じたことの無い心境になった。
「……コーヒー牛乳飲も。」
とりあえず甘い物を落ち着いてみようと木島は自販機に向かった……。




