ニャー
トラニャンとギルド長ギールマッシュは、奥の会議室へと入った。
まもなく茶が運ばれてきたのだが、そのカップは二人に比べて明らかに小さすぎた。
二人は申し合わせたかのように、その茶をゴクリと飲み干す。
そしてカップが片付けられると、ギルド長が話を始めた。
「これで挨拶回りは終了だ。では早速だが仕事をしてもらおう」
「はい! がんばります!」
「うむ。良い返事だ。
では、本題に入る前にひとつクイズを出そう。
なんであんなに多くの冒険者どもが、雁首そろえて間抜け面さらしていたと思う?」
「えーと、もしかして僕のために集まってくださっていたんですか?」
「ハッハッハ。それもあるかもしれん。
お前さんみたいな大男がやってきたんだ。
アイツは誰かと気になって、噂話をしていたのかもしれん。
だが本命は別だ。
でかい仕事が近いってのを、みんな気がついているのさ」
「でかい仕事、ですか?」
「ああ、そうだ」
ギールマッシュは立ち上がり、壁の金庫をあける。
そして中から金貨のつまった袋を取り出す。
それをテーブルの上に、ニャンと音を立てて置いた。
「脅威度Aのモンスター、『豚人』のコロニーが発見された。
お前さんの初仕事だ。
ここに五百万ある。
この金で、そのコロニーを壊滅させろ」
「え? 僕が、ですか? 裏方の仕事をやるはずでは……」
トラニャンは怯んだ。
怯んで身体を縮こませた。
なぜなら、怖いのだ。
その巨体に似合わず、モンスターが怖くてたまらないのだ。
だからトラニャンは、冒険者ではなくギルド職員になることを選んだのだ。
ギールマッシュはそのことを知っているはずである。
トラニャンはそう訴えかけるように、ギールマッシュを見つめる。
だがギールマッシュは、おびえたトラニャンをなだめるように話を続ける。
「安心しろ。これも裏方の仕事だ。
お前さんは戦わんでいい。
その金で冒険者を雇って、号令をかければよいのだ。
このギルドには猛者が揃っている。
いくら脅威度Aとはいえ、勝ち戦はゆるぎない。
つまり、これは簡単な仕事なのだ。
その簡単な仕事で、お前さんに段取りというものを覚えてもらいたい。
それがこの仕事の目的だ。
ああしろこうしろと余計なことは言わん。
お前さんが考え、好きにやってみればいい」
「ですが、もしも失敗したら……」
戦わなくて良いと分かり、トラニャンは少しばかり冷静さを取り戻す。
しかしながら、トラニャンの不安はぬぐいきれていない。
それも仕方のないことだ。
研修を受けてきたとはいえ、その内容は窓口業務についてのことだけだったからだ。
だから当然、そんな仕事が回ってくるのだと予想していた。
冒険者を相手に、受付カウンターで事務手続きをこなすものだと思っていた。
『お疲れ様です。本日はどういったご用件でしょうか?』
『行ってらっしゃいませ。ご幸運をお祈りしております』
にっこりと笑いながら、そう語りかける練習までしてきた。
そういった心構えというものが、突然ひっくり返された。
モンスター討伐の具体的なやり方など、トラニャンは知る由もない。
考えろといわれても、どうやったらいいのか見当もつかないのだ。
(もしも失敗したら、僕は解雇されてしまうのではないか?
いや、それだけですめばまだ良いかもしれない。
『失敗したのだから、討伐費用を肩代わりしろ』とでも言われたら……?
五百万ニャロンなんて大金、とても僕には払えないぞ!)
トラニャンの思考が、マイナスの方向に加速する。
しかしそんなトラニャンの顔色をみてとって、ギルド長が言葉を続ける。
「気負うな。
もう一度言うが、今回は段取りを覚えてもらうのが目的だ。
予算は多めに出してある。
通常の倍だ。
本来なら半額の二百五十万でも足りるだろう。
単純な話、予算が倍なら戦力も倍にできるのだぞ。
どうだ?
倍の戦力なら、負ける気はしないだろう?」
そう言われて、トラニャンは少しだけ気持ちが前向きになる。
しかしながら、やはり仕事の責任が大きすぎると感じていた。
予算が倍、戦力が倍だと言われても、トラニャンにとっては門外漢の仕事。
それでも失敗するかもしれないと、トラニャンの胸中は不安で渦巻いていた。
いまだに黙りこくっているトラニャンを見て、ギルド長は話を続ける。
「だが、目的は忘れるな。
たくさんのことを学べ。
学べるのなら、むしろ失敗してもかまわん。
失敗も経験のうちだ。
もしそうなったとしても、金を返せとも言わん。
お前さんをとがめてクビにしたりもせん。
たとえ失敗したとしても、その原因はワシの見込みが甘かったからだ。
どうしようもなくなったら、ワシが責任を持って出向く。
もう一度言う。だから安心しろ」
失敗しても良いと言われ、トラニャンはようやく恐怖心から解放される。
そしてようやく、目的達成へ向けて頭が回転しだす。
「……なるほど、分かりました。
ちなみに今回予算が倍ということですが、使い切ってしまってよろしいのでしょうか」
与えられた予算は使い切ってしまうのが基本だと、トラニャンは研修で習った。
節約して予算を余らせても、褒められるのはその場限り。
次回はそれを口実にして、予算を減らされるのがオチである。
そもそも予算は少し余裕のあるくらいがよい。
時の情勢や相場の影響で、予定通りにならないのが普通なのだ。
アクシデントというものは、本当にそのへんでいくつも転がっている。
時運にかまけて予算を余らせたことを手柄にしても、次もそうなるとは限らない。
むしろ次回の予算が減ることとなり、自分の首を絞めることになるのだ。
だが今回の予算は、通常の倍。
その理屈が当てはまるのかどうか、トラニャンは心配になったのだ。
「うむ、良い質問だ。
今回、全部使い切るのは逆に難しいだろう。
……いや、待て。
そうだな……。
目標があったほうが、やりがいもあるというものか。
よし、こういうのはどうだ?
