ニャー
今年も地方都市カルキャーンでは、冒険者試験とギルド職員試験が行われた。
試験場には、たくさんの若者が訪れていた。
その若者たちの間で、特に目立つ者が二人。
巨体ながらモンスターが怖いために、ギルド職員になろうとする男トラニャン。
ギルド職員が第一志望だが、すべりどめで冒険者試験も受けた女タマニャン。
男トラニャンは、冒険者としての素養が高かった。
誰よりも優れた身体能力を持ち、さらに凶悪なスキルを備えていた。
だが、本人はそれを自覚していなかった。
女タマニャンは、職員としての才能にあふれていた。
情報の収集と分析にかけては、誰よりも優れた能力を持っていた。
だがこちらも同様に、それが凄いものであるとは自覚していなかった。
そんな二人が、試験を受けた。
そして幸か不幸か、二人の試験結果が入れ替わってしまった。
トラニャンの栄光はタマニャンのものに、タマニャンの功績はトラニャンのものになった。
男は職員に、女は冒険者になった。
誰もその入れ替わりに気づかぬまま、しばしの時が流れる。
男トラニャンは職員研修を終え、ある地方都市へと赴任してくる。
時を同じくして、各地を転々としてきた女タマニャンもこの都市を訪れていた。
物語は、そんな二人が再開する少し前から始まる。
※ この一行は、肉球マークに脳内変換してもらえると助かります。場面変更です。
ところ変わって、ここは地方都市ブルーデイコン。
この一帯はモンスターが多く、危険な土地だ。
だがその分、冒険者にとっては稼ぎが大きく魅力的な場所でもある。
そうなれば当然、荒くれ者達が集ってくる。
ここは、その街はずれにある冒険者ギルドだ。
そのギルド内に、突然下卑た笑い声が響き渡った。
「ガーッハッハッハッ!!」
「ヒャーッハッハッ!!!」
屈強な男たちが、薄笑いを浮かべながらたむろしているのだ。
酒こそ飲んでいないものの、カードゲームやアームレスリングなどを繰り広げている。
金がかかっているらしく、誰もが目つきだけは真剣だ。
その片隅で、リーダー格らしき数人の男がなにやら噂話をしていた。
「今朝この街に、凄い戦士がやって来たそうだな」
「どのパーティが呼び寄せたんだ?」
「いや、それが単なる流れ者らしいぞ」
「この時期に流れ者か……。仕事の邪魔をされては困るな」
「詳しく調べさせたいところだが、情報担当の人手が足りん」
ざわめいてるごろつきどもに目をやりながら、まつ毛の長い男がつぶやく。
「うちもだ。あいつらにやらせて、揉め事になったら困るしな」
「ああ、適材適所ってやつだな。
残念だがこの件は後回しか」
すると別の男が話に加わる。
「その件なら、手の空いてるウチの若い者に調べさせている。
あまりあてにはできんがな」
「おお、そうか。
すまんな、今ウチで使えるやつはみんな出払っちまってる」
「ああ、助かるぜ」
「待て待て、期待させるわけにもいかないから先に言っておく。
実は、その若い者ってのが半人前でな。
こいつが頼りにならんのだ」
そこへ一人の少年が駆け込んできた。
どうやらこの少年が、今しがた話題に上った『半人前の若い者』らしい。
少年は挨拶をすませると、皆の前で報告を始める。
「新たな情報です。
皆さんご存知のとおり、先日カルキャーンで冒険者試験がとりおこなわれました。
この冒険者試験、通常ですと毎年数十名が合格いたします。
しかしながら、今年の合格者はたったの一名だけでした。
合格者の名は、タマニャンだそうです」
少年はそこまで話すと、もったいぶるようにゴホンとセキをついてから報告を続ける。
「そして、調査中の例の大男が、そう名乗ったという証言を得ています」
得意満面の顔つきで、少年はそうしめくくった。
しかしリーダー格の男達の反応は冷たい。
「本当か? ウッドベレーの持ってくる情報はあてにならんからな。
この前それで痛い目にあわされたばかりだ」
「ちゃんと裏は取れてるんだろうな?」
「は、はい。合格者一名だけというのは確定です。
信頼できる情報筋が三つともそうだと言っています」
「なんだ自分で調べたわけじゃないのか。
その三つの情報筋とやらも、最初の出所が同じだったら意味がないんだぞ。
ちゃんとそこまで調べてきたんだろうな?」
「そ、それは……」
「まあまあ、あまりいじめなさんな。
それにしても合格者がたった一名か……。
一体何があったんだ」
「それだけの大物ルーキーってことだな」
「そういえば、ギルド長が冒険者になった時もそうだったな」
「そうなんですか?」と、ウッドベレーがたずねる。
「ああ、有名な話だ。
ギルド長はライバルどもを蹴散らかし、彼一人が合格するという偉業を成し遂げた。
以後ギルド長は、冒険者を引退するまで数々の伝説を築いてきた。
これはひょっとして、その再来やもしれんな」
「おいウッドベレー。もう少し情報はないのか?」
「いえ、すいません。
そちらに関しては、詳しい情報は得られませんでした。
あ、今年はギルド長も試験官として赴きましたから、何かご存知かもしれません。
聞いてきましょうか?」
「馬鹿言え!
