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第4章 カルタゴ戦役

紀元前317年

アレクサンダー大王の西部方面軍は、北アフリカのサハラ砂漠を進軍していた。サハラ砂漠の中の行軍は、兵士たちにとってとても苦しくて辛いものであった。砂漠の砂嵐、猛暑など色々な自然災害に苦しみながらもマケドニア軍はジェファラ平野で待ち伏せているカルタゴ軍の奇襲に成功した。カルタゴ軍は、マケドニア軍の奇襲戦法で潰滅に等しい損害を与えられた。これをジェファラ平野の会戦という。

カルタゴ軍は、一時退却して兵力の調達に向かった。大王は、これを阻止すべくカルタゴ軍の追撃を行わせた。

プトレマイオス軍は、7万の兵力を擁するカルタゴ軍の前に苦戦を強いられていた。カルタゴ軍は、ゾウ戦術でマケドニア軍を圧倒していた。なんと、カルタゴ軍のゾウ戦術はインド軍のゾウ戦術以上に強大なものであった。マケドニア兵は、アフリカゾウに乗るカルタゴ兵を槍や矢で射抜いたりしてアフリカゾウのの背中から落としたりしていた。

カルタゴ軍は、プトレマイオス軍の追撃を逃れてようやく兵力を調達できた。マケドニア軍は、ザマでカルタゴ軍と対峙。カルタゴ軍は、ゾウ戦術を用いて撃破を図るが逆にマケドニア軍の逆襲を食らい苦戦。

三人のマケドニア兵は、矢で五人のカルタゴ兵の頭部を射抜きアフリカゾウの背中から転落させて、アフリカゾウの背中に乗り逆からゾウ戦術を使った。カルタゴ兵の多くが、アフリカゾウを奪われてしまうのであった。

カルタゴ軍は、ザマの会戦で15万人の兵力のうち10万人の死傷者を出した。一方、マケドニア軍は11万人の兵力のうち7万人の死傷者を出した。ザマの会戦で、マケドニア軍はカルタゴ軍に圧勝したがその一方で、兵力の大半を喪失していたので辛勝ともいえるのであった。アレクサンダー大王は、北アフリカ及びインドの平定に成功した。

大王は、西部方面軍の兵力の調達のために多くの兵士を故郷へと帰らせた。一方、東部方面軍は辛うじてインドの平定に成功してようやくバビロンに帰還したのであった。

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