もし予算が余ったら、その半額をお前さんにボーナスとして支給しよう。
十万余らせたら、五万のボーナス。
二十万余らせたら十万のボーナスだ。
引っ越してきたばかりで、何かと物入りだろう?
着任の支度金代わりということにしておこう。
通常、職員に支度金は出ないものだが、お前さんにならかまわぬだろう」
ボーナスをもらえると分かり、トラニャンは頭の中で計算を始める。
(もしも百万節約できたら、五十万ニャロンもらえるのか……。
いや、通常は二百五十万で達成できる話だから、二百万くらい残せるかもしれない。
そうなれば、百万ニャロンのボーナス……)
トラニャンは思わずゴクリと唾を飲んだ。
しかしすぐに考え直す。
(いやいや、欲張るのはよそう。
目標は節約二十万くらいにしておこう。
たとえ十万ニャロンのボーナスでも、今の僕には十分にありがたいものだ)
先ほどまでの臆病風はどこかへ吹き飛んだらしい。
トラニャンは大きく頭を下げ、力強い声で礼を述べる。
「ありがとうございます。助かります」
「うむ。やる気が出てきたようだな。
だが、冒険者への報酬を出し渋って節約するというのでは困る。
働いてもらった分、きっちり報酬を支払わんといかん。
なぜだか分かるか?」
「はい、冒険者とギルド間の信頼関係を崩さないためです」
「うむ。その通りだ。
支払いが不十分だったと判明したなら、その分は予算から補填させる。
ボーナスもその分カットだ。いいな?」
「わかりました。他に条件はありますか?」
「そうだな。
期限は……、うむ、五日間としよう。
報告書も出してもらう。
それから戦利品、すなわちアイテムボックスの扱いだが、これは全部ギルドの所有物とする。
なぜか分かるか?」
「報酬として支払った予算を、アイテムボックスで回収する。
と、いうことでしょうか」
「そうだ。物分りが良いじゃないか」
ギルド長が微笑む。
トラニャンは納得しかける。
だが、トラニャンは何か違和感を覚えたらしい。
わずかな沈黙の後、トラニャンが口を開く。
「すいません、ちょっと教えてください。
アイテムボックスで資金を回収できるんですよね?
だったら、なぜ冒険者さんたちは独自で討伐しないのですか?」
「ほう、それに気付いたか。
さすがワシの見込んだ男、でかいだけでなく頭も切れるようだ」
「た、たまたま思いついただけです。
あ、ありがとうございます」
トラニャンは頭を下げる。
それを目を細めながら見つめると、ギルド長は語りだす。
「冒険者が独自で動かない理由。それは二つある。
まず一つ。
この規模のコロニーを、単独で討伐できるようなパーティがいないのだ。
単独のパーティで無理なら、複数のパーティで戦うしかない。
だがそうなると、報酬の分配で揉める。しこりが残る。
みんなそれを分かっている。
だからやらない。
パーティ二組ならギリギリ収拾がつくが、三組以上は難しいな。
駆け出しのパーティならともかく、ここにいるのは海千山千のつわものばかりだ。
当然、金の話にもうるさくなる」
「ふむふむ」
「そしてもう一つの理由。
コロニー討伐ってのは、ある意味バクチに近い。
想定していた分のアイテムボックスを、回収できないことがよくある。
そうなればさらに分配で揉める。
逆に多い場合もある。
だが多かったなら多かったなりに、やはり揉め事の種になる。
信じられないかもしれないが、多かったときの方が揉めるものなのだ。
下手すれば血を見ることになる。
だから、ますますやらない。
そういうことだ」
報酬が確定した後、その分配方法について見直しが求められるのはよくある話だ。
『俺たちは負担が大きかった』とか理屈をつけて『もっとよこせ』と要求するのだ。
報酬総額が見込みどおりなら、どれだけ要求しても増加分は高が知れている。
だからこの場合、比較的みんな紳士的に振舞う。
報酬が少なければ、多少は揉めるだろう。
だが分割できるパイは限られている。
よっぽど主張して取り分が増えたとしても、それはスズメの涙だ。
しかし報酬総額が多ければ、変動はその分大きくなる。
主張すれば主張した分、取り分が増える。
皆それが分かっているから、引くことができずに争いが起きる。
子供三人が遊んでいて、そこに一人おじさんがやってきたとする。
おじさんが『これでマタタビまんじゅうでも買いなさい』とお小遣いをくれる。
その額がたとえば三百ニャロンなら、みんなで仲良く分けて終わるのが予想できる。
だが、そのお小遣いが二万ニャロンだったらどうなる?
あのおじさんは僕の親戚だなどと主張して、独り占めを狙う子がいるかもしれない。
お金を渡されたのは僕だと言って、分配を拒む子がいるかもしれない。
いずれにしろ、もめることは間違いないだろう。
そういう話を研修で聞かされていたトラニャンは、大きくうなずいた。
「……なるほど、事情は大体分かりました。
つまり、その理由を解決できるような、偉大な冒険者がいないのですね」
するとギールマッシュは上機嫌で笑い出した。