あのギルド長の前で、新人の情報探ったりなんかするんじゃねえ!
新人いびりだと思われて、タコ殴りにされるのが落ちだぞ!
下手したらこっちまで、とばっちりがくるかもしれねえ」
「言えてるな。
去年も『大判鮫』の連中が、それで潰されたんだ。
もっとも奴らは裏で悪事を働いていたから、潰す口実が欲しかっただけだろうって見方もできるが……」
「え!? そうだったんですか? 突然いなくなって変だなと思ってたんですよ」
噂話が盛り上がっていたそのとき、ギルドに怒号が響き渡る。
「静まれ!!!!!!」
ガヤガヤと数十名が騒いでいたのだが、その一声でピタリと止んだ。
声の主は、身の丈二メートルはあろうかという大男だ。
浅黒い肌は筋肉で怒張し、この場にいる誰よりも巨体である。
男は、ジロリとあたりを見回す。
とたんに誰もが、背筋を伸ばして姿勢を正す。
この大男がギルド長、ギールマッシュである。
彼について語るには、その通り名を並べるのが一番簡潔だろう。
『竜鱗砕き』
『疾風流星』
『掃討前線』
これらの通り名が、彼のこれまでの経歴をあらわしている。
彼は冒険者を既に引退しているが、おそらくこの場にいる誰よりも強い。
強いだけでなく、誰よりも速い。
そして戦場の最前線に立ち、すべての困難を打ち砕く男。
それがギールマッシュである。
そんな男が『静まれ』と命じたのだ。
彼に従わぬ者には、情け容赦なく文字通りの鉄槌が下される。
皆それが分かっているから、生命の危険を感じて押し黙る。
場が静まり返り、誰もが自分に注目しているのを確認すると、ギルド長はつぶやいた。
「今日から、このギルドに職員が増える。
みなに紹介しておこう」
そしてギルド長は振り返り、ひときわ大きな声で叫ぶ。
「いいぞ! 入れ!」
すると通路奥の部屋から、もう一人、別の大男が現れる。
ズシン……、ズシン……。
彼が足を進めるたび、建物全体に大きな振動が響き渡る。
誰もがその振動を、自分たちへの警告と捉えた。
ズシン……、ズシン……、ズシン……、ズシン……、ズシン……。
大男は、ギルドラウンジへの扉を窮屈そうに潜り抜ける。
すると天井に届きそうな巨体があらわになった。
「うわ……」
「オイオイ……」
「彼が、噂の……」
「ああ、そうだ。アイツ、いや、あの方だ……」
「と、遠目で見た時はただの大男かと思ったが、こうして間近で見ると……」
その大男は、ギルド長よりもさらに一回り大きな体格であった。
彼と並ぶと、あのギルド長でさえ子供に見えてしまうのだ。
むき出しになった腕は、丸太以上に太く長い。
本来弱点であるはずの首筋は、分厚い筋肉で覆われ手の出しようがない。
あの様子では体中くまなく鍛えてあるだろう。
それならばせめて足腰はどうだ? 脚力ならば勝てるのではないか、と視線を移す。
するとそこいらの男たちの胴体くらいありそうな、二本の太い足が目に入る。
(ダメだ、打つ手がない)
(コイツには、勝てる要素がない)
(逆らったら、潰される)
誰もがそう思った。
一瞬にして、その巨体から発せられる雰囲気に全員が飲み込まれた。
恐ろしくて顔を上げることすら、はばかられた。
誰もが下を向いた。
それは彼らにとって、服従を示すボディーランゲージでもある。
(この雰囲気、見た目だけじゃないな。金じゃ買えないような、極悪スキルの保有者だ)
(そうだな。だから絶対に、コイツの機嫌を損ねちゃいけない)
(俺には分かるぜ、こういう手合いはまず見せしめのいけにえを探すんだ。
空気の読めないバカが、軽口でも叩こうものなら……)
幾戦もの修羅場を潜り抜けてきた冒険者たちには、本能に近いある種の勘が宿るという。
だがその勘がない者でさえ、次のようなことを感じ取っていた。
『間違ってもコイツには逆らってはいけない。
特に今は、視線を合わせただけで叩き潰されかねない』
汚い床を見つめながら、誰もがそれを確信していた。
ギルド長が、挨拶をするようにと新人の職員をうながす。
それを受けて、職員が口を開く。
「みなさん、はじめまして。
僕、いえ、わたくしはトラニャンと申します。
研修を終え、先ほど赴任してきたばかりです。
まだ右も左も分からぬ新人です。
ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします」
(なんだ……、何を言っている? トラニャン……!? タマニャンではなかったか?)
