その3「世界のやさしい壊れ方」
調子も何もあったものではない得体の知れない歌が終わり、幼女は満足げに目を瞑った。ぱちぱちぱちと手を叩いたのが誰かと思えば、アンドロイドの女が目を爛々と輝かせて拍手をしていた。
「感動した」
どこに?
「あらためてよろしくね、私の名前はクオン、これから君をさぽうとすることになるよ」
サポート? おし黙る俺にアンドロイドが言う。
「治療するということだ、その子が君を」
「治療? この子がか?」
まったく、冗談が重なる……。
「アンドロイドの医者の次が幼子の治療者か。わかってきた、何かの冗談なんだろ? テレビか何かの……」
「残念だけども、それはちがうんだなトキワくん」
幼女が不意に俺の名前を呼んだ、俺の名前を知っていた。一瞬気圧されたがひるんではならない、それも向こうの手の内かも知れぬ。
「悪いけれど、俺はこれで失礼するからな。体は動くようだし、治療もサポートも必要ない。財布はどこだ? 治療費もそうだが、家に帰りたいんだ」
「残念だけど」
本当に残念そうに、幼女が言った。
「財布はないよ、だけど治療費なんていらないから安心して。でも家には帰れないと思うな……」
俺は立ち上がった。歩けそうだ、これならば大丈夫だ。
「失礼する」
財布がなくても、最悪交番で家までの切符代を借りよう、それがダメならば歩いて帰れば良い。俺は何か悪い夢を見ていたのかも知れない。会社には……いや、もうあんなところには連絡などしなくてよいだろう……それはそうと俺の携帯電話はどこにいった?
病室を出て廊下に出た。俺の目の前を入院中らしきパジャマ姿の女の子達が走りながら横切っていく。危ないじゃないか当たるだろう、むっとして彼女らの向かって言った先に目を向けた。
俺は違和感に気がついた。
視界に幼女しかいない。
入院しているのは皆幼い少女だった。それだけなら偶然ということもあるだろうが、職員らしき服を着ているのも皆幼い少女だったのである。バカな。
「こらあ! 廊下をはしったらだめですよう!」
ナース服の幼女が、先ほどの幼女達に注意をした。俺は歩き出した、階段を探して1階まで降りたら外に出よう、ここは何かがおかしい。どこを見ても幼女しかいない、廊下の待機列に待つ患者もナースセンターの中の職員達も診察室の中にいる医者達も、やっているのはどいつもこいつもごっこ遊びのようだった。つまり本当に病人らしき幼女は見られず、みな病人を演じているだけのように見えた。
「お咳あきちゃったなー」
「じゃあこんどは骨折になろうか? わたし包帯もってきたんだ〜」
嬉々としてファンシーなビニールの手提げ鞄から、女の子は包帯を取り出した。産婦人科の中では、幼女の患者達が恥ずかしそうにキスをし合っていた。
「がんばるですよ! キスをすると子供ができるらしいです! がんばるですよ!」
先生らしき服装の幼女が必死に応援していたが、残念ながら間違った知識である。
階段を見つけ下の階に降りていく。壁の案内を見るに俺がいたのは3階だった。2階に降りる。この階の廊下からも幼女の喧騒が聴こえる、つまるところこの階にも幼女しかいないということらしい。
踊り場を曲がり、さらに1階へと降りようとして俺は呆然と立ち尽くした。そこにあったのは波打ち際だった。波が踊り場に押し寄せていた。
1階は水没していたのである。
俺は走り出した。今度は逆方向、つまり上の階に向かってである。息が切れ、肺を冷たいものが刺したが俺は走らずにはいられなかった。5階の上が屋上であり鍵は幸いに開いていた。飛び出して落下防止のフェンスに駆け寄る。
「そんなバカな!」
街が道路がビルの足元が皆水に沈んでいた。小さな家などは完全に水没しており、その水の中を少女達が嬉々として泳いでいる。俺は後ずさった。よく見回すと、この屋上にも幼女達がいる。弁当などを広げて談笑をしている……。
「どう? さぽうと、必要になった?」
俺の後ろに、先ほどの少女『クオン』がやってきていた。