(俺たちがビビっていることを知っていて、あえてやたら丁寧な物言いだと?!
つまり、それだけ自信があるということか!?)
(分かったぞ! これは罠だ!
油断させて生意気な反乱分子をあぶりだすのが目的なんだ!
その手にはだまされないぞ!)
トラニャンの丁寧な挨拶を曲解して、冒険者たちは恐怖した。
臆病風に吹かれて心臓が凍りつき、身震いして戦慄して萎縮した。
トラニャンが冒険者としてこの地を訪れたのなら、話は違っていたかもしれない。
もしもそうだったなら、先輩後輩という人間関係を心の拠り所にできるのだ。
その大義名分があれば、これほどまでに恐れることはなかっただろう。
しかしトラニャンはギルド職員。
言わば体育会系である冒険者の枠組みからは、少し異なった世界の存在だ。
冒険者同士の間でのみ成り立つルールは、この場合当てはめることができない。
トラニャンの上司であるギルド長の存在も、冒険者達の恐怖心をあおっていた。
(正当な理由なくトラニャンに手をだせば、ギルド長によって断罪されるぞ……)
(いや違う。たとえ正当な理由があったとしても、処分を受けるのは俺達の方だ……)
(ギルド長がでるまでもなく、トラニャン一人で俺達全員を粛清できるのでは……?)
横目で目配せしあいながら、そんなやりとりをしあう冒険者たち。
そのやりとりは増幅し合い、あきらめの境地へと向かっていく。
臆病風というものは、伝染する病だ。
冒険者たちは、全員抵抗をあきらめた。
完全にトラニャンに屈した。
かくして、トラニャンは不可侵の存在となった。
だがその空気に渇をいれるように、ギルド長が叫んだ。
「良い挨拶だった! では、拍手!」
ギルド長がそう号令をかけると、みな死に物狂いで手を叩きはじめる。
(そ、そうだ! 拍手だ! ここで手抜きしたら、目をつけられるぞ!)
(見せしめのために消されるかもしれん!)
(いや、パーティごと潰されるかもしれん! みんな頼むから手を抜くなよ!)
目配せしあいながら、誰もが競うように手を叩き続ける。
「もういい!
……よさんか!!
…………………………静まれい!!!!!」
そうギルド長が止めるまで、拍手は鳴り止まなかった。
再び静まり返ったギルド内で、ギルド長が皆を見下ろすようにして話を続ける。
「彼、トラニャンは、優秀な人材だ。
何せ、今年の職員試験でただ一人合格を果たしたのだからな!
しばらくの間、彼には裏方担当で働いてもらう予定だ。
くれぐれも、彼に迷惑をかけんように」
そう言われた冒険者たちは、目で会話を続ける。
(竜鱗砕きのギルド長とその親分みたいなのを相手に、逆らえる奴なんているわけねえよ!)
(冗談じゃねえ、俺もうこの街離れようかな……)
(馬鹿言え、おとなしくしてりゃ儲かるんだ! 俺はあと二年は頑張るつもりだ!)
「では以上だ。解散!
じゃあトラニャン、ついて来い」
「はい」
トラニャンが動き出すと、再びギルド全体を大きな足音が包み込む。
ズシン……、ズシン……、ズシン……、ズシン……、ズシン……。
冒険者たちは、大男二人が消えていくのをただ呆然と見送ることしかできなかった。